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外儲説 右下外儲說右下

韓非子(韓非の書) 韓非子 · 韓非と後学 · 紀元前3世紀 · 段落 43 · 漢字 4,424字 · 朗読 17.7分

韓非子(韓非の書) 外儲說右下 法家が一堂に集まった書である。商鞅の法と申不害の術と慎到の勢を、韓非が受け継いで一つに編んだ。人は善だから善なのではなく、悪をなしえないから善であると見て、君主が頼るべきは仁ではなく法と術と勢であると説く。 矛盾がここから出た。貫けない盾と貫けないものがない矛を一緒に売る楚の人の話で、堯と舜をともに称えることはできないことを示し、難勢でもう一度、仁と勢をめぐって同じたとえを挙げる。切り株を守って兎を待った宋の人(守株待兎)と、足を二度切られてはじめて玉と認められた和氏の璧も、この書の話である。 語ることの難しさを扱った説難には、龍の喉の下に逆さに生えた鱗の話がある。君主にもそのような鱗があり、触れれば死ぬというのだが、当の韓非自身が秦で獄に捕らわれて死んだ。 存韓には、韓非が秦王に奉った文と、そのすぐ後に李斯が「韓非は韓のために来た者なので、帰してはならない」と奉った文が並べて収められている。一人を死に追いやった文書が、その人の書に一緒に残った。

一。賞罰共則禁令不行。何以明之?明之以造父、於期。子罕爲出彘,田恆爲圃池,故宋君、簡公弑。患在王良、造父之共車,田連、成竅之共琴也。

一。賞と罰を臣と共にすれば禁令は行われない。何によってそれを明らかにするか。造父と於期によって明らかにする。子罕は飛び出す豚となり、田恆は菜園の池となった。それで宋君と簡公は殺された。患いは、王良と造父が車を共にし、田連と成竅が琴を共にした話にある。

二。治强生於法,弱亂生於阿,君明於此,則正賞罰而非仁下也。爵祿生於功,誅罰生於罰,臣明於此,則盡死力而非忠君也。君通於不仁,臣通於不忠,則可以王矣。昭襄知主情而不發五苑,田鮪知臣情故教田章,而公儀辭魚。

二。治まりと強さは法から生じ、弱さと乱れはおもねりから生じる。君がこれに明らかであれば、賞罰を正しくして下に仁を施そうとはしない。爵禄は功から生じ、誅罰は罪から生じる。臣がこれに明らかであれば、死力を尽くしてもそれを君への忠とは思わない。君が仁でないことに通じ、臣が忠でないことに通ずれば、王となることができる。昭襄王は君主の情を知って五つの苑を開かず、田鮪は臣下の情を知って田章を教え、公儀は魚を断った。

夾注 1

底本は罰だが、罪の誤りと見た。 ― 訳者

三。明主者,鑒於外也,而外事不得不成,故蘇代非齊王。人主鑒於上也,而居者不適不顯,故潘壽言禹情。人主無所覺悟,方吾知之,故恐同衣同族,而況借於權乎!吳章知之,故說以佯,而況借於誠乎!趙王惡虎目而壅。明主之道,如周行人之却衛侯也。

三。賢明な君主は外に照らして見るから、外の事は成らざるをえない。だから蘇代は斉王を非とした。君主は上に照らして見るから、隠れ住む者は調子を合わせなければ世に出ない。だから潘寿は禹の情を語った。君主に覚るところがない。方吾はそれを知っていたので、衣を同じくし族を同じくすることさえ恐れた。まして権を貸すとなればなおさらである。呉章はそれを知っていたので、偽ってそうすることを説いた。まして本心から貸すとなればなおさらである。趙王は虎の目を嫌って塞がれた。賢明な君主の道は、周の行人が衛侯を退けたようなものである。

四。人主者,守法責成以立功者也。聞有吏雖亂而有獨善之民,不聞有亂民而有獨治之吏,故明主治吏不治民。說在揺木之本與引網之綱。故失火之嗇夫,不可不論也。救火者,吏操壺走火,則一人之用也;操鞭使人,則役萬夫。故所遇術者,如造父之遇驚馬,牽馬推車則不能進,代御執轡持筴則馬咸騖矣。是以說在椎鍛平夷,榜檠矯直。不然,敗在淖齒用齊戮閔王,李兌用趙餓主父也。

四。君主とは法を守り成果を責めて功を立てる者である。官吏が乱れていても独り善い民がいるという話は聞くが、民が乱れていて独り治まった官吏がいるという話は聞かない。だから賢明な君主は官吏を治めて民を治めない。説明は木の根元を揺することと網の綱を引くことにある。だから火を出した村の役人は論ぜずにはおけない。火を消すとき、役人が壺を持って火へ走れば一人分の働きだが、鞭を取って人を使えば万人を働かせる。だから術に出合うのは、造父が驚いた馬に出合ったようなもので、馬を引き車を押せば進めないが、代わって御し手綱を取り鞭を持てば馬はみな駆ける。それゆえ説明は、槌が凹凸を平らにし、矯め木が曲がりをまっすぐにすることにある。そうでなければ、失敗は淖歯が斉に用いられて閔王を殺し、李兌が趙に用いられて主父を飢え死にさせた話にある。

