いにしえの文 › 韓非子(韓非の書)

喻老

韓非子(韓非の書) 韓非子 · 韓非と後学 · 紀元前3世紀 · 段落 22 · 漢字 2,836字 · 朗読 11.3分

韓非子(韓非の書) 法家が一堂に集まった書である。商鞅の法と申不害の術と慎到の勢を、韓非が受け継いで一つに編んだ。人は善だから善なのではなく、悪をなしえないから善であると見て、君主が頼るべきは仁ではなく法と術と勢であると説く。 矛盾がここから出た。貫けない盾と貫けないものがない矛を一緒に売る楚の人の話で、堯と舜をともに称えることはできないことを示し、難勢でもう一度、仁と勢をめぐって同じたとえを挙げる。切り株を守って兎を待った宋の人(守株待兎)と、足を二度切られてはじめて玉と認められた和氏の璧も、この書の話である。 語ることの難しさを扱った説難には、龍の喉の下に逆さに生えた鱗の話がある。君主にもそのような鱗があり、触れれば死ぬというのだが、当の韓非自身が秦で獄に捕らわれて死んだ。 存韓には、韓非が秦王に奉った文と、そのすぐ後に李斯が「韓非は韓のために来た者なので、帰してはならない」と奉った文が並べて収められている。一人を死に追いやった文書が、その人の書に一緒に残った。

天下有道,無急患,則曰静,遽傳不用。故曰:「却走馬以糞。」天下無道,攻擊不休,相守數年不已,甲胄生蟣虱,鷰雀處帷幄,而兵不歸。故曰:「戎馬生於郊。」

天下に道があれば急な患いがなく、静かだといい、駅伝の急使は用いられない。だから「走る馬を退けて肥やしを運ばせる」という。天下に道がなければ攻め合いが休まず、互いに数年にらみ合ってもやまない。鎧と兜に虱と卵がつき、燕や雀が陣の幕に巣をかけても、兵は帰れない。だから「軍馬が郊で子を産む」という。

翟人有獻豐狐、玄豹之皮於晉文公。文公受客皮而歎曰:「此以皮之美自爲罪。」夫治國者以名號爲罪,徐偃王是也;以城與地爲罪,虞、虢是也。故曰:「罪莫大於可欲。」

翟の人が肥えた狐と黒い豹の皮を晋の文公に献じた。文公は客の皮を受け取ってため息をつき、言った。「これらは皮が美しいせいでみずから罪を得たのだ。」国を治める者が名や称号のために罪を得るのは徐の偃王がそれであり、城と地のために罪を得るのは虞と虢がそれである。だから「罪は欲しうるものより大きなものはない」という。

智伯兼范、中行而攻趙不已,韓、魏反之,軍敗晉陽,身死高梁之東,遂卒被分,漆其首以爲溲器。故曰:「禍莫大於不知足。」

智伯は范氏と中行氏を併せてもなお趙を攻めてやまず、韓と魏が寝返った。軍は晋陽で破れ、身は高梁の東で死に、ついにその地は分けられ、その首は漆を塗られて小便の器にされた。だから「災いは足ることを知らないことより大きなものはない」という。

虞君欲屈産之乘與垂棘之璧,不聽宮之奇,故邦亡身死。故曰:「咎莫憯於欲得。」

虞の君は屈産の四頭立てと垂棘の璧を欲しがって宮之奇の言を聞かず、だから国は滅び身は死んだ。だから「咎は得ようと欲することより惨いものはない」という。

邦以存爲常,霸王其可也;身以生爲常,富貴其可也。不以欲自害,則邦不亡,身不死。故曰:「知足之爲足矣。」

国は存えることを常とすれば覇王となれる。身は生きていることを常とすれば富み貴くなれる。欲でみずからを害さなければ、国は滅びず身は死なない。だから「足ることを知ることが足ることである」という。

