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柳子厚の文とその中身についての評柳子厚文質評

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 399字 · 朗読 3.5分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻22 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

夫心之所洩。必在於文。故予嘗以爲見其文足敬其人。披其文足相其質矣。及讀唐柳子厚文。然後知言之失也。敢評之曰。子厚之書。其文之賁也周。其心之洩也浮。其文可敬。其人不可敬也。何以言之。曰。汎濫渟滀。出入子史。洸洸乎其可駭者。子厚之辭也。非文之賁而其若是耶。故曰文之賁也周。然以子厚平生行己之素較之。其身之所未備。其意之所未行。固亦多矣。於文莫不皆悉。此豈心之所蓄歟。特託而列於文耳。故曰心之洩也浮。請以一二篇明之。讀斬曲几文。則其端平正直之心。疑若可見。然韋執誼,王叔文,王伾等。皆宵人者也。子厚以章章名士。撓節從之。其相得之甚。使天下指以爲二王,劉,柳。則是可謂其行之直乎。然則柳子之曲。不爲不多。奈何忘己之曲。而規規然寓意於斬曲几。以譏世之爲耶。是擧其斤執其斧。自斬其身也。何曲几之得斬耶。讀乞巧文則曰。臣有大拙。智所不化。醫所不攻。此亦非實之言也。方二王時。劉柳等更相倡譽。以爲伊,周,管,葛復生矣。嗚呼。以二王爲伊,周,管,葛。孰不爲伊,周,管,葛哉。其言可謂巧矣。而不可謂拙也。其巧之不足耶。又胡乞於天孫哉。人猶不可欺。況天乎。吾故曰質之不如文也。

およそ心から漏れ出るものは、必ず文にある。だから私はかつて、その文を見ればその人を敬うに足り、その文を開けばその中身を見るに足ると思っていた。ところが唐の柳子厚の文を読んでからは、その言葉が誤りであったと知った。あえて評して言う。

子厚の書は、その文のあやはあまねく行き渡り、その心の漏れ出たところは浮ついている。その文は敬うに足るが、その人は敬うに足らない。なぜそう言うのか。

あふれるように淀み溜まり、諸子や史書を出入りして、広々として驚くばかりなのが子厚の言葉である。文のあやでなくてこのようであろうか。だから、文のあやはあまねく行き渡っていると言う。

しかし子厚が一生、身を持したそのありようで比べてみると、その身に備わっていないことや、その志に行えなかったことが、まことにまた多い。それなのに文ではすべて備わっていないものがない。これがどうして心に蓄えたものであろうか。ただ託して文に並べただけである。だから、心の漏れ出たところは浮ついていると言う。

一つ二つの篇で明らかにしよう。「斬曲几文」を読むと、その端正で平らかでまっすぐな心が見えるようである。しかし韋執誼・王叔文・王伾らはみな小人である。子厚ははっきりと名の知られた士でありながら、節を曲げて彼らに従い、互いになじむことが甚だしくて、天下の人に「二人の王と劉と柳」と指さされた。これをその行いがまっすぐだといえようか。であれば、柳子の曲がりは少なくない。それなのに、どうして自分の曲がりは忘れて、こだわるように曲がった几を斬ることに思いを寄せ、世のすることをそしるのか。これは斧を取り鉞を握って、みずから自分の身を斬るものである。どうして曲がった几を斬れようか。

「乞巧文」を読むと、「臣には大きな拙さがあって、知恵でも変えられず、医術でも治せない」とある。これもまた実に合った言葉ではない。二人の王のころ、劉と柳らはかわるがわる互いに褒め合って、「伊尹と周公と管仲と諸葛亮が生まれ直した」と言った。ああ、二人の王を伊尹・周公・管仲・諸葛亮とするなら、誰が伊尹・周公・管仲・諸葛亮になれないであろうか。その言葉は巧みだといえても、拙いとはいえない。その巧みさが足りないからといって、どうして織女に乞うのか。人でさえ欺けないのに、まして天はどうか。私はそれゆえ、中身が文に及ばないと言う。