いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻6 辰巳錄
有旨を奉じた事と、洪世恭を安州へ遣わして糧を運ぶことを催促させた事を申し上げた状啓有。旨祇受及使洪世恭往安州催運糧餉狀
懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻6 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。
本月十一日右副承旨成貼有。旨書狀臣在定州祇受江邊土兵及各官起送精兵觀察使李元翼兵使李薲太半領率已在安州惟元帥金命元在此等候唐將。天兵今日巳時自林畔已到此處明曉欲發向嘉山矣兩江浮橋十分嚴督今已畢造惟三縣倉糓回泊安州之事尙無回報海道之事慮難及期適調度使洪世恭始於昨日來到因使洪世恭先去安州催促其餘干係軍機事則與金命元相議區處計料臣所患痔瘇數日來加重不能運身欲待少歇進去嘉山而難可預期恐誤大事不勝憂悶
本月十一日に右副承旨が官印を押した有旨の書状を、臣が定州で謹んで受けました。
江辺の土兵と各邑から起こし送った精鋭の兵は、観察使の李元翼と兵使の李薲が大半を率いてすでに安州に在ります。ただ元帥の金命元だけがここに在って明の将を待っております。明の軍は今日の巳の刻に林畔からこの地に至り、明日の明け方に嘉山へ向けて発とうとしております。
二つの江の浮橋は十分に厳しく督して、今、造り終えました。ただ三県の倉の穀を安州へ回して泊める事だけはまだ回報がなく、海路の事ですので期に及びがたいかと憂えます。ちょうど調度使の洪世恭がようやく昨日至りましたので、洪世恭を先に安州へ遣わして催促させました。そのほか軍機にかかわる事は、金命元と互いに議して処する計りです。
臣が患う痔の腫れが数日のうちに重くなり、身を動かせません。少し緩むのを待って嘉山へ進もうと思いますが、予め期しがたく、大事を誤るのではないかと憂え悩むことに堪えません。
夾注 1
壬辰七月十三日在定州
壬辰の年七月十三日。定州に在った時である。