司馬温公が水がめを割る絵の後に書く書司馬溫公擊甕圖後
古之論者。有謂司馬溫公自爲兒擊甕時。已有活人手段。此誠的論也。君實果歷相四朝。奮發謀議。興利除害。安國家濟蒼生。可謂宋之社稷臣也。此非刻勵習熟而爲之。其漸已見於乳臭中。固受之天者。或曰。君實能鍛成其才。適會居位輔政。有以濟蒼生耳。凡善惡與習而遷。兒時事不足爲的驗也。予曰。非也。昔孔子爲兒時。嘗陳俎豆爲戲。果興文敎。爲萬世師。然此聖人之事。不可以常品論之。若以常品觀之。予少時怯乘馬。馬有駸駸其足者。面蒼然無生色。甚戰也。至今尙爾畏騎駿足。凡奉使乘傳。必擇駑者而後馭之。又生二歲時。常喜執書冊。以手指點其字而若將讀之。父母曰。此兒當業文者也。今果以進士出身。備小儒之數。由此觀之。君實之擊甕。天性也。其安國家濟蒼生。固亦受之天者。非熟習而爲之者審矣。何謂兒時事不足爲驗耶。非特此也。凡善惡勇怯。仁與不仁。孝與不孝。皆於兒時。可略見也。何獨司馬也耶。
昔の論者のなかに、「司馬温公は子どもとして水がめを割ったときから、すでに人を生かす手だてがあった」と言った者がいるが、これはまことに確かな論である。君実はたしかに四つの朝廷で宰相を務め、奮い立って謀り議し、利を起こし害を除いて、国を安らかにし民を救ったのだから、宋の社稷の臣といえる。これは刻み励んで習い覚えてできたことではなく、その兆しがすでに乳臭い幼いころに見えていたのだから、まことに天から受けたものである。
ある人が言った。「君実はその才を鍛え上げ、たまたま位に就いて政を助ける機会に行き合って、民を救ったにすぎません。およそ善と悪は習いにつれて移るのですから、子どものころの事は確かな証しとするに足りません。」
私は言った。「そうではない。昔、孔子が子どものころ、祭器を並べて遊んだことがあり、はたして文の教えを起こして万代の師となった。しかしこれは聖人の事であって、並の品で論ずることはできない。並の品で見れば、私は幼いころ馬に乗るのが怖く、馬が足を速く運ぶと顔色が青ざめて生気がなく、ひどく震えた。今でもなおそうで、良い馬に乗るのを恐れる。およそ使命を奉じて駅馬に乗るときも、必ず鈍い馬を選んでから駆る。また二歳のとき、いつも書物を手に取るのを好み、手でその字を指しながら、いまにも読もうとするようであったので、父母は「この子はまさに文を業とする者だ」と言った。いまはたして進士として身を立て、取るに足らぬ儒者の数に入った。これから見れば、君実が水がめを割ったのは天性である。彼が国を安らかにし民を救ったのも、まことにまた天から受けたものであって、習い覚えてできたことではないのが明らかである。どうして子どものころの事は証しとするに足りないというのか。」
これだけではない。およそ善と悪、勇ましさと臆病さ、仁であることと仁でないこと、孝であることと孝でないことは、みな子どものころに大まかに見ることができる。どうして司馬氏だけであろうか。