いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻33

平章事の柳光植が喪中に復職の命を辞退したが許さない教書平章事柳光植讓起復不允敎書

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 128字 · 朗読 1.2分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻33 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

云云。壼室畢喪。雖或存於古制。墨縗從事。蓋亦徇其時。宜卿飾行私門。服休朝列。奉君竭力。朕所飽嘗知之。事母盡心。人亦無間言者。頃丁憂釁。幾滅性情。百日已周。例可居於奮職。一封遽抗。固欲守於常經。此則拘迫細行。而非所望於卿也。況卿逮鶴髮之在堂。入龍池而拜相。玆又孝之極也。尙何憾之有哉。宜抑慘傷。往膺寵命。云云。

云云。

家の中で喪の期を終え尽くすことは古の制にあるとはいえ、墨の喪服で事に就くこともまたその時に順ったものであるから、それでよい。

卿は私の家で行いを修め、朝廷の列で美しさに浴した。君を奉じて力を尽くすことは朕が存分に経験して知っており、母に仕えて心を尽くすことは人も隔てを言う者がない。

先に喪に遭って、ほとんど性情を失うばかりであった。百日がもう巡ったのだから、例として再び職に奮い立てるはずなのに、一通の文をふいに差し出して、固く常の経を守ろうとする。これは細かな行いに縛られたことであって、卿に望んでいたところではない。

まして卿は白髪の親が家におられるうちに宮中に入って宰相を拝したのだから、これもまた孝の極みである。何の心残りがあろう。当然、悲しみを抑えて、行って寵の命を受けよ。

云云。