楚莊王既勝,狩于河雍,歸而賞孫叔敖。孫叔敖請漢間之地,沙石之處。楚邦之法,祿臣再世而收地,唯孫叔敖獨在。此不以其邦爲收者,瘠也,故九世而祀不絶。故曰:「善建不拔,善抱不脫,子孫以其祭祀世世不輟。」孫叔敖之謂也。

楚の荘王はすでに勝ち、河雍で狩りをしてから帰り、孫叔敖に賞を与えた。孫叔敖は漢水のあいだの地、砂と石の多いところを願った。楚の国の法では、臣の禄は二代を過ぎれば地を取り上げるのに、ただ孫叔敖の家だけが残った。これはその国が取り上げなかったからで、地が痩せていたからである。だから九代を経ても祭祀が絶えなかった。だから「よく建てたものは抜かれず、よく抱いたものは脱けない。子孫がその祭祀を代々やめない」という。孫叔敖のことを言っているのである。

制在己曰重,不離位曰静。重則能使輕,静則能使躁。故曰:「重爲輕根,静爲躁君。」故曰「君子終日行,不離輜重」也。邦者,人君之輜重也。主父生傳其邦,此離其輜重者也,故雖有代、雲中之樂,超然已無趙矣。主父,萬乘之主,而以身輕於天下。無勢之謂輕,離位之謂躁,是以生幽而死。故曰:「輕則失臣,躁則失君。」主父之謂也。

制が自分にあることを重いといい、位を離れないことを静かという。重ければ軽いものを使え、静かであればせわしいものを使える。だから「重きは軽きの根、静けさはせわしさの君である」といい、また「君子は終日歩いても荷車を離れない」という。国は君主の荷車である。主父は生きているうちにその国を譲った。これはその荷車を離れたのである。だから代や雲中の楽しみがあっても、あっというまにもう趙は手元になかった。主父は万乗の主でありながら、我が身を天下より軽んじた。勢いがないことを軽いといい、位を離れることをせわしいという。だから生きながら幽閉されて死んだ。だから「軽ければ臣を失い、せわしければ君を失う」という。主父のことを言っているのである。

勢重者,人君之淵也。君人者,勢重於人臣之間,失則不可復得也。簡公失之於田成,晉公失之於六卿,而邦亡身死。故曰:「魚不可脫於深淵。」賞罰者,邦之利器也,在君則制臣,在臣則勝君。君見賞,臣則損之以爲德;君見罰,臣則益之以爲威。人君見賞,而人臣用其勢;人君見罰,人臣乘其威。故曰:「邦之利器,不可以示人。」

勢いと重みは君主の淵である。人の上に立つ者が臣たちのあいだで勢いと重みを失えば、二度と取り返せない。簡公は田成に失い、晋の君は六卿に失って、国は滅び身は死んだ。だから「魚は深い淵を離れられない」という。賞と罰は国の利器である。君の手にあれば臣を制し、臣の手にあれば君に勝つ。君が賞を見せれば、臣はそれを削って自分の徳とする。君が罰を見せれば、臣はそれに足して自分の威とする。君主が賞を見せれば臣はその勢いを使い、君主が罰を見せれば臣はその威に乗る。だから「国の利器は人に見せてはならない」という。

越王入宦於吳,而觀之伐齊以弊吳。吳兵既勝齊人於艾陵,張之於江、濟,強之於黄池,故可制於五湖。故曰:「將欲翕之,必固張之;將欲弱之,必固強之。」晉獻公將欲襲虞,遺之以璧馬;知伯將襲仇由,遺之以廣車。故曰:「將欲取之,必固與之。」起事於無形,而要大功於天下,「是謂微明」。處小弱而重自卑損,謂「弱勝強」也。

