いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻6 辰巳錄

牙山の糧船が来て泊まった経緯と、曹好益を遣わして江東などの地で軍兵を招き募らせた事、また洪世恭を調度使から替えずそのまま任せることを請って馳せ申し上げた状啓馳。啓牙山糧船到泊緣由及發遣曹好益召募江東等處軍兵且請洪世恭勿遞調度使仍舊察任狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 404字 · 朗読 3.4分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻6 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

臣旣爲祇受書狀後卽因忠淸道進上陪去人所言聞牙山倉白米一千二百石已泊于定州立巖地距定州三十里許若乘潮回泊于安州則一日可到臣方以安州以後糧餉接濟爲憂遠道許多糧船如期適到必是天賛國家中興之運不勝喜幸卽時發遣守門將康士雍及臣帶率軍官使之馳去令於明日內到泊于安州此船旣到安州則軍糧自爲可繼而順安縣亦有馬豆一千餘石人馬所需皆無匱乏之憂今大兵旣集賊勢宜蹙正須多發軍兵各處幷進以成掎角之勢臣路中逢義禁府都事曹好益自言前以。朝廷之命召募於江東等處而平壤失守之後人多渙散且無上司公文雖有願從者未易聚會臣卽爲文移曉諭江東成川等處守令人民使之具興應募以赴國家之急仍使曹好益更去招集若江東等地之兵又頗收集與三縣之兵東西夾持而分遺精卒抄擊中和往來之賊且與黃海道形勢相連則平壤之賊如籠中之鳥不難殲滅也臣卽聞調度使洪世恭以罪罷職云世恭固不無稽緩失誤之罪但今方在此察任遞易之後他人未及來到恐事益稽緩似當姑仍其任事定後論罪合於時宜敢此煩禀惶恐無地

臣が書状を謹んで受けた後、すぐに忠清道の進上の品を負って行く人の話で、牙山倉の白米千二百石がすでに定州の立巌の地に来て泊まったと聞きました。定州から三十里ほどの所ですから、潮に乗じて安州へ回して泊めれば一日で至ることができます。臣はちょうど安州より後の糧を継ぎ給する事を憂えていた折でしたのに、遠い道の多くの糧船が期に合わせてちょうど至りましたので、必ず天が国の中興する運を賛けたものと、喜ばしく幸いなことに堪えません。ただちに守門将の康士雍と臣が帯び率いている軍官を遣わして馳せ行かせ、明日のうちに安州に泊めさせました。この船が安州に至れば軍糧は自ずから継ぐことができ、順安県にも馬の豆が千余石ありますので、人と馬に要るものはみな乏しくなる憂いがありません。今、大きな軍がすでに集まりましたから、敵の形勢は当然縮むでしょう。まさに軍兵を多く出して諸所から共に進み、掎角の勢を成すべきです。

臣は路で義禁府都事の曹好益に遇いました。自ら申しますには、先に朝廷の命で江東などの地で軍を招き募りましたが、平壌を守れなかった後は人々が多く散り、また上司の公文がないので従うことを願う者があっても容易に集まらないとのことでした。臣はすぐ公文を作って江東・成川などの地の守令と民に諭し、みな共に起こって募りに応じて国の急に駆けつけさせ、続いて曹好益に改めて行って招き集めさせました。もし江東などの地の兵をまたなかなか収め集めて三県の兵と共に東と西から挟み、精鋭の卒を分け遣わして中和を往き来する敵を撃ち、また黄海道と形勢が互いに連なれば、平壌の敵は籠の中の鳥のようで、殲ぼし滅ぼすことは難しくありません。

臣は今、調度使の洪世恭が罪で罷職されたと聞きました。洪世恭にまことに引き延ばし誤った罪がないわけではありません。ただ今はここでその任を察しておりますので、替えられた後に他の人が間に合って来られなければ、事がいよいよ遅れるのではないかと恐れます。まずはその任をそのままにして、事の定まった後に罪を論ずるのが時宜に合うように思われます。あえてこのように煩わしく申し上げますので、恐れ入るばかりです。

夾注 1

同日

同じ日。