いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻5 芹曝集

治まらない守令を択び退けて衰えた邑を蘇らせることを請う啓請澄汰不治守令以蘇淺邑。啓

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 195字 · 朗読 1.7分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻5 芹曝集 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

臣在京中所管四道守令賢否未得聞知前日從事官韓浚謙下去時令出入民間詳細訪聞參以實績尤甚不治者一二人便之牒報今據韓浚謙牒呈黃海道康翎縣監呂應周人微望賤年少手生邑事不能成形平安道江西一縣凋弊最甚倉穀蕩盡將爲棄邑縣令趙孝男以年少武夫因一時軍功驟當是任人器不稱蘇殘起弊决非所望云此二邑皆是殘弊之地守令又不得人則不久將爲棄地韓浚謙目見牒報與流聞有異請呂應周趙孝男罷黜勿論文武南行極擇慈詳廉謹之人差送何如

臣は都に在って、管じている四道の守令が賢いか否かを聞き知ることができませんでした。先日、従事官の韓浚謙が下って行く時、民間に出入りして詳しく訪ね聞き、実際の績に照らして、治まらないことの最も甚しい一、二人を書き記して報じさせました。

今、韓浚謙が上げた報せによりますと、黄海道康翎県監の呂応周は人が微弱で望みが低く、年若く事に手慣れず、邑の事が形を成さないと申し、平安道江西の一邑は衰え弊れることが最も甚しく、倉の穀が尽き果てて今にも棄てられた邑となりそうなのに、県令の趙孝男は年若い武夫で一時の軍功によって急にこの任に当たり、人と器が釣り合わないので、衰えたものを起こし弊を改めることは決して望めないと申します。

この二邑はどちらも衰え弊れた地ですから、守令までも人を得られなければ、ほどなく棄てられた地となるでしょう。韓浚謙が目で見て書き上げたものですから、流れ聞く噂とは異なります。呂応周と趙孝男を罷免し、文官であれ武官であれ南行であれ選ばず、慈しく詳しく、廉く慎む人をよく択んで遣わすのはいかがでしょうか。

夾注 1

南行 — 科挙を経ずに官に入った人