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外儲説 左下外儲說左下

韓非子(韓非の書) 韓非子 · 韓非と後学 · 紀元前3世紀 · 段落 47 · 漢字 4,255字 · 朗読 17.0分

韓非子(韓非の書) 外儲說左下 法家が一堂に集まった書である。商鞅の法と申不害の術と慎到の勢を、韓非が受け継いで一つに編んだ。人は善だから善なのではなく、悪をなしえないから善であると見て、君主が頼るべきは仁ではなく法と術と勢であると説く。 矛盾がここから出た。貫けない盾と貫けないものがない矛を一緒に売る楚の人の話で、堯と舜をともに称えることはできないことを示し、難勢でもう一度、仁と勢をめぐって同じたとえを挙げる。切り株を守って兎を待った宋の人(守株待兎)と、足を二度切られてはじめて玉と認められた和氏の璧も、この書の話である。 語ることの難しさを扱った説難には、龍の喉の下に逆さに生えた鱗の話がある。君主にもそのような鱗があり、触れれば死ぬというのだが、当の韓非自身が秦で獄に捕らわれて死んだ。 存韓には、韓非が秦王に奉った文と、そのすぐ後に李斯が「韓非は韓のために来た者なので、帰してはならない」と奉った文が並べて収められている。一人を死に追いやった文書が、その人の書に一緒に残った。

一。以罪受誅,人不怨上,跀危生子臯;以功受賞,臣不德君,翟璜操右契而乘軒。襄王不知,故昭卯五乘而履屩。上不過任,臣不誣能,即臣將爲夫少室周。

一。罪によって罰を受ければ、人は上を恨まない。足を切られた者が子皋を生かした。功によって賞を受ければ、臣は君の恩と思わない。翟璜は右の割り符を手にして軒車に乗った。襄王はこれを知らなかったので、昭卯は車五乗を受けて草履を履いた。上が任ずるのに度を越さず、臣が能を偽らなければ、臣はあの少室周のようになる。

二。恃勢而不恃信,故東郭牙議管仲;恃術而不恃信,故渾軒非文公。故有術之主,信賞以盡能,必罰以禁邪,雖有駮行,必得所利。簡主之相陽虎,哀公問「一足」。

二。勢を頼みにして信を頼みにしないから、東郭牙は管仲について論じた。術を頼みにして信を頼みにしないから、渾軒は文公を非とした。だから術のある君主は、信をもって賞を与えて能を尽くさせ、必ず罰して邪を禁ずる。たとえ入り混じった行いがあっても、必ず利するところを得る。簡主が陽虎を相とした話と、哀公が「足一つ」を問うた話がそれである。

三。失臣主之理,則文王自履而矜。不易朝燕之處,則季孫終身莊而遇賊。

三。臣と君の理を失えば、文王は自ら履を結んで誇ることになる。朝廷と宴の場を分けなければ、季孫は生涯厳めしくしていながら賊に遭うことになる。

四。利所禁,禁所利,雖神不行;譽所罪,毁所賞,雖堯不治。夫爲門而不使入,委利而不使進,亂之所以産也。齊侯不聽左右,魏主不聽譽者,而明察照羣臣,則鉅不費金錢,孱不用璧。西門豹請復治鄴,足以知之。猶盜嬰兒之矜裘與跀危子榮衣。子綽左右畫,去蟻驅蠅。安得無桓公之憂索官與宣主之患臞馬也?

四。禁じたことを利し、利したことを禁ずれば、神でさえ行えない。罪した者を誉め、賞した者を謗れば、堯でさえ治められない。そもそも門を作っておいて入らせず、利を置いておいて進ませないのは、乱の生じる理由である。斉侯が側近の言を聞かず、魏の君主が誉める者の言を聞かず、明らかに察して臣下を照らせば、鉅は金銭を費やさず、孱は璧を使わない。西門豹が改めて鄴を治めることを願い出た話で、それを知るに十分である。盗人の子が皮衣を誇ったことや、足を切られた者の子が衣を栄誉とすることと同じである。子綽は左右の手で同時に絵を描き、肉で蟻を払い魚で蠅を追った。どうして桓公が官を求める者の多さを憂え、韓の宣子が馬の痩せを憂えずにいられよう。

五。臣以卑儉爲行,則爵不足以觀賞;寵光無節,則臣下侵偪。說在苗賁皇非獻伯,孔子議晏嬰。故仲尼論管仲與孫叔敖。而出入之容變,陽虎之言見其臣也。而簡主之應人臣也失主術。朋黨相和,臣下得欲,則人主孤;羣臣公舉,下不相和,則人主明。陽虎將爲趙武之賢、解狐之公,而簡主以爲枳棘,非所以教國也。

五。臣が身を低くし倹しくすることを行いとすれば、爵では賞を示すに足らない。寵愛と栄光に節度がなければ、臣下は侵し迫ってくる。説明は苗賁皇が献伯を非とした話と、孔子が晏嬰を論じた話にある。だから仲尼は管仲と孫叔敖を論じた。また出入りの身構えが変わったことと、陽虎の言がその臣に表れたこと、そして簡主が臣下に応じて君主の術を失ったことがそれである。朋党が互いに和して臣下が思いどおりになれば君主は孤立し、臣下が公に推挙して下の者が互いに和さなければ君主は明らかである。陽虎は趙武の賢と解狐の公とを成そうとしたのに、簡主はこれを枳や棘と見なした。国を教える道ではない。

