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太尉に上る別紙 — その四上太尉別紙

桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) 桂苑筆耕集 · 崔致遠(チェ・チウォン) · 886年(唐・中和6年 · 新羅・憲康王12年) · 段落 1 · 漢字 132字 · 朗読 0.5分

桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) 巻20 別紙 崔致遠が唐の淮南節度使・高駢の幕府で四年のあいだ書いた文章のうちから自ら選び、二十巻に編んで886年に新羅の憲康王に奉った文集。皇帝に奉った表と状、黄巣を責めた檄文、諸々の節度使に送った手紙、部下に下した委曲と挙牒、道教の斎詞と仏教の斎文、祭文、成都の羅城と安南の絵に付けた記、そして高駢に奉った啓と詩まで366編が収められている。「臣は新羅の人です」で始まる最初の啓と、「天下の人がおまえを殺そうとするだけでなく、地の底の鬼神までもおまえを斬ることを議した」という討黄巣檄文がここにあり、最後の巻は十二歳で離れた故郷へ帰る船路で作った詩である。今に伝わる韓国人の文集のうち最も古いもので、1834年に洪奭周と徐有榘が活字で刷るにあたり「我が東方の文章の根本であり始まりである」と述べた。その二つの序文も併せて訳した。

1乳山で十日風を待つうちに冬に入って

某舟船行李。自到乳山。旬日候風。已及冬節。海師進難。懇請駐留。某方忝榮身。唯憂辱命。乘風破浪。旣輸宗愨之言。長楫短篙。實涉惠施之說。雖仰資恩煦。不憚險艱。然正値驚波。難踰巨壑。今則已依曲浦。暫下飛廬。結茅茨以庇身。糝藜藿而充腹。候過殘臈。決撰行期。若及春日載陽。必無終風且暴。便當直帆。得遂榮歸。謹具別狀啓申。伏惟云云。

私の船と旅荷は、乳山に着いてから十日のあいだ風を待つうちに、すでに冬の節気に入り、船頭が進むのは難しいと言って、留まることを切に請います。私はいま身を栄えさせていただいているので、ただご命令を辱めることだけが心配で、風に乗り波を破るというのはすでに宗愨の言葉を差し上げたことになり、長い櫓と短い竿とは、まことに惠施の説に掛かります。お恵みの温かさに仰いで拠り、険しさを嫌いはしませんが、ちょうど荒れた波に出会って大きな谷を越えがたく、今はすでに曲がった浦に寄って、しばらく船上の楼から降り、茅の屋を結んで身を覆い、あかざと豆の葉を混ぜて腹を満たしながら、残る十二月が過ぎるのを待って、出発の日を定めようとしています。春の日に陽が載れば、必ず一日吹き荒れる風もないでしょうから、すぐに帆をまっすぐ上げて、栄えある帰郷を果たすことができましょう。謹んで別に状を具えて申し上げます。伏して思いますに、云々。