いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻8 辰巳錄

大軍が安州に至って李提督に会い、軍事を議した状啓大軍到安州見李提督議軍事狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 551字 · 朗読 4.8分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻8 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

前月二十九日。天兵始到安州遊擊參將葛逢夏先來初二日左翼都督李如柏率諸將繼至結陣于城外軍容甚盛翌日發向肅川臣條列軍中事宜數事幷畫平壤地圖以呈都督出大廳招臣相見細問倭奴多少道路遠近糧草有無及他軍事臣隨問對之而退右翼都督張世爵又到暫留卽向肅川巳時大將提督李如松中衛楊元等諸將又至臣出迎于城外日暮提督出坐東軒招臣相見臣袖持地圖以進提督命設椅近坐展地圖于卓子上以手指點道路悉陳進兵勦賊方略縷縷不已且言明日同往肅川與其處領兵將官共會詳議臣今日隨往肅川提督所言甚多難以盡記大槪指地圖降福山曰。天兵當設伏此地令本國軍馬誘賊出來合擊勦滅不爾則又使一枝兵從東路合圍大同門四面攻之倭賊鳥銃數百步外雖中不能傷人我軍之炮則可及數里以此攻城賊必不支平壤旣破然後又使一枝兵往北道其餘當向黃海道云各官所儲糧草時得僅僅支給若多日留屯萬無接濟之理伏聞唐糧在道而運到無期云臣意令各官守令親自盡率境內牛畜人丁負戴輸運次次到境各具輸運日時其中尤甚稽留者逐一從重治罪庶幾輸到軍前可免窘乏之患請令該司急速處置。天兵雖到而我兵當因此際亦自致力然後可以有濟臣觀各陣諸將可任統領者絕少而雖在褊裨亦無勇銳敢戰之士傳聞水原居金瑩乃遇秋之子勇力絕人而爲都事鄭曄所率久在閒地殊爲可惜前月中移文于京畿使之起送軍前今聞來在義州當此臨戰之際勇士一人有關金瑩不分晝夜給戰馬出送

去る月の二十九日に明の軍がようやく安州に至りましたが、遊撃参将の葛逢夏がまず来ました。初二日に左翼都督の李如柏が諸将を率いて相次いで至り、城の外に陣を結びましたが、軍容がひどく盛んで、翌日、粛川へ発って行きました。臣は軍中の宜しい事を数件、条ごとに並べて記し、併せて平壌の地図を描いて上げました。都督が大きな廳に出て臣を招いて互いに会い、倭奴の多少と路の遠近、糧と草の有無、そのほかの軍事を詳しく問いましたので、臣は問われるままに答えて退きました。右翼都督の張世爵もまた至ってしばらく留まり、すぐ粛川へ向かいました。

巳の刻に大将提督の李如松と中衛の楊元ら諸将もまた至りましたので、臣は城の外に出て迎えました。日が暮れて提督が東軒に出て坐り、臣を招いて互いに会いましたので、臣は袖に地図を持って進みました。提督は椅子を置いて近く坐らせ、地図を卓子の上に展げ、手で路を指し点じながら、兵を出して敵を討つ方略を細かに申してやめませんでした。また明日、共に粛川へ行ってその地で兵を率いる将官と会して詳しく議そうと申しましたので、臣は今日、従って粛川へ参ります。

提督が申したことは非常に多く、すべては記しがたいのです。おおよそ地図の降福山を指して「明の軍が当然この地に伏を設け、本国の軍馬に敵を誘い出させて合わせ撃ち、討ち滅ぼそう。そうでなければ、また一手の兵で東の路に沿って大同門を囲み、四面から攻めよう。倭賊の鳥銃は数百歩の外では当たっても人を傷つけられないが、我が軍の砲は数里に及ぶことができるから、これで城を攻めれば敵は必ず支えられないであろう。平壌を破った後は、また一手の兵を北道へ遣わし、その残りは当然、黄海道へ向かおう」と申しました。

各邑に蓄えた糧と草は、かろうじて給するだけですから、もし幾日も留まり屯すれば、万に一つも継ぎ給する理がありません。伏して聞きますに、明の糧が路に在るが運び到る期がないと申します。臣の思いでは、各邑の守令に自ら境内の牛と丁壮をすべて率いて負い戴いて運び送らせ、次々に境に至れば、それぞれ運び送った日時を具えさせ、そのうち いっそう甚しく滞った者は一つ一つ重く罪を治めれば、ほぼ軍の前へ運び到って窮し乏しくなる憂いを免れるでしょう。請いますに、掌る司に急ぎ処置させてください。

明の軍が至ったとしても、我が軍が当然この折に自ら力を尽くして後にこそ済うことができます。臣が各陣の諸将を見ますと、率いることを任せるに足る者が極めて少なく、褊裨のうちにも勇ましく鋭く敢えて戦う士がありません。伝え聞く話では、水原に住む金瑩はすなわち遇秋の子で、勇と力が人に勝れているのに、都事の鄭曄に率いられて長く閑な地に在りますので、ひどく惜しまれます。去る月に京畿に移文して軍の前へ起こし送らせましたが、今聞きますと義州に来ていると申します。この戦いに臨む折に勇士一人がかかわりますので、金瑩に昼夜を分けず戦馬を与えて出し送ってください。

夾注 1

癸巳正月三日

癸巳の年正月三日。