南漢山城を見て来た後、重ねて権応元に実職を授けて山城の事を預けることを請う啓往見南漢山城後仍請權應元除授實職使之勾管山城事。啓
臣等往見南漢山城地勢甚好衆山束聳城在半空之上外面不知有城而中有平野土田人居亦有之城皆以礱石築之今則頹圯處甚多登最高處則京畿秃城以下及江華摩利山皆在眼底更無遮障處上有烽燧與南山相應若隨便修葺爲積粟屯守之計則可爲永久之利壬辰年州人權應元等率鄕兵在廣州賊來多數射殺至七月邊彥璲來集其兵結陣於平地應元勸令入保山城而彥璲恐其不便於遁走未久爲賊所掩全軍覆敗而廣州不能守一州之人至今言及彥璲無不歎息痛恨也權應元今以山倉監造事在其處臣招見問其變初之事其人頗勇健無㥘曾以單身遇賊射殺甚多賊不敢近廣州之人亦多言者其時軍功。啓本或多道梗不達僅爲加設軍資正而廢棄於鄕當此之時如此力戰之士所當收拾以備驅策臣令爲山城別將使之仍居城內招集舊日義兵餘在者若干名漸次訓鍊矣如除授六品以上實職以獎舊功別責新效而勾管山城之事募民入聚明年於山下定金坪沃饒之地稍設屯田則數年之間可以經營漸成貌㨾爲益必多但官爵之事不敢擅便敢。禀
臣らが南漢山城を行って見ますと、地の形勢が非常に良いのです。群なす山が束ねたように聳えて城が半空の上に在り、外からは城があることが分かりませんが、内には平らな野と田があり、人の住む家もあります。城はすべて磨いた石で築かれていますが、今は崩れた所が非常に多くあります。最も高い所に登れば、京畿の禿城から下と江華の摩利山がみな眼の下に在って、再び遮るものがなく、上に烽燧があって南山と互いに応じます。もし便宜に従って修め整え、穀を積み屯して守る計策とすれば、長く利となるでしょう。
壬辰の年に邑の人の権応元らが郷兵を率いて広州に在り、敵が来ると多く射殺しました。七月に至って辺彦璲が来てその兵を集め、平地に陣を結びました。権応元が山城に入って守ることを勧めましたが、辺彦璲は山城に入れば逃げ去りにくいことを恐れました。ほどなく敵に襲われて全軍が崩れ、広州を守れませんでしたので、一邑の人は今に至るまで辺彦璲のことを言えば、嘆き、ひどく恨まない者はありません。
権応元は今、山倉を造る事を監督してその地に在りますので、臣が招いて会い、変の初めの事を問いました。その人はなかなか勇ましく健やかで怯えがなく、かつて単身で敵に遭って射殺したものが非常に多く、敵は敢えて近づけなかったと申し、広州の人もそのように言う者が多くあります。その時の軍功を申し上げた啓本は、道が塞がって届かなかったものが多く、わずかに加設の軍資正になっただけで、田舎に捨て置かれています。このような時に当たって、これほど力を尽くして戦った士は、当然収めて使う所に備えるべきです。
臣は山城の別将とし、そのまま城内に住んで先日の義兵のうち残っている幾人かを招き集め、次第に訓練させました。もし六品以上の実職を授けて旧い功を奨め、別に新しい効を責め負わせ、山城の事を預けて民を募り入れて住ませ、来年、山の下の定金坪の肥えた地に屯田を少し設ければ、数年のうちに経営して次第に形を成し、益が必ず多いでしょう。ただし官爵の事はあえて勝手にはできませんので、あえてお伺いいたします。
夾注 1
十一月八日
十一月八日。