いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻27

都から見舞いをくれた全・朴の二友に答えて手ずから書いた文答全朴兩友生自京師致問手書

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 178字 · 朗読 1.9分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻27 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

某啓。蒙千里致問。驚奉手敎。備認兩君雅履動止佳勝。感慰交極。官軍。今月某日。離東京入雲門山屯住。草賊亦小弭。軍中無餘事。但掘松下新菌。煨火中喫啖。甚佳。僕本書生。不閑弓馬。偶爲驅逼。以怯膽從軍。初甚股戰。漸習軍旅間其所謂彎弓走馬。近亦稍稍。若用此播士林。必供一場大笑。但楯上草檄。緣煎爍矢石中。眊眊然不若平昔酣醉時下筆迅速。然亦不至遲鈍。粗免長官訶詰耳。有的便更通家信。甚幸。廻使忙遽。不得悉意。惟冀萬萬各自愛。惶恐頓首。

某が申し上げます。

千里から見舞いを送ってくださり、驚いて手ずから書かれた文を頂きました。お二方のお暮らしの歩みと動きが良いことを備えて知りましたから、有り難さと慰めがともに至りました。

官軍は今月の某日に東京を発って雲門山に入って陣を張り、とどまっています。野の賊も少し静まって、軍中に別の事はありません。ただ松の下の新しい茸を採って火に埋めて焼いて食べると、たいへん良いものです。

私はもともと文をする人ですから、弓と馬に慣れていません。たまたま追い立てられて、臆病な胆で軍に従ったので、初めはひどく脚が震えました。軍のあいだでいわゆる弓を引き馬を走らせることを次第に習って、近ごろはまた少しずつできてきます。これを士たちのあいだに広めれば、必ず一場の大きな笑いものになるでしょう。

ただ、盾の上で檄を草するのは、矢と石が炒り立てるなかで目が暗くて、以前に興じて酔ったときに筆を速く下ろしたのには及びません。しかし、また遅く鈍いところまでは至らず、上官の咎めは大まかに免れます。

ふさわしい便があれば、また家の知らせを伝えてくださればたいへん幸いです。帰る便が急いでいて、思いを尽くせません。ただ、どうかどうか、それぞれ身を大切にされるよう願います。畏れながら頭を下げます。

夾注 1

東京 — 高麗のときの慶州である。― 訳者