いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻36

同じ方の哀冊文同前哀冊文

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 290字 · 朗読 2.8分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻36 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

維大歲丁酉七月二十九日戊寅。敬穆賢妃金氏。感疾薨于社堂里之私舍。卽移殯于京南之本第。越十月初七日乙酉。葬于嘉陵。禮也。龜兆叶時。鷖軒戒道。捨爾金屋。卽于松阡。禮視后儀。光生國路。念儲闈之摽擗。增予志之痛悲。何以寵之。唯此詞耳。其詞曰。天降金櫃。慶源肇啓。的脈相承。爾則其裔。外家維何。世誓帶礪。積善所鐘。流芳不替。婉婉淑媛。柔順且惠。如蘭之秀。如玉之麗。儷體元儲。符會神契。謂宜承家。而克永世。云何不祿。倏然長逝。二七來嬪。二八迺去。其間相距。能有幾許。一刹那頃。哀榮皆備。亦旣爲國。篤生繼嗣。孰又擠之。奄忽至此。噫。要其賢德。人天一揆。帝豈有命。遽迫致耶。嗚呼哀哉。行色不停。壽原漸邇。聽嘶挽其齊揚。望搖旌其曷指。風凄切兮相哀音。煙慘澹兮增愁思。吁可言哉。從此邈矣。伊朕之痛如玆。元子之志何似。嗚呼哀哉。

丁酉の年七月二十九日戊寅に、敬穆賢妃の金氏が病を得て社堂里の私邸で亡くなった。すぐ都の南の本邸に殯を移し、十月七日乙酉に嘉陵に葬った。礼にかなったことである。

亀卜の兆しが時にかない、霊柩の車が道に出る支度をする。そなたの金の屋を捨てて、松の立つ墓道へ向かう。礼は后の儀にならうので、国の路に光が生まれる。東宮が胸を打って嘆くことを思うと、私の心の痛みも増す。何をもってそなたを寵しようか。ただこの詞だけである。その詞はこうである。

天が金の櫃を下されて、慶びの源がはじめて開かれた。 その脈はありありと受け継がれ、そなたはその末である。 外家はどのような家か。代々、国と帯と砥石の誓いを交わした家である。 積んだ善の集まるところ、芳しい名は絶えることがない。 たおやかで麗しい淑女よ、柔らかく順やかで、恵み深かった。 蘭のように秀で、玉のように麗しかった。 東宮の身に添い、神妙な契りが合ったかのようであった。 当然、家を承けて永く世を保つであろうと思っていた。 それがどうして禄を享けられず、たちまち長く逝ってしまったのか。 十四で嫁ぎ、十六で去った。 その間はどれほどであったろうか。 一刹那のあいだに、哀しみも栄えもみな備わった。 また国のために、跡を継ぐ子を篤く生んだ。 誰がまた押しのけたのか、たちまちここに至ってしまった。

ああ、その賢さと徳をはかれば人も天も同じ道理であるのに、天にどのような命があって、こうも急に迫ったのか。ああ、哀しい哉。

行く歩みは止まらず、寿の原がしだいに近づく。 挽歌の声がそろって上がるのを聞き、揺れる旌がどこを指すのかと眺める。 風は凄まじく切なく哀しい音に和し、煙は惨く澹くして愁いの思いを増す。 ああ、何と言おうか。これより先は遥かである。

私の痛みがこのようであるのに、元子の心はいかばかりであろうか。ああ、哀しい哉。