六。公室卑則忌直言,私行勝則少公功。說在文子之直言,武子之用杖;子産忠諫,子國譙怒;梁車用法而成侯收璽;管仲以公而國人謗怨。

六。公室が低くなれば直言は憚られ、私の行いが勝てば公の功は少なくなる。説明は文子の直言と武子が杖を用いた話にあり、子産が忠義から諫めると子国が責めて怒った話、梁車が法を用いると成侯が印を取り上げた話、管仲が公に行うと国人が謗り恨んだ話にある。

一。孔子相衛,弟子子臯爲獄吏,刖人足,所跀者守門。人有惡孔子於衛君者,曰:「尼欲作亂。」衛君欲執孔子。孔子走,弟子皆逃。子臯從出門,跀危引之而逃之門下室中,吏追不得。夜半,子臯問跀危曰:「吾不能虧主之法令而親跀子之足,是子報仇之時也,而子何故乃肯逃我?我何以得此於子?」跀危曰:「吾斷足也,固吾罪當之,不可奈何。然方公之獄治臣也,公傾側法令,先後臣以言,欲臣之免也甚,而臣知之。及獄決罪定,公憱然不悅,形於顔色,臣見又知之。非私臣而然也,夫天性仁心固然也。此臣之所以悅而德公也。」

一。孔子が衛の相であったとき、弟子の子皋が獄吏となって人の足を切ったが、その足を切られた者が門を守っていた。衛君に孔子を讒言する者があって言った。「仲尼は乱を起こそうとしています。」衛君は孔子を捕らえようとし、孔子は逃げ、弟子はみな散った。子皋が後を追って門を出ようとしたとき、足を切られた者が彼を引いて門下の部屋に隠したので、役人が追ったが捕らえられなかった。夜半、子皋が足を切られた者に問うた。「私は君主の法令を欠くことができず、自らあなたの足を切った。いまこそあなたが仇を報じる時なのに、どうして私を逃がしてくれるのか。私は何によってこれをあなたから得たのか。」足を切られた者が言った。「私の足が切られたのは、もとより私の罪がそれに当たるのですから、どうしようもありません。しかし公が臣の裁きを進められるとき、公は法令をあちらこちらと傾けて見、前にも後にも臣のために言葉を尽くし、臣が免れることをひどく望まれました。それを臣は知っておりました。裁きが決まり罪が定まると、公は顔色にまで出して不快そうにしておられました。それも臣は見て知りました。臣を私しておそうされたのではなく、天から授かった仁の心がもとよりそうなのです。これが臣が喜んで公を恩に思う理由です。」

孔子曰:「善爲吏者樹德,不能爲吏者樹怨。槩者,平量者也;吏者,平法者也。治國者,不可失平也。」

孔子が言った。「吏の務めをよくする者は徳を植え、吏の務めができない者は恨みを植える。概は升を平らにするものであり、吏は法を平らにする者である。国を治める者は、平らかさを失ってはならない。」

田子方從齊之魏,望翟黄乘軒騎駕出,方以爲文侯也,移車異路而避之,則徒翟黄也。方問曰:「子奚乘是車也?」曰:「君謀欲伐中山,臣薦翟角而謀得果;且伐之,臣薦樂羊而中山拔;得中山,憂欲治之,臣薦李克而中山治,是以君賜此車。」方曰:「寵之稱功尚薄。」

田子方が斉から魏へ行く途中、翟黄が車に乗り騎馬を従えて出てくるのを遠くに見て、文侯だと思い、車を寄せて道を変えて避けたが、ただの翟黄であった。子方が問うた。「あなたはどうしてこの車に乗っているのか。」言った。「君が中山を討とうと謀られたとき、臣が翟角を薦めて謀は成りました。討とうとされたとき、臣が楽羊を薦めて中山は抜かれました。中山を得て治めることを憂えられたとき、臣が李克を薦めて中山は治まりました。それで君がこの車をくださったのです。」子方が言った。「寵が功に見合うには、まだ薄い。」

秦、韓攻魏,昭卯西說而秦、韓罷;齊、荊攻魏,卯東說而齊、荊罷。魏襄王養之以五乘。卯曰:「伯夷以將軍葬於首陽山之下,而天下曰:『夫以伯夷之賢與其稱仁,而以將軍葬,是手足不掩也。』今臣罷四國之兵,而王乃與臣五乘,此其稱功,猶嬴勝而履蹻。」

秦と韓が魏を攻めると、昭卯が西へ行って説き、秦と韓は引き上げた。斉と楚が魏を攻めると、昭卯が東へ行って説き、斉と楚は引き上げた。魏の襄王は彼を車五乗で養った。昭卯が言った。「伯夷が将軍の礼で首陽山の下に葬られたとき、天下はこう言いました。『伯夷の賢とその仁の評判をもって将軍の礼で葬るとは、これでは手足も覆えない。』いま臣は四国の兵を退けたのに、王は臣に車五乗をくださった。これがその功に見合うというのは、勝ってから草履を履くようなものです。」

少室周者,古之貞廉潔慤者也,爲趙襄主力士。與中牟徐子角力,不若也,入言之襄主以自代也。襄主曰:「子之處,人之所欲也,何爲言徐子以自代?」曰:「臣以力事君者也。今徐子力多臣,臣不以自代,恐他人言之而爲罪也。」