五。因事之理,則不勞而成。故茲鄭之踞轅而歌以上高梁也。其患在趙簡主稅吏請輕重;薄疑之言「國中飽」,簡主喜而府庫虚,百姓餓而姦吏富也。故桓公巡民而管仲省腐財怨女。不然,則在延陵乘馬不得進,造父過之而爲之泣也。

五。事の理に従えば、労せずして成る。だから茲鄭は轅にまたがって歌い、高い橋を上がった。その患いは、趙の簡主に徴税の役人が軽くするか重くするかを問うた話にあり、薄疑が「国中が満腹だ」と言って簡主が喜んだのに、府庫は空になり百姓は飢えて邪な役人が富んだ話にある。だから桓公は民を見回り、管仲は腐る財と恨む女を調べた。そうでなければ、延陵の馬が進まず、造父が通りかかってそのために泣いた話にある。

:右經

以上が綱となる文である。

一。造父御四馬,馳驟周旋而恣欲於馬。恣欲於馬者,擅轡筴之制也。然馬驚於出彘而造父不能禁制者,非轡筴之嚴不足也,威分於出彘也。王子於期爲駙駕,轡筴不用而擇欲於馬,擅芻水之利也。然馬過於圃池而駙駕敗者,非芻水之利不足也,德分於圃池也。故王良、造父,天下之善御者也,然而使王良操左革而叱咤之,使造父操右革而鞭笞之,馬不能行十里,共故也。田連、成竅,天下善鼓琴者也,然而田連鼓上、成竅擑下而不能成曲,亦共故也。夫以王良、造父之巧,共轡而御,不能使馬,人主安能與其臣共權以爲治?以田連、成竅之巧,共琴而不能成曲,人主又安能與其臣共勢以成功乎?

一。造父は四頭の馬を御し、駆け回り旋回して馬を思いのままにした。馬を思いのままにできたのは、手綱と鞭の制を一手に握っていたからである。しかし馬が飛び出した豚に驚き、造父が禁じ制することができなかったのは、手綱と鞭の厳しさが足りなかったからではなく、威が飛び出した豚に分かれたからである。王子於期が副馬車を御したとき、手綱も鞭も使わずに馬を思いのままにしたのは、飼葉と水の利を一手に握っていたからである。しかし馬が菜園の池のそばを通って車が壊れたのは、飼葉と水の利が足りなかったからではなく、恵みが菜園の池に分かれたからである。だから王良と造父は天下の御の名手であるが、王良に左の手綱を取らせて叱りつけさせ、造父に右の手綱を取らせて鞭打たせれば、馬は十里も行けない。共にしたからである。田連と成竅は天下の琴の名手であるが、田連が上を弾き成竅が下を押さえては曲を成せない。やはり共にしたからである。そもそも王良と造父の巧みさでも、手綱を共にして御せば馬を使えない。君主がどうしてその臣と権を共にして治められよう。田連と成竅の巧みさでも、琴を共にすれば曲を成せない。君主がまたどうしてその臣と勢を共にして功を成せよう。

一曰:造父爲齊王駙駕,渴馬服成,效駕圃中。渴馬見圃池,去車走池,駕敗。王子於期爲趙簡主取道爭千里之表,其始發也,彘伏溝中,王子於期齊轡筴而進之,彘突出於溝中,馬驚駕敗。

一説にこう言う。造父が斉王の副馬車を御したとき、馬を渇かせて馴らす仕上げを終え、菜園の中で御してみせた。渇いた馬は菜園の池を見ると、車を離れて池へ走り、車は壊れた。王子於期が趙の簡主のために道を取って千里の標を争ったとき、出発しようとするころ、豚が溝の中に伏せていた。王子於期が手綱と鞭をそろえて進もうとすると、豚が溝から飛び出したので、馬が驚いて車は壊れた。

司城子罕謂宋君曰:「慶賞賜與,民之所喜也,君自行之;殺戮誅罰,民之所惡也,臣請當之。」宋君曰:「諾。」於是出威今,誅大臣,君曰「問子罕」也。於是大臣畏之,細民歸之。處期年,子罕殺宋君而奪政。故子罕爲出彘以奪其君國。

司城の子罕が宋君に言った。「祝いや賞や下し物は民の喜ぶところですから、君が自らお行いください。殺し誅し罰することは民の憎むところですから、臣がこれを引き受けることをお願いします。」宋君が言った。「そうせよ。」そこで威ある命令を出し、大臣を誅するときに、君は「子罕に問え」と言った。そこで大臣は子罕を怖れ、下々の民は子罕に心を寄せた。一年経って、子罕は宋君を殺して政を奪った。だから子罕は飛び出す豚となってその君の国を奪ったのである。

簡公在上位,罰重而誅嚴,厚賦斂而殺戮民。田成恆設慈愛,明寛厚。簡公以齊民爲渴馬,不以恩加民,而田成恆以仁厚爲圃池也。

簡公は上の位にあって、罰が重く誅が厳しく、租税を厚く取り立てて民を殺した。田成恆は慈愛を施し、寛やかさと厚さを明らかにした。簡公は斉の民を渇いた馬とし、恵みを民に加えなかったのに対し、田成恆は仁と厚さで菜園の池となったのである。

一曰:造父爲齊王駙駕,以渴服馬,百日而服成。服成,請效駕齊王,王曰:「效駕於圃中。」造父驅車入圃,馬見圃池而走,造父不能禁。造父以渴服馬久矣,今馬見池,駻而走,雖造父不能治。今簡公之以法禁其衆久矣,而田成恆利之,是田成恆傾圃池而示渴民也。

