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問辯

韓非子(韓非の書) 韓非子 · 韓非と後学 · 紀元前3世紀 · 段落 4 · 漢字 436字 · 朗読 1.7分

韓非子(韓非の書) 法家が一堂に集まった書である。商鞅の法と申不害の術と慎到の勢を、韓非が受け継いで一つに編んだ。人は善だから善なのではなく、悪をなしえないから善であると見て、君主が頼るべきは仁ではなく法と術と勢であると説く。 矛盾がここから出た。貫けない盾と貫けないものがない矛を一緒に売る楚の人の話で、堯と舜をともに称えることはできないことを示し、難勢でもう一度、仁と勢をめぐって同じたとえを挙げる。切り株を守って兎を待った宋の人(守株待兎)と、足を二度切られてはじめて玉と認められた和氏の璧も、この書の話である。 語ることの難しさを扱った説難には、龍の喉の下に逆さに生えた鱗の話がある。君主にもそのような鱗があり、触れれば死ぬというのだが、当の韓非自身が秦で獄に捕らわれて死んだ。 存韓には、韓非が秦王に奉った文と、そのすぐ後に李斯が「韓非は韓のために来た者なので、帰してはならない」と奉った文が並べて収められている。一人を死に追いやった文書が、その人の書に一緒に残った。

或問曰:「辯安生乎?」

ある者が問うた。「弁論の争いはどこから生じるのか。」

對曰:「生於上之不明也。」

答えて言った。「上が明らかでないことから生じる。」

問者曰:「上之不明,因生辯也,何哉?」

問う者が言った。「上が明らかでないことがそのまま弁論の争いを生むのは、なぜか。」

對曰:「明主之國,令者,言最貴者也;法者,事最適者也。言無二貴,法不兩適,故言行而不軌於法令者必禁。若其無法令而可以接詐、應變、生利、揣事者,上必采其言而責其實。言當則有大利,不當則有重罪,是以愚者畏罪而不敢言,智者無以訟。此所以無辯之故也。亂世則不然:主有令,而民以文學非之;官府有法,而民以私行矯之。人主顧漸其法令而尊學者之智行,此世之所以多文學也。夫言行者,以功用爲之的彀者也。夫砥礪殺矢而以妄發,其端未嘗不中秋毫也,然而不可謂善射者,無常儀的也。設五寸之的,引十步之遠,非羿、逢蒙不能必中者,有常儀的也。故有常,則羿、逢蒙以中五寸的爲巧;無常,則以妄發之中秋毫爲拙。今聽言觀行,不以公用爲之的彀,言雖至察,行雖至堅,則妄發之說也。是以亂世之聽言也,以難知爲察,以博文爲辯;其觀行也,以離羣爲賢,以犯上爲抗。人主者說辯察之言,尊賢抗之行,故夫作法術之人,立取舍之行,別辭爭之論,而莫爲之正。是以儒服、帶劒者衆,而耕戰之士寡;堅白、無厚之詞章,而憲令之法息。故曰:「上不明,則辯生焉。」

答えて言った。「賢明な君主の国では、令は言のうち最も貴いものであり、法は事のうち最も適うものである。言に二つの貴さはなく、法に二つの適いはない。だから言と行いが法令に従わない者は必ず禁じられる。もし法令に定めのないことで、偽りに対処し、変化に応じ、利を生み、事を測ることができるのなら、上は必ずその言を採り、その実を責める。言が当たれば大きな利があり、当たらなければ重い罪がある。それゆえ愚かな者は罪を恐れてあえて物を言わず、賢い者は争う必要がない。これが弁論の争いがない理由である。乱れた世はそうではない。主君に令があるのに民は学問でそれを非とし、官府に法があるのに民は私の行いでそれを曲げる。君主はかえってその法令を削り、学ぶ者の智や行いを尊ぶ。これが世に学問が多い理由である。そもそも言と行いは、功と用を的とするものである。そもそも研ぎ上げた矢を当てもなく放っても、その先が秋の毛に当たらぬことはない。それでも射が巧いとは言えない。定まった基準と的がないからである。五寸の的を置いて十歩の遠くから引けば、羿か逄蒙でなければ必ず当てることはできない。定まった基準と的があるからである。だから定まりがあれば、羿や逄蒙でも五寸の的に当てることを巧みとし、定まりがなければ、当てもなく放って秋の毛に当てることを拙いとする。いま言を聞き行いを見るのに、公の用を的としないのなら、言がどれほど細かく、行いがどれほど固くても、当てもなく放った説である。それゆえ乱れた世が言を聞くときには、知りにくいことを細やかとし、博く文に通じることを弁とする。行いを見るときには、衆を離れることを賢とし、上を犯すことを気骨とする。君主が弁の立つ細やかな言を喜び、賢で気骨があるとされる行いを尊ぶので、そもそも法術を立てる人が取捨の行いを立て、言い争う論を分けようとしても、それを正してくれる者がない。それゆえ儒者の服を着た者や剣を帯びた者が多く、耕し戦う士が少なくなり、「堅白」や「無厚」を争う言葉が世に顕れ、憲令の法は絶える。だから『上が明らかでなければ、弁論の争いが生じる』と言うのである。」