いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻8

朴生の子を悼み、あわせて夢の中の出来事を記す悼朴生兒。兼書夢中事。

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 2 · 漢字 291字 · 朗読 3分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻8 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

林先輩椿卽世幾踰二紀。戊午六月二十五日夢。予友朴還古來告云。林先生死。墓銘非子焉託。因出木槧三寸許。請其辭。予若嫌其狹。朴曰。得子辭。雖一字足矣。遂誌之曰。林某字耆之。性孤峭。頗以才自員。累擧春場不捷。某月日卒于家。銘曰。未施才。命哉。傍有僧硏朱書之。及窹。甚怪之曰。林死久。朴纔乞誌。是何祥乎。明日。朴生來。予具說夢中事。朴禪指良久曰。奇是夢也。昨失吾兒。瘞于林椿塚側。今欲請子一詩爲哭。故來謁。豈此徵耶。予奇其夢。感其事。作此詩以哭之。

林椿先輩が世を去ってから二十四年が過ぎようとしている。戊午の年六月二十五日の夢に、私の友の朴還古が来て告げて言うには、「林先生が亡くなった。墓誌銘は君でなければ誰に頼めよう」と。そして三寸ばかりの木の板を取り出してその文を請うた。私が狭いのを嫌がるふうにすると、朴は「君の文を得られるなら、一字でも十分だ」と言った。そこで記して言った、「林某は字を耆之という。性は孤高で険しく、かなり才をもって自ら任じていた。幾度も春の科挙に出たが及第せず、某月某日に家で亡くなった。銘に言う、才を施すことができなかった。これも命か」と。かたわらにいた僧が朱を磨ってそれを書いた。目覚めてひどく怪しんで、「林君が亡くなって久しいのに、朴が今になって墓誌を請うとは、これは何の兆しだろう」と言った。翌日、朴生が来たので、私が夢の中のことをすっかり話すと、朴はしばらく指を折って数えてから言った、「不思議だ、この夢は。昨日、私の子を亡くして、林椿の墓のかたわらに葬った。いま君に詩を一首請うて哭そうと思って来たのだが、これがその兆しでなくて何だろう」と。私はその夢を不思議に思い、その出来事に心を動かされて、この詩を作って哭する。

夾注 1

幷序

あわせて序を付した。

夢豈自無徵。事或先有讖。憶昨夜方午。睡熟邯鄲枕。君來乞人銘。及窹良恠甚。子來告兒亡。淚暈餘老臉。因思夢中事。莫是精神感。君兒方六齡。眉目得君範。何物奪之去。無奈鬼橫僣。預玄童烏亡。無槨孔鯉殮。壽殤皆關天。子幸勿爲念。細君苟無恙。立竹眞可厭。葬隣林君墩。雖夭未爲慊。

夢にどうしておのずと兆しがないことがあろう 事にはときに先立って予言がある 思えば昨夜、ちょうど夜半に 邯鄲の枕に深く眠っていた 君が来て人の墓銘を請うたので 目覚めてまことにひどく怪しんだ 君が来て子が亡くなったと告げると 涙の跡が老いた頬に残っていた そこで夢の中のことを思うと 精神が通じ合ったのではないか 君の子はまだ六歳で 眉も目も君の面影を受けていた 何者が奪い去ったのか 鬼が勝手に振る舞うのをどうしよう 揚雄の子の童烏も死に 孔鯉は外棺なしに納められた 長命も早世もみな天に懸かっているのだから 君はどうか心に留めないでほしい 奥方がもし恙なくあれば 竹が立ち並ぶように子が増えて、まことに飽きるほどになろう 林君の塚の隣に葬ったのだから 早く死んだとはいえ、心残りではない