いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻31

金紫光祿大夫・知門下省事・戶部尚書・集賢殿大學士を拝したことを謝する表同前謝表

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 236字 · 朗読 2.6分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻31 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

云云。器盈則傾。乞避論思之位。汗出不返。申加慰藉之詞。祗服訓書。唯知感涕。伏念臣受資褊狷。臨事迂疏。所自業者文章。猶未擅彫龍之手。矧不閑於軍旅。何嘗有汗馬之功。環顧一身。略無片效。旣不適方圓之用。又莫斟進退之機。晚涉末寮。已甘微分。豈謂尫殘之物。得遭明聖之朝。凡荷遷除。輒超資級。故立登於要路。得徑到於巍階。方佩銀章。光拜鴻樞之寵。遽腰金印。超參鳳閣之遊。坐席未溫。頭銜忽改。況學士之稱大。本書生之所高。顧有何能。獲叨玆選。此蓋云云。求善如不及。用人取所長。至令疲曳之軀。與沐殊尤之命。臣敢不夙夜匪懈。夷險勿渝。蕞爾之材。雖棟梁之莫中。確然之志。與金石以不移。云云。

云々。器が満ちれば傾きますので、論じ思う地位を避けることをお願いしましたのに、流した汗は戻らないと仰せられて、重ねてお慰めのお言葉を加えてくださいました。つつしんでお教えの書を頂き被って、ただ感激して涙を流すことしか知りません。

伏して思いますに、臣は生まれつきが狭く急で、事に臨んでは迂闊で粗いのです。自ら業としたのは文章であるのに、なお竜を彫るような手並みを振るえず、まして軍の事に慣れておりませんので、どうして馬に汗をかかせた功がありましょうか。一身を見回しても、ひとかけらの働きさえほとんどありません。すでに四角く丸い用に適わず、また進み退きの機会も量れません。遅れて末の官に足を踏み入れて、すでに微かな分を甘んじて受けておりました。

どうして痩せ衰えた物が、明らかで尊い朝廷に遭うと思いましたでしょうか。およそ移し任じてくださるのを負うたび、そのたびに品階を飛び越えました。ですから立ったまま要の道に昇り、近道で高い階に至りました。ちょうど銀の印を帯びて、輝かしく枢密院のご寵愛を拝し受けたところへ、たちまち金の印を腰に帯びて、飛び越えて鳳閣の遊びに連なりました。座った席が温まる間もなく、官の名がたちまち改まりました。

まして学士という称えは大きく、もとより書を読む士が尊ぶものですのに、振り返ればどんな才があって、この選びを僭して受けたのでしょうか。

これはおおよそ云々。善い人を求められることが及ばないかのようであり、人を用いるには優るところを取られて、疲れ引きずる身までも、人並み外れたご命令に浴させてくださった、ということです。

臣がどうして早朝から夜まで怠らず、平らかであれ険しかれ変わらずにおられましょうか。些細な材は柱や梁には適わないとしても、固い志だけは、金や石のように移りません。云々。

夾注 1

中謝。

ここに中謝、すなわち謝意を述べる言葉が入る。