平安道の武科の出身たちが守りに回る弊を論じた啓論平安道出身防守之弊。啓
從事官韓浚謙牒報內平安道江邊出身前日爲兵之時各有保率備給粮餉且常留在本堡不見防守之苦一自登第之後盡去保率名之曰出身分防之役前後相望旣無元定番次䟽數出於一時之意昌城以下出身則合氷之際分助於境內諸堡解氷之後又令分防於水上諸堡秋冬之交又使移防於滿浦諸鎭一握之米一尺之布皆無出處而親負戎器自備粮餉長立戍所在家無日若此事不早變通則萬無支保之勢云臣前此亦聞平安道出身怨苦之弊已爲。啓請處置矣其後又聞平壤等處出身之人或有自縊者或有掛其紅牌於官門而脫身逃去者所聞駭愕今據韓浚謙牒報則其致此無足恠者大抵道內出身之人皆平日取才軍士也前則各有奉足以備資粮又有番次往來有時一自出身之後無保率可以相資無番次可以遞休一年之內長在於道路防守之役不遑暇食揆之情理極爲矜惻臣求所以處置之䇿而未見便宜不過仍前日更給戶奉足又使徵發之際定其疏數如前日立番次第以休其力則庶可小愒矣如此然後赴防之時爲之計仕以爲去官之階已出六品而爲實職者始免其防戍而收其保率以給他人則民情稍似便宜今日之所以處此者唯此而已請令兵曹急速商議擧行舒邊民倒懸之苦何如
従事官の韓浚謙の報せに、このように申しました。「平安道の江辺の出身たちは、先日、兵であった時にはそれぞれ保人があって糧を備え与え、また常に自分の堡に留まって、守りに回る苦しみを知りませんでした。ところが一度科に上がった後は保人をすべて取り去り、名を出身として分かれ守る役が前後に相次ぐのに、もともと定まった順がなく、疎さと頻さがその時々の意から出ます。昌城より下の出身たちは、氷の張る頃には境内の諸堡に分かれて助けさせ、氷の解けた後にはまた水上の諸堡に分かれて守らせ、秋と冬の替わり目にはまた満浦の諸鎮へ移して守らせます。一握りの米、一尺の布も出る所がなく、自ら戎器を負い、自分の力で糧を備えて戍所に長く立ち、家に在る日がありません。この事を早く変通しなければ、支え保つ形勢は万に一つもありません。」
臣も先に平安道の出身たちが怨み苦しむ弊を聞き、すでに申し上げて処置を請いました。その後また聞きますと、平壌などの地の出身のうち自ら首を縊った者もあり、紅牌を官の門に掛けて身を脱して逃げ去った者もあると申しますので、聞くところが驚かれます。今、韓浚謙の報せを見ますと、この境に至ったのも怪しむに足りません。
おおよそ道中の出身たちは、みな平素に才を取られた軍士です。先にはそれぞれ奉足があって資と糧を備え、また順があって往き来する時がありました。ところが出身となった後は、互いに資け合う保人もなく、代わって休む順もなく、一年のあいだ長く道の上で守る役に繋がれて飯を食う暇もありませんので、人の情理で量れば、ひどく憐れむべきことです。
臣は処置の計策を求めましたが、宜しいものを見つけられませんでした。先日のとおり改めて保人を与え、また徴し発する時に疎さと頻さを定めることを、先日、番の順を立てた次第のようにしてその力を休ませれば、少しは楽になるでしょう。このようにして後、守りに赴く時には勤めた日数を数えて官に進む階とし、すでに六品に上がって実職を得た者は、はじめて守る役を免じてその保人を収めて他の人に与えれば、民の情は少し楽になるように思われます。今日これに処する道は、ただこれだけです。兵曹に急ぎ議して挙行させ、辺の民の倒れ懸かる苦しみを解かせるのはいかがでしょうか。
夾注 2
出身 — 武科に上がったが、まだ官を授かっていない者
保人 — 軍士一人の暮らしを支えた家である。底本は箇所ごとに保人・奉足・戸奉足と分けて記している場合があるが、一つの制度なので「保人」に揃えた。 ― 訳者