一説にこう言う。造父が斉王の副馬車を御したとき、渇きによって馬を馴らし、百日で馴らしを仕上げた。仕上げてから斉王に御してみせることを願うと、王は「菜園の中で御してみせよ」と言った。造父が車を駆って菜園に入ると、馬は菜園の池を見て走り出し、造父は禁じられなかった。造父が渇きによって馬を馴らしてから久しいのに、いま馬は池を見て荒れて走った。造父でも治められなかったのである。いま簡公が法でその民を禁じてから久しいのに、田成恆がこれを利した。これは田成恆が菜園の池を傾けて渇いた民に見せたことである。

一曰:王子於期爲宋君爲千里之逐。已駕,察手吻文。且發矣,驅而前之,輪中繩;引而却之,馬掩迹。拊而發之。彘逸出於竇中。馬退而却,筴不能進前也;馬駻而走,轡不能正也。

一説にこう言う。王子於期が宋君のために千里の競走をした。車をつないでから、手と口のさばきを確かめた。出発しようとするとき、駆って前に進めれば輪は墨縄のとおりに通り、引いて退かせれば馬は自分の足跡を踏み重ねた。そして撫でて走り出させようとしたところ、豚が穴の中から飛び出した。馬は退いて後ずさり、鞭でも前に進ませられず、馬が荒れて走り出し、手綱でも正せなかった。

一曰:司城子罕謂宋君曰:「慶賞賜予者,民之所好也,君自行之;誅罰殺戮者,民之所惡也,臣請當之。」於是戮細民而誅大臣,君曰:「與子罕議之。」居朞年,民知殺生之命制於子罕也,故一國歸焉。故子罕劫宋君而奪其政,法不能禁也。故曰:「子罕爲出彘,而田成常爲圃池也。」今王良、造父共車,人操一邊轡而出門閭,駕必敗而道不至也。令田連、成竅共琴,人撫一絃而揮,則音必敗、曲不遂矣。

一説にこう言う。司城の子罕が宋君に言った。「祝いや賞や下し物は民の好むところですから、君が自らお行いください。誅し罰し殺すことは民の憎むところですから、臣がこれを引き受けることをお願いします。」そこで下々の民を殺し大臣を誅するとき、君は言った。「子罕と相談せよ。」一年経って、民は殺し生かす命が子罕の手に握られていることを知ったので、国中が彼に心を寄せた。だから子罕は宋君を脅かしてその政を奪い、法はそれを禁じられなかった。だから「子罕は飛び出す豚となり、田成常は菜園の池となった」と言う。いま王良と造父が車を共にし、それぞれが片側の手綱を取って里の門を出れば、車は必ず壊れて道中たどり着けない。田連と成竅に琴を共にさせ、それぞれが一本の弦を押さえて弾かせれば、音は必ず崩れて曲は仕上がらない。

二。秦昭王有病,百姓里買牛而家爲王禱。公孫述出見之,入賀王曰:「百姓乃皆里買牛爲王禱。」王使人問之,果有之。王曰:「訾之人二甲。夫非令而擅禱,是愛寡人也。夫愛寡人,寡人亦且改法而心與之相循者,是法不立;法不立,亂亡之道也。不如人罰二甲而復與爲治。」

二。秦の昭王が病んだとき、百姓は里ごとに牛を買い、家ごとに王のために祈った。公孫述が外に出てこれを見、入って王に祝いを申し上げた。「百姓はみな里ごとに牛を買って王のために祈っております。」王が人をやって調べさせると、やはりそうであった。王が言った。「その者らに一人あたり甲二着の科を課せ。そもそも命じてもいないのに勝手に祈るのは、寡人を愛することだ。だが寡人を愛するからといって、寡人がそのために法を改め、心で彼らに合わせていくのなら、それは法が立たないということだ。法が立たないのは、乱れ滅びる道である。一人あたり甲二着を罰して、改めてともに治めてゆくほうがよい。」

一曰:秦襄王病,百姓爲之禱;病愈,殺牛塞禱。郎中閻遏、公孫衍出見之,曰:「非社臘之時也,奚自殺牛而祠社?」怪而問之。百姓曰:「人主病,爲之禱;今病愈,殺牛塞禱。」閻遏、公孫衍說,見王,拜賀曰:「過堯、舜矣。」王驚曰:「何謂也?」對曰:「堯、舜,其民未至爲之禱也。今王病而民以牛禱,病愈,殺牛塞禱,故臣竊以王爲過堯、舜也。」王因使人問之,何里爲之,訾其里正與伍老屯二甲。閻遏、公孫衍媿不敢言。居數月,王飲酒酣樂,閻遏、公孫衍謂王曰:「前時臣竊以王爲過堯、舜,非直敢諛也。堯、舜病,且其民未至爲之禱也;今王病,而民以牛禱,病愈,殺牛塞禱。今乃訾其里正與伍老屯二甲,臣竊怪之。」王曰:「子何故不知於此?彼民之所以爲我用者,非以吾愛之爲我用者也,以吾勢之爲我用者也。吾釋勢與民相收,若是,吾適不愛而民因不爲我用也,故遂絶愛道也。」

