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宣歙の裵虔餘尚書へ — 第二宣歙裵虔餘尙書 第二
桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) 巻7 別紙 崔致遠が唐の淮南節度使・高駢の幕府で四年のあいだ書いた文章のうちから自ら選び、二十巻に編んで886年に新羅の憲康王に奉った文集。皇帝に奉った表と状、黄巣を責めた檄文、諸々の節度使に送った手紙、部下に下した委曲と挙牒、道教の斎詞と仏教の斎文、祭文、成都の羅城と安南の絵に付けた記、そして高駢に奉った啓と詩まで366編が収められている。「臣は新羅の人です」で始まる最初の啓と、「天下の人がおまえを殺そうとするだけでなく、地の底の鬼神までもおまえを斬ることを議した」という討黄巣檄文がここにあり、最後の巻は十二歳で離れた故郷へ帰る船路で作った詩である。今に伝わる韓国人の文集のうち最も古いもので、1834年に洪奭周と徐有榘が活字で刷るにあたり「我が東方の文章の根本であり始まりである」と述べた。その二つの序文も併せて訳した。
1親の養いのため詔を辞した表を見て
特垂手筆榮函。兼示陳情表藁。捧尋無斁。欣賀有餘。且近者時風僅訛。孝道多缺。事親則薄。奉己爲先。只將奔競榮身。不以違離介意。今睹尙書遠辭徵詔。懇致奏章。敍向來爲國分憂。不矜茂績。請從此於家就養。實稟格言。況尙書若赴行朝。必登相位。而乃不親梅鼎。願奉板輿。是逃台衮之榮。唯戀斑衣之樂。永使李密之表。萬古齊名。仍令束晳之詩。千秋長價。有以見聿修令問。橫勵時流。豈唯上德之美譚。實乃中興之盛事。拜賀末由。但切攀依之至云云。
特に手ずからの筆による栄えある函を垂れられ、あわせて陳情の表の藁をお示しくださいましたので、捧げ尋ねて斁きることなく、欣び賀することに余りがあります。そのうえ近ごろは時の風がすっかり訛って、孝の道に缺けるところが多く、親に事えることは薄く、己を奉ずることを先として、ただ奔り競って身を栄えさせ、違い離れることを意に介さないのに、いま尚書が遠く徴しの詔を辞され、懇ろに奏の章を致されて、これまで国のために憂いを分けたことを敍べながら茂んな績を矜らず、これから家で養いに就くことをお請いになるのを覩ますと、まことに格言を稟けられたものです。まして尚書が行在の朝に赴かれれば、必ず相の位に登られるでしょうに、梅の鼎を親しまず、板の輿を奉じたいと願われるのですから、これは台と袞の栄えを逃れて、ただ斑の衣の楽しみを慕われるのであって、長く李密の表と万古に名を齊しくし、さらに束晳の詩に千秋の価を長くさせるものですので、聿に修められた令い問いが、時の流れを横ぎって励ますさまが見えます。どうして上なる徳の美しい語り草であるだけでしょう。まことに中興の盛んな事です。拝して賀する由もなく、ただ攀じ依る至りが切です。云々。