いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻5 芹曝集

才と慮りのある文官を南兵使とすることを請う啓請以文官之有才計者爲南兵使。啓

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 381字 · 朗読 3分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻5 芹曝集 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

西北方近日形勢皆爲可虞然北方之憂尤劇於西方蓋西方則地連。上國老胡雖發必無空其巢穴而深入之理若咸鏡南道則從三水甲山直抵咸興其間道里甚近虜若窺覘虛實竊發乘虛則南北兩道將至隔絕而首尾不得相救此乃腹心之憂近者老乙可赤必要於惠山越邊屯聚設險又欲於政丞坡吾達整居耕種若其勢旣成之後則北方一帶藩胡皆將相率而歸之必爲後日難圖之患極爲可慮今之處此急之不可緩之亦不可唯當先固在我之勢而觀彼釁之淺深臨機善應不使滋蔓而已當此之時萬般計度不如擇一賢閫帥南道兵使邊良俊自初固有不堪之虞下去之後別無布置規畫之事且聞有輕率躁擾之病不得本處人心云安可望其撫輯民夷以舒。朝廷北顧之憂哉邊良俊似當遞差第其代求之於武將則極難得人雖文官而有弓馬之才且有籌度邊務之慮者則其措置規畫未必下於武將道內守令中似不無其人請問於備邊司諸臣急急處之責以完復南道之事則或可以收拾於萬一臣之計慮未知合宜與否然邊事至重故敢此上。禀

西と北の形勢は近ごろどちらも憂慮されますが、北の憂いは西よりいっそう甚しいのです。西は地が明に連なっていますから、老いた胡が動いたとしても、自らの巣穴を空けて深く入って来る理はありません。しかし咸鏡南道は三水・甲山からまっすぐ咸興に至る路が非常に近いので、虜が虚実を窺って隙に乗じて密かに起これば、南道と北道が隔て絶たれて首と尾が互いに救えなくなります。これがすなわち腹心の憂いです。

近ごろヌルハチ(老乙可赤)が恵山の向こう岸に集まって険しい地を設けようとし、また政丞坡と吾達に居を定めて耕し種を下そうとしていると申します。その形勢が成った後には、北方一帯の藩胡がみな互いに率いて彼に帰するでしょうから、必ず後日に図りがたい患いとなると、ひどく憂慮されます。今これに処するには、急いでもならず、緩めてもなりません。ただまず我が方の形勢を固め、彼らの隙の浅深を見て、機に臨んで善く応じ、蔓延らせないようにするばかりです。

この時に当たっては、万般の計りごとも、賢い閫帥を一人択ぶことに及びません。南道兵使の辺良俊は初めから任に堪えまいという憂いがあり、下って行った後も別に布き置き図り画いた事がなく、また軽率で騒がしい病があってその地の人心を得ていないと申します。どうして民と夷を撫で集め、朝廷が北を顧みる憂いを解くことを望めましょうか。辺良俊は替えるべきであろうと思われます。

ただしその代わりを武将に求めれば、人を得ることが極めて難しいのです。文官であっても弓馬の才があり、辺務を籌り度る慮りのある者であれば、措置し図り画くことは必ずしも武将に劣りはせず、道中の守令のうちにそのような人がないわけではないように思われます。備辺司の諸臣に問うて急ぎ処され、南道を全く復する事を責め負わせれば、あるいは万分の一なりとも収拾できるでしょう。臣の慮りが宜しきに合うか否かは分かりませんが、辺の事は至って重いので、あえてこのように申し上げます。

夾注 1

藩胡 — 辺方に寄り住んでいた女真の村々