一説にこう言う。秦の襄王が病み、百姓はそのために祈った。病が癒えると、牛を殺して祈願の礼を返した。郎中の閻遏と公孫衍が外に出てこれを見、言った。「社の祭や臘の祭の時でもないのに、どうして勝手に牛を殺して社に祀るのか。」怪しんで問うと、百姓が言った。「君主が病まれたので、そのために祈りました。いま病が癒えられたので、牛を殺して祈願の礼を返すのです。」閻遏と公孫衍は喜び、王に会って拝して祝い、言った。「堯や舜を越えておられます。」王は驚いて言った。「どういうことか。」答えて言った。「堯や舜では、その民が彼らのために祈るまでには至りませんでした。いま王が病まれると民は牛で祈り、病が癒えると牛を殺して礼を返しました。ですから臣はひそかに王が堯や舜を越えておられると存じます。」王はそこで人をやって、どの里がそうしたのかを問わせ、その里の里正と伍老にそれぞれ甲二着の科を課した。閻遏と公孫衍は恥じてあえて物を言わなかった。数か月して、王が酒を飲んで楽しんでいるとき、閻遏と公孫衍が王に言った。「先に臣どもがひそかに王は堯舜を越えておられると申したのは、ただ敢えてお諂いしたのではありません。堯や舜が病んでも、その民は彼らのために祈るまでには至りませんでしたのに、いま王が病まれると民は牛で祈り、病が癒えると牛を殺して礼を返しました。それなのにその里正と伍老にそれぞれ甲二着を課されたので、臣どもはひそかに怪しんでおります。」王が言った。「そなたらはどうしてこのことが分からぬのか。あの民が私のために用いられるのは、私が彼らを愛するから用いられるのではなく、私の勢によって用いられるのだ。私が勢を捨てて民と互いに情を取り交わせば、そうなれば、私がたまたま愛さないときに民はそのまま私のために用いられなくなる。だから愛の道をきっぱり断ったのだ。」

秦大饑,應侯請曰:「五苑之草著:蔬菜、橡果、棗栗,足以活民,請發之。」昭襄王曰:「吾秦法,使民有功而受賞,有罪而受誅。今發五苑之蔬草者,使民有功與無功俱賞也。夫使民有功與無功俱賞者,此亂之道也。夫發五苑而亂,不如弃棗蔬而治。」一曰:「令發五苑之蓏、蔬、棗、栗,足以活民,是用民有功與無功爭取也。夫生而亂,不如死而治,大夫其釋之。」

秦に大きな飢えがあり、応侯が願い出た。「五つの苑の草に付くもの、すなわち野菜、どんぐり、棗、栗が民を生かすに足ります。これを開くことをお願いします。」昭襄王が言った。「わが秦の法は、民に功があって賞を受け、罪があって誅を受けるようにしている。いま五つの苑の野菜や草を開けば、民に功があろうとなかろうとともに賞を与えることになる。そもそも民に功があろうとなかろうとともに賞を与えるのは、乱れの道である。そもそも五つの苑を開いて乱れるのは、棗や野菜を捨てて治まるほうに及ばない。」一説にこう言う。「五つの苑の木の実、野菜、棗、栗を開けば民を生かすに足るが、これは民に功があろうとなかろうと争って取らせることである。そもそも生きて乱れるのは、死んで治まるに及ばない。大夫はそれをやめられよ。」

田鮪教其子田章曰:「欲利而身,先利而君;欲富而家,先富而國。」

田鮪がその子の田章に教えた。「お前の身を利したいなら、まずお前の君を利せよ。お前の家を富ませたいなら、まずお前の国を富ませよ。」

一曰:田鮪教其子田章曰:「主賣官爵,臣賣智力,故自恃無恃人。」

一説にこう言う。田鮪がその子の田章に教えた。「主君は官爵を売り、臣は智と力を売る。だから自分を頼みにして人を頼みにするな。」

公儀休相魯而嗜魚,一國盡爭買魚而獻之,公儀子不受。其弟諫曰:「夫子嗜魚而不受者,何也?」對曰:「夫唯嗜魚,故不受也。夫即受魚,必有下人之色;有下人之色,將枉於法;枉於法,則免於相。雖嗜魚,此不必致我魚,我又不能自給魚。即無受魚而不免於相,雖嗜魚,我能長自給魚。」此明夫恃人不如自恃也,明於人之爲己者不如己之自爲也。

公儀休が魯の相であったとき、魚を好んだ。国中が競って魚を買って献じたが、公儀子は受け取らなかった。その弟が諫めて言った。「先生は魚をお好みなのに受け取られないのは、なぜですか。」答えて言った。「ただ魚を好むからこそ受け取らないのだ。そもそも魚を受け取れば、必ず人に頭を下げる顔色が出る。人に頭を下げる顔色が出れば、やがて法を曲げる。法を曲げれば相を免ぜられる。魚を好むといっても、この者たちが必ず私に魚を届けてくれるとは限らず、私はまた自分で魚を手に入れることもできなくなる。魚を受け取らずに相を免ぜられなければ、魚を好むとしても、私は長く自分で魚を手に入れられる。」これは、そもそも人を頼みにするのは自分を頼みにするに及ばないことを明らかにしたもので、人が自分のためにしてくれることは自分が自分のためにすることに及ばないことを明らかにしたものである。

