いにしえの文 › 桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) › 巻1 表

還宮の日に歌や楽を進めさせなかったことを賀する表賀回駕日不許進歌樂表

桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) 桂苑筆耕集 · 崔致遠(チェ・チウォン) · 886年(唐・中和6年 · 新羅・憲康王12年) · 段落 1 · 漢字 267字 · 朗読 1.1分

桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) 巻1 表 崔致遠が唐の淮南節度使・高駢の幕府で四年のあいだ書いた文章のうちから自ら選び、二十巻に編んで886年に新羅の憲康王に奉った文集。皇帝に奉った表と状、黄巣を責めた檄文、諸々の節度使に送った手紙、部下に下した委曲と挙牒、道教の斎詞と仏教の斎文、祭文、成都の羅城と安南の絵に付けた記、そして高駢に奉った啓と詩まで366編が収められている。「臣は新羅の人です」で始まる最初の啓と、「天下の人がおまえを殺そうとするだけでなく、地の底の鬼神までもおまえを斬ることを議した」という討黄巣檄文がここにあり、最後の巻は十二歳で離れた故郷へ帰る船路で作った詩である。今に伝わる韓国人の文集のうち最も古いもので、1834年に洪奭周と徐有榘が活字で刷るにあたり「我が東方の文章の根本であり始まりである」と述べた。その二つの序文も併せて訳した。

1帰る道で楽と屠殺を禁じる

臣某言:臣得進奏院狀報,伏審敕旨回駕日,應沿路州縣切不得輒進歌樂及屠殺者。聲除飾喜,味減薦珍,遠遵罪已之言,深播好生之德,凡於蠢動,孰不歡呼?臣某誠忭誠躍、頓首頓首。伏惟皇帝陛下日月運行,雷雨作解,體堯舜之理能咸若,法禹湯之興必勃焉,退庭舞而撤宮懸,惡衣服而菲飲食。一慈二儉,守玄祖之格言;沐雨櫛風,禀太宗之丕訓。今則冕旒東顧,梐枑西移。師乙收心,無以逞鏗鍧之曲;庖丁斂手,何由挫觳觫之形。義感六牲,恩加萬姓。則乃蜀山力士,既無煩役之虞;漢水老人,豈有深譏之事?帝業永資於下武,物情皆慶於中興。臣方擁戎旃,阻隨仙蹕,遙思盛禮,空馳拱北之誠;願報深恩,但勵鎮南之志。無任忭躍屏營之至。謹奉表陳賀以聞,臣某誠歡誠喜、頓首頓首。謹言。

臣某が申し上げます。臣が進奏院の状報を受け取りましたところ、敕旨を伏して審らかにしますに、還駕の日、沿路の州県はけっして歌や楽を進めたり屠殺したりしてはならないとのことです。声は喜びを飾ることを除き、味は珍しいものを薦めることを減らして、遠く己を責められる言葉に従い、深く生を好む徳を広められましたので、およそ蠢き動くもののうち、誰が歓び呼ばないでいられましょう。臣某はまことに手を打ちまことに躍り、頓首頓首いたします。伏して思いますに、皇帝陛下は日月のように運行し、雷雨のように解き放たれ、堯舜の理めを体してみな順わせることができ、禹湯の興りに法って必ず勃然とされ、庭の舞を退け宮の懸を撤し、衣服を悪くし飲食を薄くされます。一に慈、二に倹という玄祖の格言を守られ、雨に沐し風に櫛るという太宗の大きな訓えを受けられます。いま冕の旒は東を顧み、梐枑は西に移されます。師乙は心を収めて鏗鍧たる曲を奏するすべがなく、庖丁は手を収めて、何によって震えおののく獣を捌けましょう。義は六つの牲を感動させ、恩は万民に加わります。それならば蜀山の力士には煩わしい役の憂いがなく、漢水の老人にどうして深く譏る事がありましょう。帝業は長く下武に資り、物の情はみな中興を慶びます。臣はまさに戎の旃を擁して仙蹕に従うことを阻まれ、遠く盛んな礼を思っては、むなしく北を拱く誠を馳せ、深い恩に報いたいと願っては、ただ南を鎮める志を励ますばかりです。手を打ち躍り恐れおののく至りに堪えません。謹んで表を奉り賀を申し上げます。臣某はまことに歓びまことに喜び、頓首頓首いたします。謹んで申し上げます。