少室周は古の、正しく清廉で潔く誠実な者で、趙の襄主の力士となった。中牟の徐子と力を競って及ばなかったので、入って襄主に申し上げ、自分に代えようとした。襄主が言った。「そなたの地位は人の望むところだ。どうして徐子を挙げて自分に代えようとするのか。」言った。「臣は力で君に仕える者です。いま徐子は臣より力が強い。臣がそれで自分に代えなければ、ほかの者がそれを申し上げて罪になることを恐れます。」

一曰:少室周爲襄主驂乘,至晉陽,有力士牛子耕,與角力而不勝。周言於主曰:「主之所以使臣驂乘者,以臣多力也。今有多力於臣者,願進之。」

一説にこう言う。少室周が襄主の副馬車に乗っていたが、晋陽に着いたとき、牛子耕という力士がいて、力を競って勝てなかった。周は襄主に申し上げた。「君が臣に副馬車に乗らせておられるのは、臣が力が強いからです。いま臣より力の強い者がおりますので、その者を進めたいと存じます。」

二。齊桓公將立管仲,令羣臣曰:「寡人將立管仲爲仲父。善者入門而左,不善者入門而右。」東郭牙中門而立。公曰:「寡人立管仲爲仲父,令曰:『善者左,不善者右。』今子何爲中門而立?」牙曰:「以管仲之智,爲能謀天下乎?」公曰:「能。」「以斷,爲敢行大事乎?」公曰:「敢。」牙曰:「若知能謀天下,斷敢行大事,君因專屬之國柄焉。以管仲之能,乘公之勢以治齊國,得無危乎?」公曰:「善。」乃令隰朋治内、管仲治外以相參。

二。斉の桓公が管仲を立てようとして、臣下に命じて言った。「寡人は管仲を立てて仲父としようと思う。よいと思う者は門を入って左に立ち、よくないと思う者は門を入って右に立て。」東郭牙は門の中央に立った。公が言った。「寡人は管仲を立てて仲父としようと思い、『よいと思う者は左、よくないと思う者は右』と命じた。いまそなたはどうして門の中央に立っているのか。」牙が言った。「管仲の智では、天下を謀ることができるとお考えですか。」公が言った。「できる。」「その決断では、大事を敢えて行えるとお考えですか。」公が言った。「敢えて行う。」牙が言った。「天下を謀ることを知り、決断して大事を敢えて行う者に、君がそのまま国の権柄を一手に委ねられるなら、管仲の能が公の勢に乗って斉国を治めることになります。危うくならずにいられましょうか。」公が言った。「もっともだ。」そこで隰朋に内を治めさせ、管仲に外を治めさせて、互いに照らし合わせることにした。

晉文公出亡,箕鄭挈壺餐而從,迷而失道,與公相失,飢而道泣,寢餓而不敢食。及文公反國,舉兵攻原,克而拔之。文公曰:「夫輕忍飢餒之患而必全壺餐,是將不以原叛。」乃舉以爲原令。大夫渾軒聞而非之,曰:「以不動壺餐之故,怙其不以原叛也,不亦無術乎?」故明主者,不恃其不我叛也,恃吾不可叛也;不恃其不我欺也,恃吾不可欺也。

晋の文公が亡命したとき、箕鄭は壺に入れた飯を持って従ったが、迷って道を失い、公とはぐれてしまった。飢えて道で泣きながらも、飢えたままあえて食べなかった。文公が国に帰り、兵を挙げて原を攻め、勝ってこれを抜いた。文公が言った。「そもそも飢えの苦しみを軽く忍んで必ず壺の飯を全うした。この者は原をもって叛くことはあるまい。」そして彼を挙げて原の令とした。大夫の渾軒がこれを聞いて非とし、言った。「壺の飯に手をつけなかったという理由で、その者が原をもって叛かないと頼むのは、術がないというものではないか。」だから賢明な君主は、相手が自分に叛かないことを頼みにせず、自分が叛かれようのないことを頼みにする。相手が自分を欺かないことを頼みにせず、自分が欺かれようのないことを頼みにする。

陽虎議曰:「主賢明,則悉心以事之;不肖,則飾姦而試之。」逐於魯,疑於齊,走而之趙,趙簡主迎而相之。左右曰:「虎善竊人國政,何故相也?」簡主曰:「陽虎務取之,我務守之。」遂執術而御之。陽虎不敢爲非,以善事簡主,興主之强,幾至於霸也。

陽虎が論じて言った。「君主が賢明であれば心を尽くして仕え、不肖であれば邪を飾って試す。」彼は魯で追われ、斉で疑われ、逃げて趙に行った。趙の簡主は迎えて相とした。側近が言った。「陽虎は人の国政を盗むのが巧みです。どういう理由で相とされるのですか。」簡主が言った。「陽虎はそれを取ろうと努め、私はそれを守ろうと努める。」そして術を手に握って彼を御したので、陽虎はあえて悪事をせず、よく簡主に仕えて君主の強さを興し、ほとんど覇に至るほどであった。

魯哀公問於孔子曰:「吾聞古者有䕫一足,其果信有一足乎?」孔子對曰:「不也,䕫非一足也。䕫者忿戾惡心,人多不說喜也。雖然,其所以得免於人害者,以其信也。人皆曰:『獨此一,足矣。』䕫非一足也,一而足也。」哀公曰:「審而是,固足矣。」