三。子之相燕,貴而主斷。蘇代爲齊使燕,王問之曰:「齊王亦何如主也?」對曰:「必不霸矣。」燕王曰:「何也?」對曰:「昔桓公之霸也,内事屬鮑叔,外事屬管仲,桓公被髪而御婦人,日遊於市。今齊王不信其大臣。」於是燕王因益大信子之。子之聞之,使人遺蘇代金百鎰,而聽其所使。

三。子之が燕の相となり、貴くなって決断を一手に握った。蘇代が斉のために燕へ使いしたとき、王が彼に問うた。「斉王はいったいどんな君主か。」答えて言った。「必ず覇者にはなれません。」燕王が言った。「なぜか。」答えて言った。「昔、桓公が覇者となったとき、内の事は鮑叔に属し、外の事は管仲に属し、桓公は髪を解いて婦人を連れ、日々市に遊んでいました。いま斉王はその大臣を信じておりません。」そこで燕王はいっそう大いに子之を信じた。子之はこれを聞き、人をやって蘇代に金百鎰を贈り、彼の言うとおりに取り計らった。

一曰:蘇代爲齊使燕,見無益子之,則必不得事而還,貢賜又不出,於是見燕王,乃譽齊王。燕王曰:「齊王何若是之賢也?則將必王乎?」蘇代曰:「救亡不暇,安得王哉?」燕王曰:「何也?」曰:「其任所愛不均。」燕王曰:「其亡何也?」曰:「昔者齊桓公愛管仲,置以爲仲父,内事理焉,外事斷焉,舉國而歸之,故一匡天下,九合諸侯。今齊任所愛不均,是以知其亡也。」燕王曰:「今吾任子之,天下未之聞也?」於是明日張朝而聽子之。

一説にこう言う。蘇代が斉のために燕へ使いしたとき、子之を益することにならなければ、必ず用を果たせずに帰ることになり、貢ぎ物も下され物も出てこないと見た。そこで燕王に会い、斉王を誉めた。燕王が言った。「斉王はどうしてそれほど賢いのか。それでは必ず王となるのか。」蘇代が言った。「滅びを救う暇もありません。どうして王となれましょう。」燕王が言った。「なぜか。」言った。「その愛する者への委ね方が偏っていません。」燕王が言った。「その滅びはなぜか。」言った。「昔、斉の桓公は管仲を愛し、据えて仲父とし、内の事を治めさせ外の事を断じさせ、国を挙げて彼に委ねました。だから一度天下を正し、九度諸侯を集めたのです。いま斉は愛する者への委ね方が偏っていません。それでその滅びが分かるのです。」燕王が言った。「いま私は子之に委ねているが、天下はまだそれを聞いていないのか。」そこで翌日、朝廷を開いて子之に政を任せた。

潘壽謂燕王曰:「王不如以國讓子之。人所以謂堯賢者,以其讓天下於許由,許由必不受也,則是堯有讓許由之名而實不失天下也。今王以國讓子之,子之必不受也,則是王有讓子之之名而與堯同行也。」於是燕王因舉國而屬之,子之大重。

潘寿が燕王に言った。「王は国を子之に譲られるのが一番です。人が堯を賢いと言うのは、天下を許由に譲ったからですが、許由が必ず受けないとなれば、それは堯が許由に譲ったという名を得ながら、実は天下を失わなかったということです。いま王が国を子之に譲られれば、子之は必ず受けないでしょうから、それは王が子之に譲ったという名を得て、堯と行いを同じくされることになります。」そこで燕王は国を挙げて彼に委ね、子之は大いに重きをなした。

一曰:潘壽,隱者。燕使人聘之。潘壽見燕王曰:「臣恐子之之如益也。」王曰:「何益哉?」對曰:「古者禹死,將傳天下於益,啓之人因相與攻益而立啓。今王信愛子之,將傳國子之,太子之人盡懷印,爲子之之人無一人在朝廷者。王不幸弃羣臣,則子之亦益也。」王因收吏璽,自三百石以上皆效之子之,子之大重。夫人主之所以鏡照者,諸侯之士徒也,今諸侯之士徒皆私門之黨也。人主之所以自淺娋者,巖穴之士徒也,今巖穴之士徒皆私門之舍人也。是何也?奪褫之資在子之也。故吳章曰:「人主不佯憎愛人。佯愛人,不得復憎也;佯憎人,不得復愛也。」

一説にこう言う。潘寿は隠者であった。燕が人をやって招いた。潘寿が燕王に会って言った。「臣は子之が益のようになることを恐れます。」王が言った。「益はどうだったのか。」答えて言った。「昔、禹が死ぬとき天下を益に伝えようとしましたが、啓の人々がそこで相ともに益を攻めて啓を立てました。いま王は子之を信じ愛して国を子之に伝えようとしておられますが、太子の人々はみな印を懐にしており、子之の人は一人も朝廷におりません。王が不幸にして臣下たちをお見捨てになれば、子之もまた益のようになります。」王はそこで官吏の印を取り上げ、三百石以上はみな子之に差し出させたので、子之は大いに重きをなした。そもそも君主が鏡として照らし見るのは諸侯の士の輩であるが、いま諸侯の士の輩はみな私門の党である。君主が自ら身を低くして窺い見るのは岩穴の士の輩であるが、いま岩穴の士の輩はみな私門の舎人である。これはなぜか。奪い剥ぐ資力が子之にあるからである。だから呉章は言った。「君主は偽って人を憎んだり愛したりしない。偽って人を愛せば、もう憎むことができない。偽って人を憎めば、もう愛することができない。」

