いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻6 辰巳錄

軍糧を備えて明の軍が再び挙がるのを待った事と、体探の人を分けて黄海・咸鏡道へ遣わした事と、雲山郡守の成大業らに公文を送って武士を招き集めさせた事を申し上げた状啓措置軍糧以待。天兵再擧及發遣體探人分往黃海咸鏡道與移文雲山郡守成大業等招集武士狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 464字 · 朗読 3.9分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻6 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

近日唐兵出來與否漠然未聞極爲悶欝臣時留安州輸運各處之糓定州安州已到者米各二千石馬豆各千餘石足可支五六千兵旬月之糧雖至於萬兵數日之內不至匱乏若過此數則誠有難支之憂請兵多寡出來遲速預爲詳知可無窘迫難辦之患十七日接戰時被傷唐兵褁瘡曳足自平壤出來者連續不絕令一路各官盡心救療其失馬徒行者使之出牛馬載送臣聞黃海道瑞興山城多有各邑倉糓且據險絕若有數三人守之則賊必不敢進攻保守與否未能的知募得自願哨探者義州驛子金克諶咸從鄕吏金應龍官奴丁守等從間道往探又移文于其處各官授以邀截賊路之策使之倡率吏卒盡力殺賊又募得安州僧二名從孟山陽德山路往探北道消息而時未還北路之賊萬一與此處之賊相合散出於陽孟之間則勢甚可憂臣連續移文于宋言愼令申勅各官極力把截惟道內無一武士可以定將者前聞熙川等地諸山避亂者多歸之其中或多武士出身之人故令雲山郡守成大業評事李尙哲魚川察訪邊以中等分道招集克期來會幷爲星火知委今日李元翼李薲等方以大軍進戰而三縣之兵從西面同時幷擧人心齊憤適又雨勢快晴行師便利幸以天意悔禍殘寇掃蕩平壤以南可以皷行無阻秋禾方熟糧餉之事亦可隨處取辦不勝佇望之至

近ごろ明の軍が出て来るか否かを遥かに聞くことができず、ひどく悩ましく思われます。臣は今、安州に留まっております。

諸所から運んだ穀で定州と安州にすでに至ったものは、米がそれぞれ二千石、馬の豆がそれぞれ千余石です。五、六千の軍の一か月の糧を十分に給するに足り、万の軍に至っても数日のうちは乏しくなりません。もしこの数を越えれば、まことに給しがたい憂いがあります。請うた兵が多いか少ないか、出て来るのが早いか遅いかを予め詳しく知ってこそ、窮して弁じがたい患いがないでしょう。十七日の戦いの時に傷ついた明の軍で、傷を包み足を引きながら平壌から出て来る者が相次いで絶えませんので、一つの路の各邑に心を尽くして治療させ、馬を失って歩いて行く者には牛と馬を出して載せ送らせました。

臣が聞きますに、黄海道の瑞興の山城に諸邑の倉の穀が多くあり、また険しい所に位置していて二、三人が守るだけでも敵は敢えて進んで攻められないと申します。守り保っているかは確かには分かりません。自ら願って哨探しようという者として、義州の駅子の金克諶、咸従の郷吏の金応龍、官奴の丁守らを募って間道から行って探らせ、また その地の各邑に公文を送って敵の路を遮り断つ計策を授け、吏卒を先に立って率いて力を尽くして敵を殺させました。また安州の僧二名を募って孟山・陽徳の山路から北道の消息を探らせに遣わしましたが、まだ帰っておりません。北路の敵がもし この地の敵と合して陽徳・孟山のあいだへ散り出れば形勢がひどく憂えられますので、臣は相次いで宋言愼に公文を送り、各邑を重ねて固く申し付けて力を尽くして遮り断たせました。

ただ道の中に将と定めるに足る武士が一人もありません。先に聞きますに、熙川などの地の諸山に乱を避けた者が多く集まっており、そのうちに武士の出身の人が多いこともあると申しますので、雲山郡守の成大業と評事の李尚哲、魚川察訪の辺以中らに路を分けて招き集め、期限を定めて来て会わせることにし、併せて火のように急ぎ知らせました。

今日、李元翼・李薲らがまさに大軍で進んで戦い、三県の兵が西から同じ時に共に挙がりますので、人心が一様に憤り立ちます。ちょうどまた雨が快く晴れて軍を動かすのに便です。幸いに天の意が禍を悔いて残る寇を掃き蕩すなら、平壌以南は鼓を鳴らして阻まれず進むことができます。秋の穀がまさに熟しますので、糧も所々で取り弁ずることができます。立って望む心に堪えません。