魯の哀公が孔子に問うた。「私は昔、夔という者が足一つだったと聞いています。本当に足が一つだったのですか。」孔子が答えた。「いいえ。夔は足一つではありません。夔は怒りやすく荒く心が悪くて、人の多くは彼を喜びませんでした。それでも彼が人の害を免れることができたのは、その信によります。人はみな『ただこれ一つで足りる』と言ったのです。夔が足一つだったのではなく、一つで足るということです。」哀公が言った。「よく調べてそうであるなら、まことに足りますね。」

一曰:哀公問於孔子曰:「吾聞䕫一足,信乎?」曰:「䕫,人也,何故一足?彼其無他異,而獨通於聲。堯曰:『䕫一而足矣。』使爲樂正。故君子曰:『䕫有一,足。』非一足也。」

一説にこう言う。哀公が孔子に問うた。「私は夔が足一つだと聞いていますが、本当ですか。」言った。「夔は人です。どういう理由で足一つでしょう。彼はほかに特別なところはなく、ただ音に通じていました。堯が『夔は一つで足る』と言い、楽正としました。だから君子は『夔に一つあって足る』と言ったのです。足が一つという意味ではありません。」

三。文王伐崇,至鳯黄虚,韈係解,因自結。太公望曰:「何爲也?」王曰:「上,君與處皆其師;中,皆其友;下,盡其使也。今皆先君之臣,故無可使也。」

三。文王が崇を討ち、鳳黄の丘に至ったとき、襪の紐が解けたので自ら結んだ。太公望が言った。「何をなさっているのですか。」王が言った。「上の世では、君がともに居る者はみなその師であり、中ほどではみなその友であり、下ではみなその使う者である。いまはみな先君の臣であるから、使える者がいないのだ。」

一曰:晉文公與楚戰,至黄鳯之陵,履係解,因自結之。左右曰:「不可以使人乎?」公曰:「吾聞:上,君所與居,皆其所畏也;中,君之所與居,皆其所愛也;下,君之所與居,皆其所侮也。寡人雖不肖,先君之人皆在,是以難之也。」

一説にこう言う。晋の文公が楚と戦い、黄鳳の丘に至ったとき、履の紐が解けたので自らこれを結んだ。側近が言った。「人にお命じになれないのですか。」公が言った。「私はこう聞いている。上の世では、君がともに居る者はみなその畏れる者であり、中ほどでは君がともに居る者はみなその愛する者であり、下では君がともに居る者はみなその侮る者である。寡人は不肖ではあるが、先君の人々がみな在る。それでためらうのだ。」

季孫好士,終身莊,居處衣服常如朝廷。而季孫適懈,有過失,而不能長爲也。故客以爲厭易己,相與怨之,遂殺季孫。故君子去泰去甚。

季孫は士を好み、生涯厳めしくして、住まいも衣服も常に朝廷にいるかのようであった。ところが季孫はたまたま気を緩めて過ちがあり、長くそのままではいられなかった。そこで客たちは自分らを嫌い軽んじているのだと思い、互いに恨み合って、とうとう季孫を殺した。だから君子は度の過ぎたことを捨て、極端を捨てる。

一曰:南宮敬子問顔涿聚曰:「季孫養孔子之徒,所朝服與坐者以十數而遇賊,何也?」曰:「昔周成王近優侏儒以逞其意,而與君子斷事,是能成其欲於天下。今季孫養孔子之徒,所朝服而與坐者以十數,而與優侏儒斷事,是以遇賊。故曰:不在所與居,在所與謀也。」

一説にこう言う。南宮敬子が顔涿聚に問うた。「季孫は孔子の門人を養い、朝服を着てともに座る者が十を数えたのに賊に遭ったのはなぜか。」言った。「昔、周の成王は芸人や小人を近づけて自分の心を楽しませ、君子とは事を決した。それで天下において自分の望みを成すことができた。いま季孫は孔子の門人を養い、朝服を着てともに座る者が十を数えながら、芸人や小人と事を決した。それで賊に遭ったのだ。だから、ともに居る者にあるのではなく、ともに謀る者にあると言われるのだ。」

孔子御坐於魯哀公,哀公賜之桃與黍。哀公曰:「請用。」仲尼先飯黍而後啗桃,左右皆揜口而笑。哀公曰:「黍者,非飯之也,以雪桃也。」仲尼對曰:「丘知之矣。夫黍者,五穀之長也,祭先王爲上盛。果蓏有六,而桃爲下,祭先王不得入廟。丘之聞也,君子以賤雪貴,不聞以貴雪賤。今以五穀之長雪菓蓏之下,是以上雪下也。丘以爲妨義,故不敢以先於宗廟之盛也。」

孔子が魯の哀公に侍して座っていたとき、哀公が桃と黍を賜った。哀公が言った。「どうぞお召しください。」仲尼はまず黍を食べてから桃を食べたので、側近はみな口を覆って笑った。哀公が言った。「黍は食べるためのものではなく、桃を拭うためのものです。」仲尼が答えた。「丘はそれを存じております。そもそも黍は五穀の長で、先王を祭るには最上の供え物です。果実には六種あって桃は下位で、先王を祭るのに廟へ入れることができません。丘の聞いたところでは、君子は賤しいもので貴いものを拭い、貴いもので賤しいものを拭うとは聞きません。いま五穀の長で果実の下位のものを拭うのは、上で下を拭うことです。丘はそれが義を損なうと思いますので、宗廟の供え物を後に回すことはあえていたしません。」