一曰:燕王欲傳國於子之也,問之潘壽,對曰:「禹愛益而任天下於益,已而以啓人爲吏。及老,而以啓爲不足任天下,故傳天下於益,而勢重盡在啓也。已而啓與友黨攻益而奪之天下,是禹名傳天下於益,而實令啓自取之也。此禹之不及堯、舜明矣。今王欲傳之子之,而吏無非太子之人者也,是名傳之而實令太子自取之也。」燕王乃收璽,自三百石以上皆效之子之,子之遂重。

一説にこう言う。燕王が国を子之に伝えようとして潘寿に問うと、答えて言った。「禹は益を愛して天下を益に任せ、そのうえで啓の人々を官吏としました。老いてからは、啓では天下を任せるに足らぬと考えたので、天下を益に伝えましたが、勢と重みはすべて啓にありました。やがて啓は友や党とともに益を攻めて天下を奪いました。これは禹が名目では天下を益に伝え、実際には啓に自ら取らせたことです。これで禹が堯や舜に及ばないことは明らかです。いま王はこれを子之に伝えようとしておられますが、官吏に太子の人でない者はおりません。これは名目では伝えて、実際には太子に自ら取らせることです。」燕王はそこで印を取り上げ、三百石以上はみな子之に差し出させたので、子之はついに重きをなした。

方吾子曰:「吾聞之古禮:行不與同服者同車,不與同族者共家,而況君人者乃借其權而外其勢乎!」

方吾子が言った。「私は古の礼にこう聞いている。出歩くとき、衣を同じくする者と車を同じくせず、族を同じくする者と家を共にしない、と。まして人の上に立つ者が、その権を貸し与えてその勢を外に置くことがあろうか。」

吳章謂韓宣王曰:「人主不可佯愛人,一日不可復憎;不可以佯憎人,一日不可復愛也。故佯憎佯愛之徵見,則諛者因資而毁譽之。雖有明主,不能復收,而況於以誠借人也!」

呉章が韓の宣王に言った。「君主は偽って人を愛することはできません。一朝にしてもう憎むことができないからです。偽って人を憎むこともできません。一朝にしてもう愛することができないからです。だから偽って憎み偽って愛する徴が現れれば、諂う者はそれを資本にして謗ったり誉めたりします。賢明な君主であってももう取り戻せません。まして本心から人に貸し与えるとなればなおさらです。」

趙王遊於圃中,左右以菟與虎而輟,盻然環其眼。王曰:「可惡哉,虎目也!」左右曰:「平陽君之目可惡過此。見此未有害也,見平陽君之目如此者,則必死矣。」其明日,平陽君聞之,使人殺言者,而王不誅也。

趙王が菜園に遊んでいたとき、側近が兎を虎に与えようとしてやめたので、虎は目を見張って睨み回した。王が言った。「憎らしいものだな、虎の目は。」側近が言った。「平陽君の目は、憎らしさがこれ以上です。これを見ても害はありませんが、平陽君の目がこうであるのを見れば、必ず死にます。」その翌日、平陽君がこれを聞き、人をやってその言った者を殺したが、王は誅さなかった。

衛君入朝於周,周行人問其號,對曰:「諸侯辟彊。」周行人却之曰:「諸侯不得與天子同號。」衛君乃自更曰:「諸侯燬。」而後内之。仲尼聞之曰:「遠哉禁偪!虚名不以借人,況實事乎?」

衛君が周に入朝したとき、周の行人がその称号を問うた。答えて言った。「諸侯辟疆です。」周の行人はこれを退けて言った。「諸侯は天子と称号を同じくすることはできません。」衛君はそこで自ら改めて言った。「諸侯燬です。」そうしてから入れた。仲尼がこれを聞いて言った。「行き届いたものだな、迫りを禁ずることは。虚しい名でさえ人に貸さないのだから、まして実際の事はなおさらである。」

四。揺木者一一攝其葉,則勞而不徧;左右拊其本,而葉徧揺矣。臨淵而揺木,鳥驚而高,魚恐而下。善張網者引其綱,若一一攝萬目而後得,則是勞而難;引其綱,而魚已囊矣。故吏者,民之本、綱者也,故聖人治吏不治民。

四。木を揺する者が葉を一枚一枚つかんでいけば、労するばかりで行き渡らない。左右からその根元を打てば、葉はあまねく揺れる。淵のほとりで木を揺すれば、鳥は驚いて高く上がり、魚は怖れて深く下がる。網をよく張る者はその綱を引く。もし万の網目を一つ一つつかんでから獲ろうとすれば、労するうえに難しい。その綱を引けば、魚はもう袋に入っている。だから官吏は民の根元であり綱である。だから聖人は官吏を治めて民を治めない。

救火者,令吏挈壺甕而走火,則一人之用也;操鞭箠指麾而趣使人,則制萬夫。是以聖人不親細民,明主不躬小事。

火を消すのに、役人に壺や甕を持たせて火へ走らせれば一人分の働きだが、鞭を取って指し示し人を急かして使えば、万人を動かす。それゆえ聖人は下々の民に自ら当たらず、賢明な君主は小事を自らしない。

