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杜牧伝の甑が割れた事への反駁杜牧傳甑裂事駮

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 295字 · 朗読 3分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻22 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

牧傳。有牧之死。炊甑裂。牧曰不祥。予駮之曰。此拘忌小數淫巫瞽史之說耳。牧曰不祥。非醇儒所當言者。史臣宋公宜逸而猶書之。亦雜也。書曰。牝鷄之晨。惟家之索。夫牝固無司晨之任。牝而晨焉。家之怪。孰大於是。甚於國之雉雊鼎耳。鼠舞端門之妖。故聖人存而不删。若甑之裂者。或因火烈。或因水燥。而非必以怪。牧之死適會耳。不足以爲的驗。以予所試觀之。予家去歲秋九月。方爨甑剨而裂。予殊不以爲怪。又今歲二月。甑鳴如牛吼。俄而大裂如人劃破者。竈婦𢥠然失色。奔告於予。予笑自若。適有術人至曰。此不利主人。非痛祈解。恐不免。室人欲亟從其言。予止之曰。死生有命。苟有死期。怪特先兆耳。祈解何益。苟無焉。甑裂其如予何。果不死至于今。且杜牧以何無狀。遇甑一裂而死。予以何德。被甑再裂而能免耶。此不驗明準也。吾恐後人溺於其說。故書以曉之。

杜牧伝に「杜牧が死ぬとき、飯を蒸す甑が割れた。杜牧は不吉だと言った」という言葉がある。私は反駁する。

これは細かな術数にとらわれた、みだりな巫女や目の見えない史官の言葉にすぎない。杜牧が不吉だと言ったのは、純粋な儒者が言うべき言葉ではない。史臣の宋公がまさに省くべきものをかえって書いたのだから、これもまた雑である。

『書』に「雌鶏が朝に鳴くのは、ただその家が尽きることだ」とある。およそ雌はまことに朝を告げる務めがないのに、雌でありながら朝に鳴けば、家の怪しさとしてこれより大きいものがあろうか。国で雉が鳴いて鼎の耳に止まり、鼠が端門で舞った妖しさより甚だしい。だから聖人はこれを残して削らなかった。

甑が割れるようなことは、火が強すぎるためであったり、水が乾いたためであったりして、必ずしも怪しいことではない。杜牧の死はたまたま行き合っただけであり、確かな証しとするには足りない。

私が試したところから見ると、わが家で去年の秋九月、ちょうど火を焚いていると甑がぱきりと割れた。私は少しも怪しいと思わなかった。また今年の二月、甑が牛の鳴く声のように鳴り、やがて人が線を引いて割ったように大きく割れた。台所の女は怖がって顔色を失い、走って私に告げた。私は笑って平然としていた。ちょうど術者が来て言った。「これは主人に利がありません。切に祈って解かなければ、おそらく免れないでしょう。」家の者が急いでその言葉に従おうとしたので、私は止めた。「死ぬことと生きることには命がある。もし死ぬ時が来ているなら、怪しさはただその前兆であるだけで、祈って解いて何の助けになろうか。もしそれがないのなら、甑が割れても私をどうできようか。」はたして死なずに今に至っている。

また杜牧は何の落ち度があって甑が一度割れると死に、私は何の徳があって甑が二度割れても免れられたのか。これは証しにならない明らかな基準である。私は後の人がその言葉に溺れることを恐れて、書いて諭すのである。