簡主謂左右:「車席泰美。夫冠雖賤,頭必戴之;屨雖貴,足必履之。今車席如此,太美,吾將何屩以履之?夫美下而耗上,妨義之本也。」

簡主が側近に言った。「車の敷物が美しすぎる。そもそも冠は賤しくても頭に必ず戴き、履は貴くても足で必ず踏む。いま車の敷物がこのように美しすぎては、私はどんな草履でこれを踏めばよいのか。そもそも下を美しくして上を損なうのは、義を損なう根本である。」

費仲說紂曰:「西伯昌賢,百姓悅之,諸侯附焉,不可不誅;不誅,必爲殷禍。」紂曰:「子言,義主,何可誅?」費仲曰:「冠雖穿弊,必戴於頭;履雖五采,必踐之於地。今西伯昌,人臣也,修義而人向之。卒爲天下患,其必昌乎?人臣不以其賢爲其主,非可不誅也。且主而誅臣,焉有過?」紂曰:「夫仁義者,上所以勸下也。今昌好仁義,誅之不可。」三說不用,故亡。

費仲が紂に言った。「西伯昌は賢く、百姓は彼を喜び、諸侯は彼に付き従っています。誅さないわけにはいきません。誅さなければ必ず殷の災いとなります。」紂が言った。「そなたの言うとおり義のある君主なら、どうして誅せよう。」費仲が言った。「冠は穴が開いて破れていても必ず頭に戴き、履は五色に染まっていても必ず地を踏みます。いま西伯昌は臣下でありながら、義を修めて人が彼に向かっています。ついに天下の憂いとなるのは、必ず昌でしょう。臣下がその賢を自分の君主のために用いないのですから、誅さずにはおけません。それに君主が臣を誅して、どこに過ちがありましょう。」紂が言った。「そもそも仁義とは、上が下に勧めるものだ。いま昌は仁義を好んでいる。これを誅すことはできない。」三度説いたが用いられず、それで殷は滅んだ。

齊宣王問匡倩曰:「儒者博乎?」曰:「不也。」王曰:「何也?」匡倩對曰:「博貴梟,勝者必殺梟。殺梟者,是殺所貴也。儒者以爲害義,故不博也。」又問曰:「儒者弋乎?」曰:「不也。弋者,從下害於上者也,是從下傷君也。儒者以爲害義,故不弋。」又問:「儒者鼓瑟乎?」曰:「不也。夫瑟以小絃爲大聲,以大絃爲小聲,是大小易序,貴賤易位。儒者以爲害義,故不鼓也。」宣王曰:「善。」仲尼曰:「與其使民諂下也,寧使民諂上。」

斉の宣王が匡倩に問うた。「儒者は博奕をするのか。」言った。「いたしません。」王が言った。「なぜか。」匡倩が答えた。「博奕では梟の駒を貴び、勝つ者は必ず梟を殺します。梟を殺すのは、貴いものを殺すことです。儒者はそれが義を損なうと考えますので、博奕をいたしません。」また問うた。「儒者は弋射をするのか。」言った。「いたしません。弋射は下から上を害するもので、これは下から君を傷つけることです。儒者はそれが義を損なうと考えますので、弋射をいたしません。」また問うた。「儒者は瑟を弾くのか。」言った。「弾きません。そもそも瑟は細い弦で大きな音を出し、太い弦で小さな音を出します。これは大小が順序を入れ替え、貴賤が位を入れ替えることです。儒者はそれが義を損なうと考えますので、弾きません。」宣王が言った。「もっともだ。」仲尼が言った。「民に下へ諂わせるくらいなら、むしろ上へ諂わせるほうがよい。」

四。鉅者,齊之居士;孱者,魏之居士。齊、魏之君不明,不能親照境内而聽左右之言,故二子費金璧而求入仕也。

四。鉅は斉の処士であり、孱は魏の処士である。斉と魏の君が明らかでなく、自ら領内を照らすことができずに側近の言を聞いたので、この二人は金や璧を費やして仕官を求めたのである。

西門豹爲鄴令,清尅潔慤,秋毫之端無私利也,而甚簡左右。左右因相與比周而惡之。居期年,上計,君收其璽。豹自請曰:「臣昔者不知所以治鄴,今臣得矣,願請璽,復以治鄴。不當,請伏斧鑕之罪。」文侯不忍而復與之。豹因重斂百姓,急事左右。期年,上計,文侯迎而拜之。豹對曰:「往年臣爲君治鄴,而君奪臣璽;今臣爲左右治鄴,而君拜臣。臣不能治矣。」遂納璽而去。文侯不受,曰:「寡人曩不知子,今知矣。願子勉爲寡人治之。」遂不受。