造父方耨,時有子父乘車過者,馬驚而不行,其子下車牽馬,父子推車,請造父助我推車。造父因收器,輟而寄載之,援其子之乘,乃始檢轡持筴,未之用也,而馬咸騖矣。使造父而不能御,雖盡力勞身助之推車,馬猶不肯行也。今身使佚,且寄載,有德於人者,有術而御之也。故國者君之車也,勢者君之馬也。無術以御之,身雖勞,猶不免亂;有術以御之,身處佚樂之地,又致帝王之功也。

造父がちょうど草取りをしていたとき、父子が車に乗って通りかかり、馬が驚いて動かなくなった。その子が車を降りて馬を引き、父が車を押して、造父に車を押すのを手伝ってほしいと頼んだ。造父はそこで道具を片づけ、仕事をやめてその車に乗せてもらい、その子を引き上げて乗せ、それから初めて手綱を取り鞭を手にした。まだ使ってもいないのに、馬はみな駆け出した。造父が御せなかったなら、力を尽くし身を労して車を押すのを手伝っても、馬はやはり進もうとしなかったであろう。いま身は楽をしたうえ乗せてもらい、しかも人に恩まで施したのは、術があってそれを御したからである。だから国とは君の車であり、勢とは君の馬である。術なしにこれを御すれば、身は労しても、やはり乱れを免れない。術があってこれを御すれば、身は安らかで楽な地にありながら、しかも帝王の功を成すのである。

椎鍛者,所以平不夷也;榜檠者,所以矯不直也。聖人之爲法也,所以平不夷、矯不直也。

槌は平らでないものを平らにするためのものであり、矯め木はまっすぐでないものを正すためのものである。聖人が法を作るのも、平らでないものを平らにし、まっすぐでないものを正すためである。

淖齒之用齊也,擢閔王之筋;李兌之用趙也,餓殺主父。此二君者,皆不能用其椎鍛榜檠,故身死爲戮而爲天下笑。

淖歯が斉に用いられたときには閔王の筋を抜き、李兌が趙に用いられたときには主父を飢え死にさせた。この二人の君主はいずれもその槌と矯め木を用いることができなかったので、身は死んで殺され、天下の笑いものとなった。

一曰:入齊,則獨聞淖齒而不聞齊王;入趙,則獨聞李兌而不聞趙王。故曰:人主者不操術,則威勢輕而臣擅名。

一説にこう言う。斉に入れば淖歯の名ばかりが聞こえて斉王は聞こえず、趙に入れば李兌の名ばかりが聞こえて趙王は聞こえない。だから言う。君主が術を握らなければ、威と勢は軽くなり、臣が名を一手に握る。

一曰:武靈王使惠文王蒞政,李兌爲相,武靈王不以身躬親殺生之柄,故劫於李兌。

一説にこう言う。武霊王は恵文王に政に臨ませ、李兌を相としたが、武霊王が自ら殺し生かす権柄を握らなかったので、李兌に脅かされた。

一曰:田嬰相齊,人有說王者曰:「終歲之計,王不一以數日之間自聽之,則無以知吏之姦邪得失也。」王曰:「善。」田嬰聞之,即遽請於王而聽其計。王將聽之矣,田嬰令官具押券斗石參升之計。王自聽計,計不勝聽,罷食後,復坐,不復暮食矣。田嬰復謂曰:「羣臣所終歲日夜不敢偷怠之事也,王以一夕聽之,則羣臣有爲勸勉矣。」王曰:「諾。」俄而王已睡矣,吏盡揄刀削其押券升石之計。王自聽之,亂乃始生。

一説にこう言う。田嬰が斉の相であったとき、ある者が王に言った。「一年の会計を、王が一度数日のあいだ自らお聞きにならなければ、官吏の邪や得失を知る手だてがありません。」王が言った。「もっともだ。」田嬰がこれを聞くと、すぐに急いで王に願い出て、その会計を聞かせることにした。王が聞こうとすると、田嬰は役人に証文や斗・石・升の計算をそろえさせた。王が自ら会計を聞いたが、聞いても聞ききれず、食事を下げてからまた座ったが、夕食も取れなかった。田嬰がまた言った。「臣下たちが一年中、昼夜あえて怠らずに務めた事です。王が一夕でそれをお聞きになれば、臣下たちは励みとするでしょう。」王が言った。「そうしよう。」ほどなく王はもう眠ってしまい、役人たちはみな刀を抜いてその証文や升・石の計算を削り取った。王は自ら聞いたのに、乱れはそこから始まったのである。

五。茲鄭子引輦上高梁而不能支。茲鄭踞轅而歌,前者止,後者趨,輦乃上。使茲鄭無術以致人,則身雖絶力至死,輦猶不上也。今身不至勞苦而輦以上者,有術以致人之故也。

五。茲鄭子が手車を引いて高い橋を上がろうとしたが、堪えられなかった。茲鄭が轅にまたがって歌うと、前の者は足を止め、後ろの者は駆け寄り、手車はそれで上がった。もし茲鄭に人を集める術がなかったなら、身は力が尽きて死に至っても、手車はやはり上がらなかったであろう。いま身は労苦に至らずして手車が上がったのは、人を集める術があったからである。

趙簡主出稅者,吏請輕重。簡主曰:「勿輕勿重。重,則利入於上;若輕,則利歸於民。吏無私利而正矣。」

趙の簡主が徴税の者を出すとき、役人が軽くするか重くするかを願い出た。簡主が言った。「軽くもせず重くもするな。重ければ利は上に入り、軽ければ利は民に帰する。役人に私の利がなければ、それで正しい。」

