いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻12

崔宗藩が判小府事を拝したことを謝する表崔宗藩謝判小府事表

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 186字 · 朗読 2.1分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻12 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

云云。秩視月卿。署稱泉府。循涯未副。聞命若驚。伏念臣器本庸虛。性惟昏蔽。濫收科第。反慙附贅於儒林。夙涉班聯。蓋藉餘膏於世祿。自從先代。常侍內庭。每瞻龍衮之光。榮則多矣。未側蛾眉之列。意頗慊如。及値聖辰。始參法從。五年掌制。訖無典麗之詞。三載司刑。莫有端詳之聽。自惟曠職。猶恐興譏。復墮眷於九重。特崇資於三品。此蓋云云。摠包微薄。務廣聰明。故令樗散之資。與沐露濡之澤。臣敢不益硏素履。痛礪初心。旣竭吾才。勺水儻裨於海大。不渝其節。貞松堪耐於歲寒。云云。

云云。位階は月卿に比し、役所は泉府と称します。自分の分際を量りますと釣り合わず、命を聞いて驚いたようでした。

伏して思いますに、臣は器がもとより拙く空しく、性はただ暗く塞がっております。みだりに科挙に合格しましたので、かえって儒林に無用の贅として付いていることが恥ずかしく、早く官の列に入ったのは、おおよそ代々受け継ぐ禄の残りの脂に寄りかかったからです。先代から常に宮中に侍って、いつも龍の衣の輝きを仰ぎましたので栄えは多くありましたが、まだ蛾眉の列に加わることができず、心はいささか物足りなく思っておりました。

聖上の御代に出会ってはじめて、君にお従いする列に入りました。五年のあいだ詔を作る職を掌りましたが、ついに法度にかなって美しい文はなく、三年のあいだ刑を司りましたが、正しく詳しく聴いて裁くことができませんでした。みずから職を空しくしたと思って、なお嘲りが起こることを恐れておりましたのに、ふたたび九重の宮の御目をかけてくださり、特に三品の位階に高めてくださいました。

これはおおよそ云云。微かで薄いものまですべて包まれ、聡明を広げることに努められたので、役に立たぬ樗のような質にも、露に濡れるような恩沢をともに受けさせてくださったのです。

臣はどうして平生の行いをいよいよ研ぎ、初めの心を痛いほど磨かずにおられましょうか。すでに我が才を尽くして、一杯の水でも海の大きさに足しになることを願い、その節を変えず、まっすぐな松が歳の寒さに耐えるようにいたします。云云。

夾注 1

已上二首。皆昔所著。今方拾得。未附前集。

右の二編はいずれも昔に作ったものだが、今になって拾い得た。全集には付けることができなかった。