趙太尉に差し上げる文上趙太尉書
月日。某官某熏沐齋戒。上書于太尉相國下執事閣下。夫古之爲人君者。非理天下之爲難也。知人賢不肖進退之爲難。何則。穆穆至尊。深居九重。焉得人人而閱之。一一而試之。知賢與否。進之退之升之降之耶。在特置宰相之明。而爲之耳目焉耳。宰相者。非錢穀鹽鐵獄訟征賦叢脞之事是親。而以爲己任也。專務推賢進士。上佐天子之明而已矣。今主上率由是道。處閣下以論思之地。閣下以宏贍卓犖命世之才。代天子之耳目。作九流之司命。進退天下之士。則凡藏器把寶瑰琦英偉之士。無不以連城之璧。希世之珍。求售於閣下者。如僕者。特一妄男子耳。無一才一藝有足備賢君明相之升進採用者也。夫然則理宜揣分量才。縮斂頭角。不敢望預瑰琦英偉者之伍。而有所僥倖矣。然閣下不知僕之不肖。過聽虛名。大加眷遇。嘗與兩府三相國。聯名拜箚子。薦達於明天子之耳目。乞補郡職。以作將來擢用之漸。兪詔已降。未及付銓曹。而忽若銀杯羽化者。朝廷士林。莫不知之。有彈指歎訝者。相國閣下。亦曾聞之矣。僕猶倚閣下之剛明果斷。竊自以爲業已許之。豈以其詔書有無藉口。而負一言之重哉。遂確然自必矣。及頒政之後。寂然無聲。先笑後咷。反爲儕輩所笑。顔得無泚且赤乎。其後側聞閣下之言。果以詔旨不付天曹爲解。此亦不痛爲僕營救之辭耳。何必爾耶。若欲不待試外。直補京官。則以前無此例。故須必要詔旨矣。其若郡縣之寄。則按國家成例。凡登科者。不限年紀。直補外寄。故中古已往。自黃紙以上。有其年出補者。其次亦不出三四年而得之矣。但比來。文吏之橫出銳進者甚衆。而州縣之寄。不增於古。故其局於守株者。率淹延不進。積塞前路。有至三十年或二十八九年而不見調者。僕若循蹈此輩之迹。計次而俟。則雖白首未可決期也。閣下旣不以常流遇僕。而將以奬答力學之功。則但越前榜者而用之耳。其限以年紀。本非國家之制。雖不須詔旨。亦不反於國制。況詔旨已下。而特幪形乍隱而已哉。噫。宰相所奏。固不可輕。宰相亦非一二公。而其所奏。亦本於薦一士。以勸百人之義。而意非淺淺者。若主上不允則已。上旣允可。而中間云云。則是掌奏者之無狀也。罪必有歸矣。以閣下之威。居百官之長。非其勢不足以彈糾朝廷之違慝。宜以其時。詰其所以攘取箚子之由。議駮其罪。而閣下又不敢爾。則朝綱國憲。何由而正焉。天子之耳目。何由而廣焉。藏器把寶之士。何由而進焉。僕竊爲閣下惜之。昔人有問馬日食幾何者。馬主曰。給粟若干斗。曰。然則何瘦。曰。吾特許之而不與也。僕無奈類是。而誠飢且瘦矣。閣下其忍不顧而不畢其賜耶。僕不佞。平生唯以諒直自許。凡所貯蓄。今盡輸寫於閣下。雖涉自譽者。亦無所讓而無所隱也。伏惟閣下悉之。僕自九齡。始知讀書。至今手不釋卷。自詩書六經諸子百家史筆之文。至於幽經僻典梵書道家之說。雖不得窮源探奧。鉤索深隱。亦莫不涉獵游泳。採菁摭華。以爲騁詞擒藻之具。又自伏羲已來。三代兩漢秦晉隋唐五代之間。君臣之得失。邦國之理亂。忠臣義士奸雄大盜成敗善惡之迹。雖不得幷包竝括。擧無遺漏。亦莫不截煩撮要。鑑觀記誦。以爲適時應用之備。其或操觚引紙。題詠風月。則雖長篇巨題。多至百韻。莫不馳騁奔放。筆不停輟。雖不得排比錦繡。編列珠玉。亦不失詩人之體裁。顧自負如此。惜終與草本同腐。庶一提五寸之管。歷金門上玉堂。代言視草。作批勅訓令皇謨帝誥之詞。宣暢四方。足償平生之志。然後乃已。豈琭琭銷鎖。求斗升祿。謀活其妻子者之類耶。嗚呼。志大才疏。賦命窮薄。行年三十。猶不得一郡縣之任。孤苦萬狀。有不可言者。頭顱已可知己。然僕之行藏去就。以閣下爲司命而卜之者也。其進退升降。亦關閣下之鑑採耳。僕尙何言哉。若萬一借一眄之恩。啓其路授其綏。使登始從仕之級。則靑雲萬里。行可高驤。何道遠日晚之是憂哉。且士之所以邀王公大人之眷顧者。非苟自謀其身。亦欲就王公大人之名也。方一扣再扣。而不聽而已。則猶爲國爲閣下之名爲己之性命。殆不得輕去。伺候請間。或庶幾乎卒相容許。不失下士之名矣。若三扣而不聽。僕本介褊。非朝夕進退突梯求媚者也。寧深遁遠逃。甘與麋鹿跧伏茂林豐草之鄕耳。安能復造相國之門。立狗竇馬廏之側。爲塵糞所染耶。孟子曰。人未嘗不欲仕。仕不由其道而往者。鑽穴隙之類也。僕之自媒已甚矣。其又可效鑽穴踰垣之女子乎。失意之詞。類多激訐。伏惟閣下先寬其罪。然後覽焉。輕觸尊嚴。不勝悚懼。不宣。某再拜。
某月某日、某の官の某は、香を焚き湯浴みして身を清めてから、太尉相国の執事閣下に文を差し上げます。
