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韓信伝への反駁韓信傳駮

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 580字 · 朗読 5.6分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻22 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

予讀漢書韓信傳。有不可以不駮者。敢論之曰。信之罪己不足容誅。然高祖不能無非。而班固之筆。有不公焉。夫君有疑臣之心。則伏以待誅。禮也。因其疑而有叛君之心。人臣之罪。莫甚於斯。韓信是已。固已不容誅矣。然信之罪。本高祖養而成之也。何以言之。人有讒信叛。高祖卽信而患焉。是不明也。夫讒言。有疑似不明者。有立可斷者。信當劉項相拒時。以國士無雙之才。鷹瞵虎視。當此時。與楚則漢危。與漢則楚危。楚漢安危。在一信手。而信卒與漢。與平天下爲功臣。當時已有蒯通說信鼎足天下。信不忍背漢。謝不用其計。夫勢有可爲。其不反如此。豈於天下爲一家之日。以區區一淮陰。欲拒大漢耶。是立可斷者。苟不能明斷。而患其叛逆。則以萬乘之國討之。豈不勝一淮陰。而乃以僞遊雲夢而擒之耶。嗚呼。以天下之主。用詐計紿一臣。奈天下萬邦何。械至洛陽。遂赦之者。以無罪也。如知其無罪。宜不奪其王。因以弭其怨可也。反降以爲侯。以此激其意。是謂蹈睡虎尾令寤者也。信由是怨漢。且疑其卒必見誅。故不得已而謀叛。此非高祖養而成之者耶。吾故曰高祖不能無非也。班固之贊曰。信徼一時之權變。用詐力成功。見疑強大。卒謀叛逆。終於滅亡。其所謂見疑謀逆就亡。信然矣。所謂詐力成功者。未知其何指耶。信爲漢王破強楚虜魏王。禽夏說擊龍且。皆用奇計。指此而言耶。此奇也非詐也。兵貴無常。時或用奇計。非信之奇計。高祖亦不應有天下。果謂之詐。則高祖用詐力之臣而得天下。亦非正也。所謂詐計者。若高祖之僞遊雲夢。蕭何之紿信謁呂后者。幾乎矣。班固不以貶者。豈以聖君賢相而諱之耶。其所謂徼一時之權變。則蕭何,曹參,張良皆是。何獨信哉。吾故曰班固之筆有不公也。

私が『漢書』の韓信伝を読むと、反駁せずにはいられないことがある。あえて論じて言う。

韓信の罪は、まことに斬るだけでは足りない。しかし高祖にも誤りがないわけではなく、班固の筆にも公平でないところがある。

およそ君に臣を疑う心があれば、伏して斬られるのを待つのが礼である。その疑いのために君に背く心を抱くのは、臣下の罪としてこれより甚だしいものはない。韓信がそれである。まことにすでに斬るだけでは足りない。しかし韓信の罪は、もと高祖が育てて作り上げたものである。なぜそう言うのか。

ある人が韓信が背くと讒言すると、高祖はすぐにこれを信じて憂えた。これは明らかでない。およそ讒言には、まぎらわしくて明らかにしがたいものと、ただちに判断できるものがある。韓信は劉邦と項羽が相対していたとき、国に並ぶ者のない士の才で、鷹のように睨み虎のように見ていた。このとき、楚につけば漢が危うく、漢につけば楚が危うく、楚と漢の安危が韓信の片手にあった。それなのに韓信はついに漢につき、天下を平定して功臣となった。そのころすでに蒯通が韓信に、天下を三つに分けて鼎の足のように立てとそそのかしたが、韓信は漢に背くことに耐えられず、辞してその計を用いなかった。およそ勢いがそうできるときにも背かないことがこのようであったのに、どうして天下が一つの家となった日に、わずかな淮陰一つで大きな漢に立ち向かおうとしたであろうか。これはただちに判断できることである。

もし明らかに判断できず、その反逆を憂えたのであれば、万乗の国でこれを討てば、どうして淮陰一つに勝てないことがあろうか。それなのに偽って雲夢に遊ぶふりをして彼を捕らえたのか。ああ、天下の君として、偽りの計で臣下一人を騙したのでは、天下万邦をどうするのか。

首枷をかけて洛陽に至り、ついに許したのは、罪がなかったからである。もし彼に罪がないと知ったのなら、まさにその王位を奪わず、それによってその恨みを止めるのが良かった。ところがかえって格を下げて侯とし、それでその心を揺り動かしたのだから、これはいわゆる眠っている虎の尾を踏んで目を覚まさせたものである。韓信はこれによって漢を恨み、また最後には必ず斬られるだろうと疑ったので、やむなく背くことを謀ったのである。これが高祖が育てて作り上げたものでなかろうか。私はそれゆえ、高祖にも誤りがないわけではないと言う。

班固の賛に「韓信は一時の権変を狙い、偽りと力で功を成したが、強大さのために疑われ、ついに反逆を謀って、最後には滅亡した」とある。その「疑われて反逆を謀り滅亡に至った」というのは、まことにそのとおりである。しかし「偽りと力で功を成した」というのは、何を指すのか分からない。

韓信が漢王のために強い楚を破り、魏王を捕らえ、夏説を捕らえ、龍且を討ったのは、みな奇計を用いたものである。これを指して言ったのか。これは奇であって偽りではない。兵は定まりのないことを尊び、ときには奇計を用いる。韓信の奇計がなければ、高祖も天下を持てなかっただろう。これをまことに偽りというなら、高祖は偽りと力を用いる臣下を使って天下を得たのだから、これもまた正しくない。

いわゆる偽りの計というものは、高祖が偽って雲夢に遊ぶふりをしたことや、蕭何が韓信を騙して呂后に会わせたことのようなものが、ほぼそれである。班固がこれをそしらなかったのは、聖なる君と賢い宰相だからと避けたのか。その「一時の権変を狙った」というのは、蕭何も曹参も張良もみなそうであるのに、どうして韓信だけであろうか。私はそれゆえ、班固の筆には公平でないところがあると言う。