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公山大王に謝する祭文公山大王謝祭文

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 254字 · 朗読 2.2分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻38 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

云云。今月某日。賊魁等克就擒獲。授首于我軍。是日也幕府寮佐輩槌牛擔酒。大設公宴。將以賀我也。於是。自偏將至于士卒。桓桓赳赳。熊步虎視。卓紅旌竪白刃。鳴鍾撾皷。吹笙皷瑟。申以百戱之伎。鋪列軍門。序立旅進。將以樂我也。予憮然遏止之曰。若等以賊滅歸功於我耶。此則公山大王所以爲國家辨列于皇天上帝。假手於官軍使然也。予豈敢貪天之功。攘神之力。奪三軍之勞。自尸大美。首享玆樂耶。遂麾而却之曰。乃等先以牲幣黍稷之奠。陳樂府軍容。悉如今日所排比者。用樂我大王。還以享予。則予亦快意受若之宴勞不辭也。於是。寮屬等逡巡而退。先齋三日。藏此典祀以報我。然後遣以心腹之使。致敬祭于大王之靈。大王忍不享玆誠耶。云云。

云々。今月某日、賊の魁らがついに擒えられ、我が軍に首を授けました。この日、幕府の寮佐たちが牛を槌き酒を担いできて、大いに公の宴を設け、私を賀そうとしました。

そこで偏将から士卒に至るまで、桓々赳々として熊のごとく歩み虎のごとく視、紅い旌を卓て白い刃を竪て、鐘を鳴らし鼓を撾ち、笙を吹き瑟を鼓し、百戯の伎まで加えて軍門に鋪き列ね、序に立ち旅して進み、私を楽しませようとしました。

私は憮然としてこれを遏め止め、言いました。「お前たちは賊を滅ぼした功を私に帰そうというのか。これは公山大王が国家のために皇天上帝に弁じ列ねられ、官軍に手を仮してそうさせてくださったのだ。私がどうして天の功を貪り、神の力を攘め、三軍の労を奪って、自ら大きな美しさを尸り、先にこの楽を享けられようか。」

ついに手を麾って却け、言いました。「お前たちはまず牲と幣と黍稷の供え物を陳べ、楽府と軍容を、今日に排き比べたものとそっくり同じに整えて、我が大王を楽しませよ。そして還って私に享けさせれば、私もまた快く心から、お前たちの宴の労いを受けて辞退しない。」

そこで寮属たちは逡巡して退き、まず三日斎戒して、この典の祀りを蔵え整えて私に報いました。そののち、心腹の使いを遣わして、敬いを尽くして大王の霊に祭りを捧げます。大王は忍んでこの誠を享けられずにおられましょうか。云々。