いにしえの文 › 桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) › 巻3 狀

鍾伝を江西観察使に除せられたことに謝する状謝除鐘傳充江西觀察使狀

桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) 桂苑筆耕集 · 崔致遠(チェ・チウォン) · 886年(唐・中和6年 · 新羅・憲康王12年) · 段落 1 · 漢字 194字 · 朗読 0.8分

桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) 巻3 狀 崔致遠が唐の淮南節度使・高駢の幕府で四年のあいだ書いた文章のうちから自ら選び、二十巻に編んで886年に新羅の憲康王に奉った文集。皇帝に奉った表と状、黄巣を責めた檄文、諸々の節度使に送った手紙、部下に下した委曲と挙牒、道教の斎詞と仏教の斎文、祭文、成都の羅城と安南の絵に付けた記、そして高駢に奉った啓と詩まで366編が収められている。「臣は新羅の人です」で始まる最初の啓と、「天下の人がおまえを殺そうとするだけでなく、地の底の鬼神までもおまえを斬ることを議した」という討黄巣檄文がここにあり、最後の巻は十二歳で離れた故郷へ帰る船路で作った詩である。今に伝わる韓国人の文集のうち最も古いもので、1834年に洪奭周と徐有榘が活字で刷るにあたり「我が東方の文章の根本であり始まりである」と述べた。その二つの序文も併せて訳した。

1鍾伝と高茂卿

右臣先奏請授鍾傳江西觀察使。其高茂卿乞別除廉鎭。伏奉七月五日詔旨允許。特賜獎飾者。天從素望。風遞仙音。旣諧擧善之誠。實叶分憂之寄。伏以鍾傳比從屬郡。來援府城。撫綏而使洽衆情。禦備而能成遠略。高茂卿旣多梗阻。不免佪翔。固難掉鞅而旋。豈許垂橐而入。臣以戒之在鬪。事可從權。遂具奏論。輒陳利害。不料一言之善。遽得動天。終令二將之才。皆榮列土。鍾陵江徼。銅柱海隅。政成而必有可觀。恩重而各得其所。臣限拘鎭守。不獲稱謝行在。無任感激兢灼之至。謹奉狀陳謝以聞。謹奏。

右のとおり、臣がさきに鍾伝を江西観察使に授けることを奏し請い、その高茂卿については別に廉鎮に除せられることをお乞いしましたところ、七月五日の詔旨を伏して奉じますに、許してくださり、特に褒め称える言葉を賜りました。天はもとよりの望みに従い、風は仙の音を遞びましたので、すでに善を挙げる誠に諧い、まことに憂いを分ける寄せごとに叶いました。伏して思いますに、鍾伝は近ごろ属の郡から来て府の城を援け、撫で綏めて衆の情を洽わせ、禦ぎ備えて遠い略を成すことができました。高茂卿はすでに梗ぎ阻むことが多く、佪り翔ることを免れませんので、まことに鞅を掉って旋ることは難しく、どうして橐を垂れて入ることを許しましょう。臣は、戒めは鬪いにあり、事は権に従うことができると思って、ついに具さに奏し論じ、つい利と害を陳べたのですが、一言の善がたちまち天を動かすことを得て、ついに二人の将の才がみな土を列ねられる栄えを得ることになるとは思いませんでした。鍾陵の江の徼と銅柱の海の隅で、政が成ってきっと見るに足るものがあり、恩が重くてそれぞれその所を得ました。臣は鎮め守ることに限られて、行在所で謝を申し上げられませんので、感激しおののき灼ける至りに堪えません。謹んで状を奉り謝を申し上げます。謹んで奏します。