越王は呉に入って使役を受けながら、呉が斉を討ってみずから疲れるのを見ていた。呉の兵がすでに艾陵で斉の人に勝ち、江水と済水に勢いを広げ、黄池で強さを誇ったからこそ、五湖で制することができた。だから「縮めようとするなら、必ずまず張らせる。弱めようとするなら、必ずまず強くさせる」という。晋の献公は虞を襲おうとして璧と馬を贈り、智伯は仇由を襲おうとして広い車を贈った。だから「取ろうとするなら、必ずまず与える」という。かたちのないところから事を起こして天下に大きな功を成す。「これを微かな明という」。小さく弱いところに身を置いて、みずから低くし削ることを重んじるのを「弱が強に勝つ」という。

有形之類,大必起於小;行久之物,族必起於少。故曰:「天下之難事必作於易,天下之大事必作於細。」是以欲制物者於其細也,故曰:「圖難於其易也,爲大於其細也。」千丈之堤,以螻蟻之穴潰;百尺之室,以突隙之煙焚。故曰:白圭之行堤也塞其穴,丈人之慎火也塗其隙,是以白圭無水難,丈人無火患。此皆慎易以避難,敬細以遠大者也。扁鵲見蔡桓公,立有間,扁鵲曰:「君有疾在腠理,不治將恐深。」桓侯曰:「寡人無。」扁鵲出。桓侯曰:「醫之好治不病以爲功。」居十日,扁鵲復見曰:「君之病在肌膚,不治將益深。」桓侯不應。扁鵲出。桓侯又不悅。居十日,扁鵲復見曰:「君之病在腸胃,不治將益深。」桓侯又不應。扁鵲出。桓侯又不悅。居十日,扁鵲望桓侯而還走,桓侯故使人問之。扁鵲曰:「疾在腠理,湯熨之所及也;在肌膚,鍼石之所及也;在腸胃,火齊之所及也;在骨髓,司命之所屬,無柰何也。今在骨髄,臣是以無請也。」居五日,桓侯體痛,使人索扁鵲,已逃秦矣。桓侯遂死。故良醫之治病也,攻之於腠理。此皆爭之於小者也。夫事之禍福亦有腠理之地,故聖人蚤從事焉。

かたちのある類は、大きいものが必ず小さいところから起こる。長く続く物は、群れが必ず少ないところから起こる。だから「天下の難しい事は必ず易しいところから起こり、天下の大きな事は必ず細かいところから起こる」という。だから物を制しようとする者はその細かいところで制する。だから「難しいことはその易しいところで図り、大きいことはその細かいところで為す」という。千丈の堤はけらや蟻の穴で崩れ、百尺の家は煙出しの隙間の煙で焼ける。だから、白圭が堤を見回るときはその穴を塞ぎ、老人が火を慎むときはその隙間を塗る。だから白圭に水の難がなく、老人に火の患いがないという。これらはみな易しいうちに慎んで難を避け、細かいうちに敬して大きなものを遠ざけたのである。扁鵲が蔡の桓公に会い、しばらく立っていて言った。「君には皮膚の浅いところに病があります。治さなければ深くなることを恐れます。」桓侯は言った。「わたしには病はない。」扁鵲は退出した。桓侯は言った。「医者は病でないものを治して功としたがる。」十日して扁鵲がまた会って言った。「君の病は肌にあります。治さなければさらに深くなります。」桓侯は応じなかった。扁鵲が退出すると、桓侯はまた不機嫌だった。十日して扁鵲がまた会って言った。「君の病は腸と胃にあります。治さなければさらに深くなります。」桓侯はまた応じなかった。扁鵲が退出すると、桓侯はまた不機嫌だった。十日して扁鵲は桓侯を見るなり背を向けて走り去った。桓侯はわざわざ人を遣わして尋ねさせた。扁鵲は言った。「病が皮膚の浅いところにあれば、温めと湿布が届きます。肌にあれば、鍼と石が届きます。腸と胃にあれば、火で煎じた薬が届きます。骨の髄にあれば、命を司る者の領分で、どうにもなりません。いまは骨の髄にあるので、臣は申し上げなかったのです。」五日して桓侯は体が痛み、人を遣わして扁鵲を探させたが、すでに秦へ逃げていた。桓侯はついに死んだ。だから良い医者が病を治すのは、皮膚の浅いところで攻めるのである。これらはみな小さいうちに争うことである。事の災いと福にも皮膚の浅いところという段階がある。だから聖人は早くから事に当たる。