薄疑謂趙簡主曰:「君之國中飽。」簡主欣然而喜曰:「何如焉?」對曰:「府庫空虚於上,百姓貧餓於下,然而姦吏富矣。」

薄疑が趙の簡主に言った。「君の国は中が満腹です。」簡主はにこやかに喜んで言った。「どういうことか。」答えて言った。「府庫は上で空になり、百姓は下で貧しく飢えておりますのに、邪な役人が富んでおります。」

齊桓公微服以巡民家,人有年老而自養者,桓公問其故。對曰:「臣有子三人,家貧無以妻之,傭未反。」桓公歸,以告管仲。管仲曰:「畜積有腐弃之財,則人饑餓;宮中有怨女,則民無妻。」桓公曰:「善。」乃論宮中有婦人而嫁之。下令於民曰:「丈夫二十而室,婦人十五而嫁。」

斉の桓公が目立たぬ姿で民の家を見回っていたとき、ある者が年老いて自分で自分を養っていた。桓公がその理由を問うと、答えて言った。「私には子が三人おりますが、家が貧しくて妻を持たせられず、賃仕事に出たまま帰りません。」桓公は帰ってこれを管仲に告げた。管仲が言った。「蓄えに腐らせて捨てる財があれば人は飢え、宮中に恨む女があれば民に妻がありません。」桓公が言った。「もっともだ。」そこで宮中にいる女たちを選んで嫁がせ、民に令を下して言った。「男は二十で家を持ち、女は十五で嫁ぐ。」

一曰:桓公微服而行於民間,有鹿門稷者,行年七十而無妻。桓公問管仲曰:「有民老而無妻者乎?」管仲曰:「有鹿門稷者,行年七十矣而無妻。」桓公曰:「何以令之有妻?」管仲曰:「臣聞之:上有積財,則民臣必匱乏於下;宮中有怨女,則有老而無妻者。」桓公曰:「善。」令於宮中:「女子未嘗御出嫁之。」乃令男子年二十而室,女年十五而嫁,則内無怨女,外無曠夫。

一説にこう言う。桓公が目立たぬ姿で民のあいだを歩いていたとき、鹿門稷という者がいて、歳七十になって妻がなかった。桓公が管仲に問うた。「民に老いて妻のない者がいるか。」管仲が言った。「鹿門稷という者がおり、歳七十になりますが妻がありません。」桓公が言った。「どうすれば妻を持たせられるか。」管仲が言った。「臣はこう聞いております。上に積まれた財があれば、民や臣は下で必ず足らなくなり、宮中に恨む女があれば、老いて妻のない者が出ます。」桓公が言った。「もっともだ。」そして宮中に令した。「女子でまだ侍ったことのない者は出して嫁がせよ。」そして男は歳二十で家を持ち、女は十五で嫁ぐようにさせたので、内に恨む女はなく、外に独り身の男はいなくなった。

延陵卓子乘蒼龍挑文之乘,鉤飾在前,錯錣在後,馬欲進則鉤飾禁之,欲退則錯錣貫之,馬因旁出。造父過而爲之泣涕,曰:「古之治人亦然矣。夫賞所以勸之,而毁存焉;罰所以禁之,而譽加焉。民中立而不知所由,此亦聖人之所爲泣也。」

延陵卓子が蒼龍と挑文の四頭立ての車に乗ったが、前には鉤の飾りがあり、後ろには尖った針が付けてあった。馬が進もうとすれば鉤の飾りがそれを止め、退こうとすれば尖った針が刺すので、馬はそこで横に逸れた。造父が通りかかってそのために涙を流し、言った。「古の人の治めもそうであった。そもそも賞は人を励ますためのものなのに、そこに謗りが同居している。罰は人を禁ずるためのものなのに、そこに誉めが加わる。民は真ん中に立ってどちらに拠るべきか分からない。これもまた聖人が泣く理由である。」

一曰:延陵卓子乘蒼龍與翟文之乘,前則有錯飾,後則有利錣,進則引之,退則筴之。馬前不得進,後不得退,遂避而逸,因下抽刀而刎其腳。造父見之,泣,終日不食,因仰天而歎曰:「筴,所以進之也,錯飾在前;引,所以退之也,利錣在後。今人主以其清潔也進之,以其不適左右也退之;以其公正也譽之,以其不聽從也廢之。民懼,中立而不知所由,此聖人之所爲泣也。」

一説にこう言う。延陵卓子が蒼龍と翟文の四頭立ての車に乗ったが、前には交差した飾りがあり、後ろには鋭い針があって、進めば引き、退けば鞭打った。馬は前に進むこともできず後ろに退くこともできず、とうとう逸れて走り出したので、そこで降りて刀を抜いてその脚を切った。造父はこれを見て泣き、一日中食べず、そして天を仰いで嘆いて言った。「鞭は進ませるためのものなのに、交差した飾りが前にある。引くのは退かせるためのものなのに、鋭い針が後ろにある。いま君主は、人が清く潔いからと進ませておいて、側近に合わないからと退ける。公正だからと誉めておいて、聞き従わないからと退ける。民は怖れて真ん中に立ち、どちらに拠るべきか分からない。これが聖人が泣く理由である。」