いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻9
病のなかで独り座り、ふさいだ懐いで長短句一首を得たが、見せるところがないので李侍郎に贈る病中獨坐鬱懷。得長短句一首。無處寄示。因贈李侍郞。
東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻9 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。
脚輭行未得。久積心中鬱。申之目又昏。已矣遮老物。今朝瞥起念。擬欲身生兩翮橫出六合飛奮逸。下則超江海。上焉摩日月。此亦一何狹。不南不北無彼無此是迺道之實。子曾知我心。胡爲反得此摧屈。
脚が弱って歩けず 心のうちのふさぎが長く積もった そのうえ眼まで昏いので もうおしまいだ、この老いた物は 今朝ふと思いが起こり この身に二つの翼が生え、天地四方を横切って力強く飛び立つことを願った 下へは江と海を跳び越え 上へは日と月を掠めるだろう これもまたなんと狭いことか 南でもなく北でもなく、あれもなくこれもないことこそが道の実である 君はかつて私の心を知っているのに 私はどうしてかえってこのように摧かれ屈したのか
夾注 1
摧屈 — 摧かれた者をこの詩を受ける李侍郎と見て「君はどうして」と読むこともある。篇全体が自分の脚と眼を嘆く文であるため、作者自身と取った。 ― 訳者