昔、君となった者は、天下を治めることが難しい事ではなく、人が賢いか至らぬかを知って進ませ退かせることが難しい事でした。なぜか。幽かで高い君は九重の深い所におられるのですから、どうして人ごとに見て一つ一つ試して、賢いかどうかを知って進ませ退かせ、上げ下げできましょうか。ただ明らかな宰相を置いてその耳と目にすることにあるだけです。宰相とは、銭と穀、塩と鉄、訴訟と税のような細かな事に近づいて自分の務めとする者ではありません。ただ賢い者を押し上げ、士を進ませることに努めて、上は君の明らかさを助けるだけです。
いま上はこの道に従って、閣下を議し思う席に置かれました。閣下は広く豊かでぬきんでて、一世に名高い才で君の耳と目に代わり、あらゆる筋の士の行く手を握る者となって、天下の士を進ませ退かせられます。だから器を隠し宝を握ったすぐれた立派な士たちが、いくつもの城に値する珠と、世にまれな宝を持って、閣下に買われることを求めない者はありません。
私のような者は、ひとえにみだりな男にすぎませんから、賢い君と明らかな宰相が引き上げ選んで用いるに足る才も才能も一つもありません。とすれば、まさにみずからの分を量り才を測って角を縮め、すぐれた立派な人たちの列に混じって幸運を望まないのが正しいのです。それなのに閣下は私の至らなさを知られずに、虚しい名を聞きすぎられて、大いに世話して扱ってくださいました。かつて両府の三人の相国とともに名を並べて箚子を差し上げ、明らかな君の耳と目に薦めてくださり、郡の官に付けて後の日に抜き用いる第一歩にしてほしいと願われました。
許される詔がもう下ったのに、銓曹に回されるには至らず、ふいに銀の杯に翼が生えて飛んで行ったようになりました。朝廷と士のあいだでこれを知らない人はなく、指を鳴らして嘆き驚く人がいましたから、相国閣下もかつてお聞きになったでしょう。私はそれでも、閣下の強く明らかで断を下される力に寄りかかって、すでに許された事を、どうして詔のあるなしを口実にして一言の重さに背かれようかと思って、ついに固く信じていました。ところが人事が出た後は、静まって何の音もありませんでした。先に笑って後に泣き、かえって同輩の笑いものになりましたから、顔が汗ばんで赤くならずにいられましょうか。
その後、閣下のお言葉をちらりと聞くと、はたして詔が天曹に回らなかったことを口実とされました。これもまた、私を力を尽くして救おうとされなかった言葉にすぎませんから、どうしてそうでなければならないのですか。もし外の試みを経ずにじかに都の官に付けようとされるのなら、先にこうした例がなかったので、必ず詔が必要でしょう。しかし郡の官であれば、国の定まった例から見て、科挙に上った者は年数を限らずにじかに外の官に付けます。だから中古より前には、黄紙に上った者でその年に出て付いた人がおり、その次も三、四年を越えずに得ました。
ただ近ごろは文官でむやみに出て来て速く進む者がたいへん多いのに、州県の席は昔より増えていません。だから切り株を守るところに閉じ込められた人たちは、おおむね長く押しとどめられて進めず、行く手が積もって塞がり、三十年、あるいは二十八、九年に至っても移って用いられなかった人がいます。私がもしこの人たちの足跡に従って順を数えて待つなら、頭が白くなっても時を定められないでしょう。
閣下がすでに私を並の輩として扱われず、努めて学んだ功を褒めて報いようとされるなら、ただ前の榜の人たちより先に用いられればよいだけです。年数で限ることはもとより国の制度ではありませんから、詔がなくても国の制度に背きません。まして詔はもう下っていて、ただその姿がしばらく覆われて隠れているだけなのですから。
ああ、宰相が申し上げたことは、もとより軽んじられません。宰相も一人二人ではなく、その申し上げたことも、一人の士を薦めて百人を励ますという意に基づいたものでしたから、その意は浅くありません。上が許されなかったのならそれで終わりです。しかし上がすでに許されたのに、途中であれこれ言われたのであれば、これは申し上げる事を預かる者の過ちですから、罪が必ず帰する所があります。
閣下の威で百官の長におられるのですから、朝廷の乱れた事をただし正すのに、その力が足りないのではありません。まさにそのとき、箚子を横取りした理由をただし、その罪を論駁すべきだったのに、閣下がまた、あえてそうされなかったのであれば、朝廷の綱と国の法が何で正しく立つでしょうか。君の耳と目が何で広くなるでしょうか。器を隠し宝を握った士が何で進むでしょうか。私は心のうちで閣下のために、これを惜しく思います。