西門豹が鄴の令となり、清く厳しく潔く誠実で、秋の毛の先ほども私利がなかったが、側近をはなはだおろそかに扱った。側近はそこで互いに結んで彼を憎んだ。一年経って会計を上申すると、君は彼の印を取り上げた。豹は自ら願い出た。「臣は以前は鄴を治める道を知りませんでしたが、いま臣はそれを得ました。印を頂いて改めて鄴を治めたいと存じます。それが当を得なければ、斧と台の罪に伏しますことを願います。」文侯は忍びなく、再びこれを与えた。豹はそこで百姓から重く取り立て、側近に急いで仕えた。一年経って会計を上申すると、文侯は迎えて彼に拝礼した。豹が答えた。「去年、臣は君のために鄴を治めたのに、君は臣の印を奪われました。いま臣は側近のために鄴を治めたのに、君は臣に拝礼されます。臣には治めることができません。」そして印を納めて去ろうとした。文侯は受け取らず、言った。「寡人は以前そなたを知らなかったが、いま知った。どうかそなたは励んで寡人のために治めてくれ。」そしてとうとう受け取らなかった。

齊有狗盜之子與刖危子戲而相誇。盜子曰:「吾父之裘獨有尾。」刖危子曰:「吾父獨冬不失袴。」

斉に犬泥棒の子と足を切られた者の子がいて、遊びながら互いに自慢した。泥棒の子が言った。「うちの父の皮衣にだけ尾がついている。」足を切られた者の子が言った。「うちの父だけは冬に袴をなくさない。」

子綽曰:「人莫能左畫方而右畫圓也。以肉去蟻,蟻愈多;以魚驅蠅,蠅愈至。」

子綽が言った。「人は左手で四角を描き右手で丸を描くことはできない。肉で蟻を払えば蟻はいっそう増え、魚で蠅を追えば蠅はいっそう集まる。」

桓公謂管仲曰:「官少而索者衆,寡人憂之。」管仲曰:「君無聽左右之請,因能而受祿,錄功而與官,則莫敢索官。君何患焉?」

桓公が管仲に言った。「官は少なく求める者は多い。寡人はこれを憂えている。」管仲が言った。「君が側近の願いをお聞きにならず、能に応じて禄を与え、功を記して官を与えられれば、あえて官を求める者はおりません。君は何を憂えられるのですか。」

韓宣子曰:「吾馬菽粟多矣,甚臞,何也?寡人患之。」周市對曰:「使騶盡粟以食,雖無肥,不可得也。名爲多與之,其實少,雖無臞,亦不可得也。主不審其情實,坐而患之,馬猶不肥也。」

韓の宣子が言った。「私の馬には豆も粟も多く与えているのに、ひどく痩せている。なぜか。寡人はこれを憂えている。」周市が答えた。「馭者に粟をすべて食わせさせれば、太らずにいようとしても、そうはいきません。多く与えるという名目で実が少なければ、痩せずにいようとしても、やはりそうはいきません。君がその実情をお調べにならず、座って憂えておられるだけでは、馬はやはり太りません。」

桓公問置吏於管仲,管仲曰:「辯察於辭,清潔於貨,習人情,夷吾不如絃商,請立以爲大理。登降肅讓,以明禮待賓,臣不如隰朋,請立以爲大行。墾草仞邑,辟地生粟,臣不如甯戚,請以爲大田。三軍既成陣,使士視死如歸,臣不如公子成父,請以爲大司馬。犯顔極諫,臣不如東郭牙,請立以爲諫臣。治齊,此五子足矣;將欲霸王,夷吾在此。」

桓公が管仲に官吏の任用について問うと、管仲が言った。「言葉をよく聞き分け、財貨に潔く、人情に通じていることでは、夷吾は絃商に及びません。彼を立てて大理とされることを願います。昇り降りを厳かにし譲り、礼をもって賓客を待つことでは、臣は隰朋に及びません。彼を立てて大行とされることを願います。草を開いて邑を満たし、土地を開いて粟を生ずることでは、臣は甯戚に及びません。彼を大田とされることを願います。三軍が陣を整えたときに兵が死を帰るがごとく見るようにさせることでは、臣は公子成父に及びません。彼を大司馬とされることを願います。顔色を犯して諫めきることでは、臣は東郭牙に及びません。彼を立てて諫める臣とされることを願います。斉を治めるには、この五人で足ります。覇王になろうとお思いなら、夷吾がここにおります。」

五。盂獻伯相晉,堂下生藿藜,門外長荊棘,食不二味,坐不重席,晉無衣帛之妾,居不粟馬,出不從車。叔向聞之,以告苗賁皇。賁皇非之曰:「是出主之爵祿以附下也。」

五。孟献伯が晋の相であったとき、堂の下には豆の葉やあかざが生え、門の外には荊棘が伸び、食事に二つの味を置かず、座に敷物を重ねず、晋には絹を着た侍女がなく、家では馬に粟を食わせず、外出に従う車もなかった。叔向がこれを聞いて苗賁皇に告げた。賁皇はこれを非として言った。「それは君の爵禄を持ち出して下の者に取り入ることだ。」

夾注 1

底本は盂だが、孟の誤りと見た。 ― 訳者

一曰:盂獻伯拜上卿,叔向往賀,門有御,馬不食禾。向曰:「子無二馬二輿,何也?」獻伯曰:「吾觀國人尚有饑色,是以不秣馬;班白者多以徒行,故不二輿。」向曰:「吾始賀子之拜卿,今賀子之儉也。」向出,語苗賁皇曰:「助吾賀獻伯之儉也。」苗子曰:「何賀焉?夫爵祿旂章,所以異功伐別賢不肖也。故晉國之法,上大夫二輿二乘,中大夫二輿一乘,下大夫專乘,此明等級也。且夫卿必有軍事,是故脩車馬,比卒乘,以備戎事。有難則以備不虞,平夷則以給朝事。今亂晉國之政,乏不虞之備,以成節,以絜私名,獻伯之儉也可與?又何賀?」