昔晉公子重耳出亡,過鄭,鄭君不禮。叔瞻諫曰:「此賢公子也,君厚待之,可以積德。」鄭君不聽。叔瞻又諫曰:「不厚待之,不若殺之,無令有後患。」鄭君又不聽。及公子返晉邦,舉兵伐鄭,大破之,取八城焉。晉獻公以垂棘之璧假道於虞而伐虢,大夫宮之奇諫曰:「不可。脣亡而齒寒,虞、虢相救,非相德也。今日晉滅虢,明日虞必隨之亡。」虞君不聽,受其璧而假之道。晉已取虢,還,反滅虞。此二臣者皆爭於腠理者也,而二君不用也。然則叔瞻、宮之奇亦虞、鄭之扁鵲也,而二君不聽,故鄭以破、虞以亡。故曰:「其安易持也,其未兆易謀也。」

昔、晋の公子重耳が逃れて鄭を通ったとき、鄭の君は礼で接しなかった。叔瞻が諫めて言った。「これは賢い公子です。君が厚く待たれれば徳を積めます。」鄭の君は聞かなかった。叔瞻はまた諫めて言った。「厚く待たれないなら、殺して後の患いをなくすに越したことはありません。」鄭の君はまた聞かなかった。公子が晋の国へ帰ると、兵を挙げて鄭を討ち、大いに破って八つの城を取った。晋の献公が垂棘の璧で虞に道を借りて虢を討とうとしたとき、大夫の宮之奇が諫めて言った。「なりません。唇が無くなれば歯が寒い。虞と虢が互いに救うのは、互いに徳を施しているのではありません。今日晋が虢を滅ぼせば、明日虞は必ずそれに続いて滅びます。」虞の君は聞かず、その璧を受けて道を貸した。晋は虢を取って帰る途中、返す刀で虞を滅ぼした。この二人の臣はどちらも皮膚の浅いところで争った者であるのに、二人の君は用いなかった。とすれば叔瞻と宮之奇は虞と鄭の扁鵲であり、二人の君が聞かなかったから、鄭は破れ、虞は滅びた。だから「安らかなうちは保ちやすく、まだ兆しのないうちは図りやすい」という。

昔者紂爲象箸而箕子怖,以爲象箸必不加於土鉶,必將犀玉之杯;象箸玉杯必不羮菽藿,必旄、象、豹胎;旄、象、豹胎必不衣短褐而食於茅屋之下,則錦衣九重,廣室高臺。吾畏其卒,故怖其始。居五年,紂爲肉圃,設炮烙,登糟丘,臨酒池,紂遂以亡。故箕子見象箸以知天下之禍,故曰:「見小曰明。」

昔、紂が象牙の箸を作ると箕子は恐れた。象牙の箸は必ず土の器には添えず、必ず犀の角や玉の杯を使うだろう。象牙の箸と玉の杯には必ず豆や豆の葉の汁は盛らず、必ず氂牛や象や豹の胎を盛るだろう。氂牛や象や豹の胎を食べるなら、必ず短い粗衣を着て茅屋の下で食べはせず、九重の錦の衣と広い室と高い台になるだろうと考えたのである。「わたしはその終わりを恐れるから、その始めを恐れるのだ。」五年して紂は肉の囿を作り、炮烙を設け、酒かすの丘に登り、酒の池に臨み、紂はついにそれで滅びた。だから箕子は象牙の箸を見て天下の災いを知った。だから「小さいものを見ることを明という」という。

勾踐入宦於吳,身執干戈爲吳王洗馬,故能殺夫差於姑蘇。文王見詈於王門,顔色不變,而武王擒紂於牧野。故曰:「守柔曰強。」越王之霸也不病宦,武王之王也不病詈。故曰:「聖人之不病也,以其不病,是以無病也。」