昔の人のなかに、馬が一日にどれほど食べるかと尋ねる人がいました。馬の主人が「粟を幾斗やる」と言うと、「それならどうしてやせているのか」と言いました。「私はただやると許して、やらなかった」と言いました。私がこのようであるのをどうしようもなく、まことに飢えてやせています。閣下はあえて顧みられずに、その与えを終えられないのでしょうか。
私は才がありませんが、一生ただ信実とまっすぐさでみずから自負してきました。蓄えたものを、いますべて閣下に注ぎ出します。みずから褒めることに触れる言葉でも辞退せず隠しませんから、閣下は汲んでくださるようお願いします。
私は九歳から書を読むことを知って、いままで手から書を放しませんでした。詩経と書経と六経、諸子百家と史を記した書から、幽かな経典と人里離れた典籍、仏の経と道家の言葉に至るまで、源を尽くし深い所を探って隠れたものを引き出すことはできませんでしたが、あまねく読み浸って泳ぎ、精髄を抜き花を拾って、文を走らせ文采を執る材料としなかったものはありません。
また伏羲以来、三代と二つの漢、秦・晋・隋・唐と五代のあいだの君と臣の良し悪し、国の治まりと乱れ、忠臣と義士と姦雄と大盗の成りと崩れ、善と悪の足跡をすべて抱えて漏れなく挙げることはできませんでしたが、煩わしいものを切って要なものを選び、鏡として見て唱え、時に合わせて使う下準備としなかったものはありません。
ときには筆を取り紙を引いて風と月を吟ずれば、長い編と大きな題で多いものは百韻に至っても、走り駆けて筆を止めませんでした。錦と刺繍を並べ、珠と玉を編み並べることはできませんでしたが、やはり詩人の体裁を失いはしませんでした。振り返ってみずから自負することがこのようなのに、ついに草や木とともに朽ちることを惜しく思います。望むことは、ひとたび五寸の筆の軸を取って金門を過ぎ玉堂に上り、君の言葉に代わって草稿を調べ、批答と勅書、訓令と君の謀りごと、詔誥の文を作って四方に広め明らかにして、一生の志に報いるに足りてからやめることです。どうして、こまごまと溶け沈んで、一斗一升の禄を求めて妻と子を生かすことを図る輩でありましょうか。
ああ、志は大きく才は生硬で、生まれ持った運命が窮して薄いのです。年は三十なのに、まだ郡の官一つも得られず、孤独で苦しい姿が万端で、言い尽くせないものがあります。私の行く末がどうであるかは、もう分かるほどです。しかし私の進退、去ることと留まることは、閣下をわが行く手を握る方として占うことです。進ませ退かせ、上げ下げすることも、閣下が汲んで選んでくださるかにかかっているだけですから、私がまた何を言いましょうか。もしひとたび顧みてくださる恩を貸して、その道を開いて紐を握らせ、はじめて官となる席に上らせてくださるなら、青い雲の万里を高く走れるでしょう。どうして道が遠く日が暮れることを憂えましょうか。
また、士が王公や大人の世話を迎えようとするのは、ひとえにみずからの身を図るのではなく、王公や大人の名を成してさしあげようとするためでもあります。一度、二度打診しても聞き入れられないなら、それでも国のため、閣下の名のため、わが命のために、軽く去ることはできません。隙を窺って面会を願えば、ついに互いに受け入れて許してくださって、士に身を低くするという名を失わないようになることを望めるでしょう。三度打診しても聞き入れられなければ、私はもともと真っすぐで無器用で、朝に夕べに出入りして機嫌を取ってお追従を求める者ではありません。むしろ深く隠れ遠く逃げて、麕と鹿とともに茂った林、濃い草の里に伏せることを甘んじましょう。どうしてまた相国の門に出て、犬の穴や馬屋のそばに立って、埃と糞に汚れましょうか。
孟子が「人は官に就きたいと思わないことはなかったが、その道に従わずに進むのは、穴を穿つ輩と同じである」と言いました。私がみずから仲立ちすることがもう甚だしいのに、また穴を穿ち垣を越える女を倣ってよいものでしょうか。
志を失った言葉はおおむね激して謗ることが多いものですから、閣下がまずその罪を寛くされてから見てくださるようお願いします。高く厳しい所を軽く触れて、畏れに堪えません。これでやめます。某は二度拝みます。
夾注 1
兩崔任相國。
二人の崔相国と任相国である。