いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻13
名を釣ることを風刺する釣名諷
東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻13 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。
釣魚利其肉。釣名何所利。名乃實之賓。有主賓自至。無實享虛名。適爲名所累。龍伯釣六鼇。此釣眞壯矣。大公釣文王。其釣本無餌。釣名異於是。僥倖一時耳。有如無鑑女。塗飾暫容媚。粉落露其眞。見者嘔而避。釣名作賢人。何代無顔氏。釣名作循吏。何邑非龔遂。鄙哉公孫弘。爲相乃布被。小矣虎昌守。投錢飮井水。淸畏人之知。楊震眞君子。吾作釣名篇。以諷好名士。
魚を釣るのはその肉を利とするからだが 名を釣るのは何を利とするのか 名は実の客であって 主があれば客は自ずと来る 実がないまま虚ろな名を享ければ かえって名に縛られることになる 龍伯が六匹の鼇を釣ったのは この釣りこそ、まことに壮大だ 太公が文王を釣ったのは その釣りに、もとより餌がなかった 名を釣るのはこれとは違って 一時の僥倖にすぎない それは鏡を持たない女が 塗り飾ってしばらく艶やかに見えても 白粉が落ちてその素顔が現れれば 見る者が吐き気を催して避けるのと同じだ 名を釣って賢い人になれるのなら どの時代に顔回がいないだろう 名を釣って良い役人になれるのなら どの邑が龔遂でないだろう 鄙しいことだ、公孫弘よ 宰相になってまで布の衾を掛けた 狭いことだ、虎昌の守よ 銭を投げてから井の水を飲んだ 清らかさを人に知られるのを畏れた 楊震こそ、まことの君子だ 私は「釣名篇」を作って 名を好む士を風刺するのだ