いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻5 芹曝集

南漢山城を行って見ることを請う啓請往見南漢山城。啓

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 122字 · 朗読 1分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻5 芹曝集 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

廣州南漢山城乃温王舊都形勢壯固在京師數十里之地若積粟屯兵修葺城子以爲重鎭則京師之勢自固臣等近日與本道監司柳根同議隨便先設倉厫于其中始役有日屢遣軍官等往見基址而傳聞之言終與目見有異始事之初必須得其善地乃可明日臣與副使李德馨單騎馳去指授形勢而來敢。啓

広州の南漢山城は、すなわち温祚王の旧い都ですから、形勢が雄壮で固く、都から数十里の地に在ります。もし穀を積み兵を屯させ、城を修め整えて重い鎮とすれば、都の形勢は自ずから固くなるでしょう。

臣らは近ごろその道の監司の柳根と共に議し、便宜に従ってまずその中に倉を建てることにし、工事を始めて幾日になりました。幾度も軍官らを遣わして基址を見させましたが、伝え聞く話は結局、目で見るのとは異なります。事を初めに始める時には、必ず良い地を得てこそ正しいのです。

明日、臣が副使の李徳馨と共に、ただ馬を駆って行き、形勢を言い授けて参りますので、あえて申し上げます。

夾注 2

十一月四日

十一月四日。

底本は溫王であるが、温祚王を指す