句践は呉に入って使役を受け、みずから盾と戈を執って呉王の馬の先を歩いた。だから夫差を姑蘇で殺すことができた。文王は王門で罵られても顔色を変えず、だから武王は紂を牧野で捕らえた。だから「柔を守ることを強という」という。越王が覇者となったのは使役を病としなかったからであり、武王が王となったのは罵りを病としなかったからである。だから「聖人が病まないのは、それを病としないからで、だから病がない」という。

宋之鄙人得璞玉而獻之子罕,子罕不受。鄙人曰:「此寶也,宜爲君子器,不宜爲細人用。」子罕曰:「爾以玉爲寶,我以不受子玉爲寶。」是鄙人欲玉,而子罕不欲玉。故曰:「欲不欲,而不貴難得之貨。」

宋の田舎の人が玉の原石を得て子罕に献じたが、子罕は受けなかった。田舎の人は言った。「これは宝です。君子の器となるべきもので、小さな人が使うものではありません。」子罕は言った。「おまえは玉を宝とし、わたしはおまえの玉を受けないことを宝とする。」これは田舎の人が玉を欲し、子罕が玉を欲しなかったのである。だから「欲しないことを欲し、得がたい財貨を貴ばない」という。

王壽負書而行,見徐馮於周塗。馮曰:「事者,爲也。爲生於時,知者無常事。書者,言也。言生於知,知者不藏書。今子何獨負之而行?」於是王壽因焚其書而儛之。故知者不以言談教,而慧者不以藏書篋。此世之所過也,而王壽復之,是學不學也。故曰:「學不學,復歸衆人之所過也。」

王寿が書を背負って歩き、周の道で徐馮に会った。徐馮は言った。「事とは為すことだ。為すことは時から生じるので、知る者には常の事がない。書とは言葉だ。言葉は知から生じるので、知る者は書をしまい込まない。いまあなたはなぜひとりそれを背負って歩くのか。」そこで王寿はその書を焼いて舞った。だから知る者は言葉で教えず、慧い者は箱に書をしまわない。これは世が通り過ぎてきたところであるのに、王寿はそこへ立ち返った。これは学ばないことを学んだのである。だから「学ばないことを学んで、多くの人が通り過ぎたところへ立ち返る」という。

夫物有常容,因乘以導之。因隨物之容,故静則建乎德,動則順乎道。宋人有爲其君以象爲楮葉者,三年而成。豐殺莖柯,毫芒繁澤,亂之楮葉之中而不可別也。此人遂以功食祿於宋邦。列子聞之曰:「使天地三年而成一葉,則物之有葉者寡矣。」故不乘天地之資而載一人之身,不隨道理之數而學一人之智,此皆一葉之行也。故冬耕之稼,后稷不能羨也;豐年大禾,臧獲不能惡也。以一人力,則后稷不足;隨自然,則臧獲有餘。故曰:「恃萬物之自然而不敢爲也。」

物には常のかたちがあり、それに乗って導く。物のかたちに従うから、静かであれば徳に立ち、動けば道に従う。宋の人で、その君のために象牙で楮の葉を作った者があり、三年かかって仕上げた。太い細い茎と枝、細毛のような脈と照りが、本物の楮の葉の中に混ぜても見分けられなかった。この人はついにその功で宋の国から禄を食んだ。列子がこれを聞いて言った。「天と地が三年かかって一枚の葉を作るなら、葉を持つ物はごく少ないだろう。」だから天と地の資に乗らずに一人の身に載せること、道理の数に従わずに一人の智を学ぶことは、どちらも一枚の葉のふるまいである。だから冬に耕した作物は后稷でも多くできず、豊年の大きな稲は下働きでも悪くできない。一人の力でやれば后稷でも足らず、自然に従えば下働きでも余る。だから「万物の自然に寄ってあえて為さない」という。

