いにしえの文 › 桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) › 巻18 書狀啓

生日の物を献ずる状獻生日物狀

桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) 桂苑筆耕集 · 崔致遠(チェ・チウォン) · 886年(唐・中和6年 · 新羅・憲康王12年) · 段落 1 · 漢字 285字 · 朗読 1.1分

桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) 巻18 書狀啓 崔致遠が唐の淮南節度使・高駢の幕府で四年のあいだ書いた文章のうちから自ら選び、二十巻に編んで886年に新羅の憲康王に奉った文集。皇帝に奉った表と状、黄巣を責めた檄文、諸々の節度使に送った手紙、部下に下した委曲と挙牒、道教の斎詞と仏教の斎文、祭文、成都の羅城と安南の絵に付けた記、そして高駢に奉った啓と詩まで366編が収められている。「臣は新羅の人です」で始まる最初の啓と、「天下の人がおまえを殺そうとするだけでなく、地の底の鬼神までもおまえを斬ることを議した」という討黄巣檄文がここにあり、最後の巻は十二歳で離れた故郷へ帰る船路で作った詩である。今に伝わる韓国人の文集のうち最も古いもので、1834年に洪奭周と徐有榘が活字で刷るにあたり「我が東方の文章の根本であり始まりである」と述べた。その二つの序文も併せて訳した。

1海東の薬物を軽々しく献じて

某啓。伏以降跡仙山。爲行恩於俗界。挺神維嶽。期定亂於危時。是以杞梓材長。松春壽永。名字已標於金籙。兵符暫理於玉鈐。伏惟太尉相公員嶠稟靈。尼丘誕質。大任天降。中庸日彰。四夷識傾膽之門。遠棲仁蔭。萬姓歸返魂之域。盡飽德馨。況今秦甸停氛。鎬京聚孼。息虎旅奔沈之患。望豹篇擒縱之機。暫施決勝之謀。永致昇平之運。則必坐寧環海。後當去會瑤池。五色輕雲。鎭隨行止。千年素鶴。競效驅馳。獨保長生。却登眞位。調鼎佐玉皇之命。銜杯聽金母之歌。自此漢室公卿仰羨而空知望斷。仙家朋友相逢而不訝來遲。某居近鼇峯。遇深驥坂。每睹張良之術。唯吟郭璞之詩。喜對今辰。敢陳善祝。龜蛇病骨。叨承救活之恩。雞犬癡心。竊有奮飛之望。下情無任虔禱依攀欣抃之至。輒以海東藥物。輕黷尊嚴。謹具別幅。伏惟俯賜念察。謹狀。

某が申し上げます。伏して思いますに、仙の山から跡を降されたのは、俗の界に恩を行うためであり、嶽に神を挺かせたのは、危うい時に乱を定めることを期してのことです。ですから杞と梓は材が長く、松の春は寿が永く、名と字はすでに金の籙に標され、兵の符はしばらく玉の鈐で理められています。伏して惟みますに、太尉相公は、員嶠に霊を稟け、尼丘に質を誕まれ、大いなる任が天から降り、中庸が日ごとに彰われ、四夷は胆を傾ける門を識って遠く仁の蔭に棲み、万姓は魂を返す域に帰って、ことごとく徳の馨りに飽いています。まして、いま秦の甸に氛が停まり、鎬の京に孼が聚まっているので、虎の旅が奔り沈む患いを息ませ、豹の篇の擒え縦つ機を望みます。しばらく勝ちを決する謀を施して、永く昇り平らぐ運を致されたなら、必ず坐したまま環なす海を寧んじたのちに、去って瑤の池に会われるでしょう。五色の軽い雲がつねに行き止まるに随い、千年の素い鶴が競って駆り馳せられることに効い、独り長生を保って、かえって真の位に登り、鼎を調えて玉皇の命を佐け、杯を銜んで金母の歌を聴かれるでしょう。これより漢の室の公卿は仰ぎ羨みながら、いたずらに望みの断たれたことを知り、仙の家の朋友は相い逢っても、来るのが遅かったことを訝らないでしょう。某は居が鼇の峯に近く、遇うことが驥の坂に深いので、つねに張良の術を覩て、ただ郭璞の詩を吟じます。喜んで今日の辰に対かって、あえて善い祝いを陳べます。亀や蛇のような病んだ骨が、分不相応に救い活かされる恩を承け、鶏や犬のような癡かな心が、ひそかに奮い飛ぶ望みを有ちます。下の情は虔み禱り、依り攀り、欣び抃つ至りに堪えません。たちまち海東の薬物をもって、軽々しく尊厳を黷しますので、謹んで別の幅を具えます。伏して惟みますに、俯いて念い察することを賜ってください。謹んで状を申し上げます。