一説にこう言う。孟献伯が上卿に任ぜられ、叔向が祝いに行ったところ、門には馭者がいるのに馬は穀を食っていなかった。叔向が言った。「あなたに馬二頭と車二台がないのはなぜか。」献伯が言った。「私が国の人を見るに、まだ飢えの色がある。それで馬に穀を食わせない。白髪まじりの者が多く歩いている。それで車を二台にしない。」叔向が言った。「私は初めあなたが卿に任ぜられたことを祝ったが、いまはあなたの倹しさを祝う。」叔向は出て、苗賁皇に言った。「私とともに献伯の倹しさを祝おう。」苗子が言った。「何を祝うのか。そもそも爵禄や旗や標章は、功を区別し賢と不肖を分けるためのものだ。だから晋の国の法では、上大夫は車二台に馬二頭、中大夫は車二台に馬一頭、下大夫は単車である。これは等級を明らかにするためだ。しかも卿には必ず軍事があるから、車馬を整え、兵卒と車を揃えて戦に備える。難があれば思いがけぬ事態に備え、平らかであれば朝廷の務めに用いる。いま晋の国の政を乱し、思いがけぬ事態への備えを欠かせておきながら節を立て、私の名を潔くしている。献伯の倹しさは祝えるものか。いったい何を祝うのか。」

夾注 1

底本は盂だが、孟の誤りと見た。 ― 訳者

管仲相齊,曰:「臣貴矣,然而臣貧。」桓公曰:「使子有三歸之家。」曰:「臣富矣,然而臣卑。」桓公使立於高、國之上。曰:「臣尊矣,然而臣踈。」乃立爲仲父。孔子聞而非之曰:「泰侈偪上。」

管仲が斉の相となって言った。「臣は貴くなりましたが、臣は貧しいのです。」桓公が言った。「そなたに三帰の家を持たせよう。」言った。「臣は富みましたが、臣は位が低いのです。」桓公は彼を高氏・国氏の上に立てた。言った。「臣は尊くなりましたが、臣は君から遠いのです。」そこで立てて仲父とした。孔子がこれを聞いて非として言った。「贅沢が過ぎて上を迫っている。」

一曰:管仲父出,朱蓋青衣,置鼓而歸,庭有陳鼎,家有三歸。孔子曰:「良大夫也,其侈偪上。」

一説にこう言う。管仲父は外出するときに朱の覆いと青の衣で、鼓を置いて帰り、庭には鼎を並べ、家には三帰を置いた。孔子が言った。「よい大夫だが、その贅沢は上を迫っている。」

孫叔敖相楚,棧車牝馬,糲餅菜羮,枯魚之膳,冬羔裘,夏葛衣,面有飢色,則良大夫也。其儉偪下。

孫叔敖が楚の相であったとき、粗末な車に牝馬を使い、挽き割りの餅と菜の汁、干した魚の膳で、冬は羔の皮衣、夏は葛の衣、顔には飢えの色があった。それならよい大夫である。しかしその倹しさは下を迫っている。

陽虎去齊走趙,簡主問曰:「吾聞子善樹人。」虎曰:「臣居魯,樹三人,皆爲令尹;及虎扺罪於魯,皆搜索於虎也。臣居齊,薦三人,一人得近王,一人爲縣令,一人爲候吏;及臣得罪,近王者不見臣,縣令者迎臣執縛,候吏者追臣至境上,不及而止。虎不善樹人。」主俛而笑曰:「樹橘柚者,食之則甘,嗅之則香;樹枳棘者,成而刺人。故君子慎所樹。」

陽虎が斉を去って趙に逃げたとき、簡主が問うた。「私はそなたが人を植えるのが巧みだと聞いている。」陽虎が言った。「臣が魯にいたとき三人を植え、みな令尹となりましたが、私が魯で罪に落ちると、みな私を探し回りました。臣が斉にいたとき三人を薦め、一人は王の側近となり、一人は県令となり、一人は斥候の役人となりましたが、臣が罪を得ると、王の側近となった者は臣に会わず、県令は臣を迎えて捕らえ縛り、斥候の役人は臣を追って境まで来て、及ばずにやめました。私は人を植えるのが巧みではありません。」簡主はうつむいて笑い、言った。「橘や柚を植えれば、食べれば甘く嗅げば香る。枳や棘を植えれば、育って人を刺す。だから君子は何を植えるかを慎むのだ。」

中牟無令。晉平公問趙武曰:「中牟,吾國之股肱,邯鄲之肩髀。寡人欲得其良令也,誰使而可?」武曰:「邢伯子可。」公曰:「非子之讎也?」曰:「私讎不入公門。」公又問曰:「中府之令,誰使而可?」曰:「臣子可。」故曰:「外舉不避讎,內舉不避子。」趙武所薦四十六人,及武死,各就賔位,其無私德若此也。