空竅者,神明之户牗也。耳目竭於聲色,精神竭于外貌,故中無主。中無主,則禍福雖如丘山,無從識之。故曰:「不出於户,可以知天下;不闚於牗,可以知天道。」此言神明之不離其實也。

からの孔は神明の戸と窓である。耳と目が声と色に使い尽くされ、精神が外見に使い尽くされれば、内に主がない。内に主がなければ、災いと福が丘や山のように大きくても、それを見分ける手だてがない。だから「戸から出ずに天下を知ることができ、窓からうかがわずに天の道を知ることができる」という。これは神明がその実を離れないことを言っている。

趙襄王學御於王子於期,俄而與於期逐,三易馬而三後。襄王曰:「子之教我御,術未盡也?」對曰:「術已盡,用之則過也。凡御之所貴:馬體安于車,人心調于馬,而後可以進速致遠。今君後則欲逮臣,先則恐逮于臣。夫誘道爭遠,非先則後也,而先後心皆在于臣,上何以調於馬?此君之所以後也。」白公勝慮亂,罷朝,倒杖而策鋭貫顊,血流至于地而不知。鄭人聞之曰:「顊之忘,將何不忘哉!」故曰:「其出彌遠者,其智彌少。」此言智周乎遠,則所遺在近也。是以聖人無常行也。能並智,故曰:「不行而知。」能並視,故曰:「不見而明。」隨時以舉事,因資而立功,用萬物之能而獲利其上,故曰:「不爲而成。」

趙の襄王が王子於期に車の御を学び、しばらくして於期と競ったところ、馬を三度替えて三度遅れた。襄王は言った。「おまえがわたしに御を教えるのに、術を尽くしていないな。」答えて言った。「術はすでに尽くしておりますが、お使いになりかたが過ぎるのです。御で貴ばれるのは、馬の体が車に安らぎ、人の心が馬とととのってはじめて、速く進み遠くへ至れることです。いま君は遅れれば臣に追いつこうとし、先んじれば臣に追いつかれることを恐れます。道を導いて遠さを競うのは、先んじるか遅れるかしかないのに、先んじるも遅れるも心はすべて臣にある。それでは何によって馬とととのえるのですか。これが君が遅れた理由です。」白公勝は乱を思いめぐらし、朝廷を退いて杖を逆さに突き、鋭い先が顎を貫いて血が地に流れたのに気づかなかった。鄭の人がこれを聞いて言った。「顎を忘れるなら、何を忘れないだろうか。」だから「その出てゆくのが遠いほど、その智は少ない」という。これは智が遠くにあまねく及べば、取り落とすものが近くにあることを言っている。だから聖人には常に出歩くことがない。智を併せられるから「行かずに知る」という。見ることを併せられるから「見ずに明らかである」という。時に従って事を起こし、資によって功を立て、万物の能を用いてその上で利を得る。だから「為さずして成る」という。

楚莊王蒞政三年,無令發,無政爲也。右司馬御座而與王隱曰:「有鳥止南方之阜,三年不翅,不飛不鳴,嘿然無聲,此爲何名?」王曰:「三年不翅,將以長羽翼;不飛不鳴,將以觀民則。雖無飛,飛必冲天;雖無鳴,鳴必驚人。子釋之,不穀知之矣。」處半年,乃自聽政。所廢者十,所起者九;誅大臣五,舉處士六,而邦大治。舉兵誅齊,敗之徐州,勝晉於河雍,合諸侯於宋,遂霸天下。莊王不爲小害善,故有大名;不蚤見示,故有大功。故曰:「大器晩成,大音希聲。」

