いにしえの文 › 桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) › 巻12 委曲

滁州の許勍へ ― 浙西が秦彦を誘っている滁州許勍

桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) 桂苑筆耕集 · 崔致遠(チェ・チウォン) · 886年(唐・中和6年 · 新羅・憲康王12年) · 段落 1 · 漢字 204字 · 朗読 0.8分

桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) 巻12 委曲 崔致遠が唐の淮南節度使・高駢の幕府で四年のあいだ書いた文章のうちから自ら選び、二十巻に編んで886年に新羅の憲康王に奉った文集。皇帝に奉った表と状、黄巣を責めた檄文、諸々の節度使に送った手紙、部下に下した委曲と挙牒、道教の斎詞と仏教の斎文、祭文、成都の羅城と安南の絵に付けた記、そして高駢に奉った啓と詩まで366編が収められている。「臣は新羅の人です」で始まる最初の啓と、「天下の人がおまえを殺そうとするだけでなく、地の底の鬼神までもおまえを斬ることを議した」という討黄巣檄文がここにあり、最後の巻は十二歳で離れた故郷へ帰る船路で作った詩である。今に伝わる韓国人の文集のうち最も古いもので、1834年に洪奭周と徐有榘が活字で刷るにあたり「我が東方の文章の根本であり始まりである」と述べた。その二つの序文も併せて訳した。

1信がなければ立たない

報許勍。語曰。兵食可去。無信不立。則知守信之道。乃是立身之本歟。苟若壞隳。自爲顚覆。訪知近日。浙西周相公頻差上元鎭使馬曁。專齎書曲。兼將金銀。送到和州。說誘秦彦。令歸浙岸。許授霅川。信使繼來。事情甚細。則未知秦彦終欲如何。且浙西素泛勳勞。驟沾恩寵。謂得長久。遽爲驕矜。殊不知人盡指楹。鬼多瞰室。惡旣天稔。道唯日亡。今更阻絶我通津。動搖我屬郡。已乖衆議。可見前途。以勍直木千尋。精金百鍊。固無憂於邪曲。終不改於貞剛。況乃邦媛相隨。家肥是保。永除異慮。必享同榮。或恐未審浙西所爲。先此告示。悉之。

許勍に報せる。言葉に「兵と食は捨てられるが、信がなければ立たない」とある。であれば、信を守る道が、すなわち身を立てる根本だと分かる。もしそれを崩せば、みずから覆る。探り知ったところでは、近ごろ浙西の周相公が、しばしば上元鎮使の馬曁を遣わして、ひとえに書状を携え、あわせて金銀を持たせ、和州に至って秦彦を誘い、浙江の岸へ帰らせようとし、霅川を授けることを許して、使いが続けて来ており、事情はきわめて細かいという。秦彦がついにどうするつもりかはまだ分からない。また浙西は、もとより勲労に余って、たちまち恩寵に浴し、長く続くと思って、にわかに驕り高ぶった。人はみな柱を指し、鬼は多く室をうかがい、悪がすでに天に熟せば、道はただ日々に亡ぶことを、まったく知らない。今またわが通う津を遮り断ち、わが属郡を揺さぶるのだから、すでに人々の議に背いており、前途は見えている。勍は千尋の直き木、百たび鍛えた精金であるから、まことに邪や曲には憂いがなく、ついに貞しく剛きを改めることはあるまい。まして国の美しい人が互いに随い、家の肥えを保っているのだから、長く別の心配を除けば、必ずともに栄えを享けよう。あるいは浙西のすることをまだ詳しく知らないかと思って、まずこれを告げ示す。よく心得よ。

夾注 1

原文は「語曰」とのみ言う。『論語』顔淵篇の言葉である。 ― 訳者