中牟に令がいなかった。晋の平公が趙武に問うた。「中牟はわが国の手足であり、邯鄲の肩と腿である。寡人はよい令を得たい。誰にさせればよいか。」趙武が言った。「邢伯子がよろしいでしょう。」公が言った。「そなたの仇ではないか。」言った。「私の仇は公の門に持ち込みません。」公がまた問うた。「中府の令は誰にさせればよいか。」言った。「臣の子がよろしいでしょう。」だから「外から挙げるときは仇を避けず、内から挙げるときは子を避けない」と言われる。趙武が薦めた者は四十六人、趙武が死ぬと、それぞれ賓客の席に着いた。彼に私の恩を売る心がなかったのは、これほどであった。

平公問叔向曰:「羣臣孰賢?」曰:「趙武。」公曰:「子黨於師人。」向曰:「武立如不勝衣,言如不出口,然所舉士也數十人,皆得其意,而公家甚賴之。及武子之生也不利於家,死不託於孤,臣敢以爲賢也。」

平公が叔向に問うた。「臣下のうち誰が賢いか。」言った。「趙武です。」公が言った。「そなたは自分の師の側に付くのか。」叔向が言った。「趙武は立てば衣の重みにも堪えないように見え、物を言えば口から出てこないように見えますが、彼が挙げた士は数十人、みなその志を得て、公家ははなはだ彼らを頼りにしています。趙武子は生きて自分の家を利することをせず、死んで遺児を人に託すこともしませんでした。臣はあえて彼を賢いと存じます。」

解狐薦其讎於簡主以爲相。其讎以爲且幸釋己也,乃因往拜謝。狐乃引弓迎而射之,曰:「夫薦汝,公也,以汝能當之也。夫讎汝,吾私怨也,不以私怨汝之故擁汝於吾君。」故私怨不入公門。

解狐が自分の仇を簡主に薦めて相とさせた。その仇は幸いに自分を許してくれたのだと思い、出向いて拝礼して礼を述べた。解狐はそこで弓を引き、迎え撃つように射て言った。「そもそもお前を薦めたのは公のことで、お前がその任に堪えるからだ。そもそもお前を仇とするのは私の恨みだ。私の恨みのゆえにお前をわが君から遮ることはしなかったのだ。」だから私の恨みは公の門に持ち込まない。

一曰:解狐舉邢伯柳爲上黨守,柳往謝之,曰:「子釋罪,敢不再拜?」曰:「舉子,公也;怨子,私也。子往矣,怨子如初也。」

一説にこう言う。解狐が邢伯柳を上党の守に挙げた。邢伯柳が出向いて礼を述べ、言った。「あなたが罪を許してくださったのですから、二度拝礼せずにおられましょうか。」言った。「そなたを挙げたのは公のことだ。そなたを恨むのは私のことだ。そなたは帰れ。そなたを恨む心は初めのままだ。」

鄭縣人賣豚,人問其價。曰:「道遠日暮,安暇語汝。」

鄭県の人が豚を売っていた。人がその値を問うと、言った。「道は遠く日は暮れている。どこにお前に話す暇があるものか。」

六。范文子喜直言,武子撃之以杖:「夫直議者不爲人所容,無所容則危身。非徒危身,又將危父。」

六。范文子が直言を好んだので、武子は杖で打って言った。「そもそも直言して論ずる者は人に受け入れられない。受け入れられなければ身が危うくなる。身が危うくなるだけでなく、さらに父をも危うくすることになる。」

子産者,子國之子也。子産忠於鄭君,子國譙怒之曰:「夫介異於人臣,而獨忠於主。主賢明,能聽汝;不明,將不汝聽。聽與不聽,未可必知,而汝已離於羣臣。離於羣臣,則必危汝身矣。非徒危己也,又且危父矣。」

子産は子国の子である。子産が鄭君に忠を尽くしたので、子国は責めて怒り、言った。「そもそも臣下のなかで人と違い、ひとり君主に忠を尽くしている。君主が賢明であればお前の言を聞くことができようが、明らかでなければお前の言を聞くまい。聞くか聞かないかは必ずしも分からないのに、お前はすでに臣下たちから離れてしまった。臣下たちから離れれば、必ずお前の身が危うくなる。自分の身を危うくするだけでなく、さらに父をも危うくすることになる。」

梁車新爲鄴令,其姊往看之,暮而後,門閉,因踰郭而入。車遂刖其足。趙成侯以爲不慈,奪之璽而免之令。

梁車が新たに鄴の令となったとき、その姉が会いに来たが、暮れて遅くなり門が閉まっていたので、城壁を越えて入った。梁車はとうとうその足を切った。趙の成侯は慈愛に欠けると見なし、彼の印を奪って令を免じた。

管仲束縛,自魯之齊,道而饑渴,過綺烏封人而乞食。烏封人跪而食之,甚敬。封人因竊謂仲曰:「適幸,及齊不死而用齊,將何報我?」曰:「如子之言,我且賢之用,能之使,勞之論。我何以報子?」封人怨之。

管仲が縛られたまま魯から斉へ送られる途中、道で飢え渇き、綺烏の国境守を通りかかって食を乞うた。綺烏の国境守は跪いて食べさせ、はなはだ恭しくした。国境守はそこでひそかに管仲に言った。「もし幸いに斉に着いて死なず、斉に用いられたなら、私には何で報いてくれますか。」言った。「そなたの言うようになったなら、私は賢い者を用い、能のある者を使い、労のある者を評価するだろう。私が何でそなたに報いることがあろうか。」国境守は彼を恨んだ。