いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻6 辰巳錄
安州に留まっていた明の把総二人が帰った事を申し上げた状啓安州留住唐把總二人還歸狀
懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻6 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。
昨日二更唐人二名自嘉山來到今曉留館把總孫榮姜安等率其所屬軍人百餘名盡爲還去莫知其由臨去出示總兵傳諭節度使李薲處小帖故傳書輸上所云檢牌似無益於戰用恐被責怒令安州措辦四十餘箇以示孫榮等今此帖文內又乞多造處置極難唐將擧止不可料度大抵恥其無功而歸罪我人以爲自護之計傳聞之說極多駭愕。國事不幸每每如此徒切悶歎卽今潦雨已霽道路方通正當乘時勦賊之期而聲援不接衆心疑懼前頭之事有難期必痛陳事情更請援兵事望。朝廷商量處置
昨日の二更に明の人二名が嘉山から来ました。今朝の明け方、館に留まっていた把総の孫栄・姜安らが率いていた軍人百余名をすべて連れて帰りましたが、その理由が分かりません。去る時に総兵が節度使の李薲に伝諭した小さな帖を出して見せましたので、その文を写して上げ送ります。
いわゆる検牌は戦いに用いるのに益がないように思われますが、咎めを受けるのではないかと思って安州に四十余個を備えさせ、孫栄らに見せました。ところが今回の帖文の中にまた多く造ることを乞うていますので、処するのが非常に難しいのです。明の将の挙措は計り度ることができません。おおよそ功のないことを恥じて我が方の人に咎を帰し、自らを庇おうという計策ですから、伝え聞く話にはひどく驚かされるものが多くあります。国事の不幸がたびたびこのようですので、いたずらに悩み嘆くばかりです。
今、長雨がすでに晴れて路がまさに通り、ちょうど時に乗じて敵を討つべき期なのに、声援が繋がらず衆の心が疑い懼れますので、これからの事を必ずとは期しがたいのです。事情を切に申し上げて改めて援兵を請う事を、朝廷から量って処置されるよう望みます。
夾注 2
七月二十日
七月二十日。
検牌 — 明の軍中で用いた札と見られるが、底本に解きがない。 ― 訳者