いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻9 辰巳錄

明の将が軍を旋すと定めたのは軍糧が絶えたゆえではないことを申し上げる状啓天將已定旋師非緣糧餉乏絕狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 260字 · 朗読 2.2分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻9 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

今見提督咨文緣各處運糧不繼難於前進至有還師之語垂成大功將虧一簣云。朝廷遠在凡百措置全委于卿而莫重芻糧不爲趁措至於提督移咨有此旋師之意予心尤爲缺然卿宜竭其心力十分周旋無使乏絕事本月初三日左副承旨成貼有。旨書狀臣在開城府祇受京畿人力殫竭彼此輸運之間不無淹留遲滯之事至於近日則南方運糧連續來泊時在江口者米豆幷一萬餘石提督還師之計不必在於糧餉乏絕不幸自碧蹄輕進一跌之後遽爲退縮自碧蹄退坡州自坡州退東坡自東坡退開城其意可知今日已定旋師之計臣呈文陳辭前後懇乞力已竭矣自中已定之計不以微言而有所移易大事將去莫非臣等無狀之罪伏地痛泣不知所達

「いま提督の咨文を見ると、各処で軍糧を運ぶ事が続かず前へ進みがたいとして、軍を旋すという語まであるから、成りかけた大功が一簣を欠いて崩れることになった。朝廷は遠くにあって百般の処置をすべて卿に委ねたのに、何より重い秣と軍糧を時に合わせて調えられず、提督が咨文を送って軍を旋す意を示すに至ったので、予の心はいっそう物足りない。卿はまさに心と力を尽くし、十分に周旋して絶えることのないようにせよ」との御旨を、今月三日に左副承旨が書き下した書状で、臣が開城府において承りました。

京畿は人の力が尽きて、あちらこちらへ運ぶ間に滞り遅れる事がないわけではありませんでした。しかしこのごろは南から運ぶ軍糧が続いて着き、今、川口にあるものだけでも米と豆を合わせて一万余石です。提督が軍を旋そうとする計策は、必ずしも軍糧が絶えたゆえではありません。不幸にも碧蹄で軽々しく進んでひとたび躓いた後、にわかに縮こまって、碧蹄から坡州へ退き、坡州から東坡へ退き、東坡から開城へ退きましたので、その意は察するに足ります。

今日すでに軍を旋すと定めましたので、臣は文を呈して事情を申し述べ、前後して懇ろに乞い、力を尽くしました。しかし彼らのうちですでに定めた計策でありますから、取るに足らぬ言葉では変わるところがありません。大事が誤られることになりましたので、みな臣らの不甲斐ない罪です。地に伏して痛み泣き、申し上げるべきことを知りません。