楚の荘王は政に臨んで三年、命を出さず、政を行わなかった。右司馬が君のかたわらに控えて、王に謎かけで言った。「鳥が南の丘に止まり、三年羽ばたかず、飛びも鳴きもせず、黙って声がありません。これを何と名づけますか。」王は言った。「三年羽ばたかないのは、翼を育てようとしているのだ。飛びも鳴きもしないのは、民の法を見ようとしているのだ。飛ばなかったとはいえ、飛べば必ず天に昇り、鳴かなかったとはいえ、鳴けば必ず人を驚かす。おまえは放っておけ。わたしには分かっている。」半年して、みずから政を聴いた。廃したものは十、起こしたものは九、大臣五人を誅し、処士六人を挙げて、国は大いに治まった。兵を挙げて斉を誅し、徐州で破り、河雍で晋に勝ち、宋で諸侯を集め、ついに天下の覇者となった。荘王は小さな善を為さなかったから大きな名があり、早くに見せなかったから大きな功があった。だから「大きな器は遅く成り、大きな音は声がまれである」という。

夾注 1

底本の「不爲小害善」は「小さなことで大きな善をそこなわなかった」とも読む。ここでは「小さな善を為さなかった」と読んだ。― 訳者

楚莊王欲伐越,杜子諫曰:「王之伐越,何也?」曰:「政亂兵弱。」杜子曰:「臣愚患之。智如目也,能見百步之外而不能自見其睫。王之兵自敗於秦、晉,喪地數百里,此兵之弱也;莊蹊蹻爲盜於境内而吏不能禁,此政之亂也。王之弱亂,非越之下也,而欲伐越,此智之如目也。」王乃止。故知之難,不在見人,在自見。故曰:「自見之謂明。」

楚の荘王が越を討とうとしたので、杜子が諫めて言った。「王が越を討たれるのは、なぜですか。」言った。「政が乱れ兵が弱いからだ。」杜子は言った。「臣は愚かですが、それを憂えます。智は目のようなもので、百歩の外は見えても自分の睫毛は見えません。王の兵は秦と晋にみずから敗れて地を数百里失いました。これが兵の弱さです。荘蹊蹻が国境の内で盗をはたらいているのに役人が禁じられません。これが政の乱れです。王の弱さと乱れは越より下ではないのに越を討とうとされる。これが智が目のようだということです。」王はそこでやめた。だから知ることの難しさは、人を見ることにあるのではなく、みずからを見ることにある。だから「みずからを見ることを明という」という。

子夏見曾子。曾子曰:「何肥也?」對曰:「戰勝,故肥也。」曾子曰:「何謂也?」子夏曰:「吾入見先王之義則榮之,出見富貴之樂又榮之,兩者戰於胷中,未知勝負,故臞。今先王之義勝,故肥。」是以志之難也,不在勝人,在自勝也。故曰:「自勝之謂強。」

子夏が曽子に会った。曽子は言った。「どうして太ったのか。」答えて言った。「戦って勝ったので太りました。」曽子は言った。「どういうことか。」子夏は言った。「わたしは家に入って先王の義を見ればそれを栄とし、外に出て富貴の楽しみを見ればまたそれを栄として、二つが胸のうちで戦い、勝ち負けが分からなかったので痩せていました。いま先王の義が勝ったので太ったのです。」だから志の難しさは、人に勝つことにあるのではなく、みずからに勝つことにある。だから「みずからに勝つことを強という」という。

周有玉版,紂令膠鬲索之,文王不予;費仲來求,因予之。是膠鬲賢而費仲無道也。周惡賢者之得志也,故予費仲。文王舉太公於渭濵者,貴之也;而資費仲玉版者,是愛之也。故曰:「不貴其師,不愛其資,雖知大迷,是謂要妙。」

周に玉の版があり、紂が膠鬲を遣わして求めさせたが文王は与えず、費仲が来て求めたときには与えた。これは膠鬲が賢く、費仲が道のない者だったからである。周は賢い者が志を得ることを憎んだので、費仲に与えたのである。文王が渭水のほとりで太公を挙げたのは、彼を貴んだのである。費仲に玉の版を与えたのは、彼を愛でたのである。だから「その師を貴ばず、その資を愛さなければ、智があっても大いに迷う。これを要にして妙という」という。