いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻11 辰巳錄

御旨を承った後、敵の党を離し分ける事を申し上げる有。旨祗受後仍論行間以離賊黨事宜狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 239字 · 朗読 2分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻11 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

本月初九日同副承旨成貼有。旨書狀臣在東坡祗受昨日申時舟師將金千鎰等又送。王子書二道及別錄一紙故監封上送別錄則似是黃赫所書而淸平兩賊互相猜阻此亦行間以離其黨之時適沈遊擊於昨日午時自開城府馳來臣已略書多爲之間以離其黨之意以送而沈略見查將于其幕怱怱過去故不得相見問其意思如何大抵自古夷狄最爲無厭豈有和好得成之理况我與此賊有不共戴天之讎雖死而豈可與之講解臣又觀賊謀甚爲難測數日來散出搶掠未已不無欲以此故緩我師與。天兵而益逞兇毒之計臣日夜焦心而制在。天將末如之何今此有。旨辭緣詳審奉行後更爲馳。啓計料

今月九日に同副承旨が官印を押して下した御旨の書を、臣が東坡において承りました。

昨日の申の刻に、舟師将金千鎰らがまた王子の書二通と別録一枚を送ってまいりましたので、封じて上げ送ります。別録は黄赫が書いたように思われますが、清正と行長の二賊が互いに猜み隔てているとのことですから、これもまた間を入れてその党を離し分ける時です。

たまたま沈遊撃が昨日の午の刻に開城府から馳せて参りました。臣はすでにおおよその書を書いて、間を多く入れてその党を離し分けようという意を送りました。しかし沈遊撃はその幕舎で査将をしばらく見てそそくさと過ぎ去りましたゆえ、互いに会ってその意がどうであるか問うことができませんでした。

おおよそ古より夷狄は飽くことを知らぬことが最も甚しいものでしたから、どうして和好が成る理がございましょうか。ましてや我らはこの敵と一つの天を戴いて生きられぬ仇でありますから、たとえ死んでも、どうしてともに和解しましょうか。

臣がまた見ますに、敵の謀はきわめて計りがたく、幾日かの間に散り出て掠めることをやめません。これによって我が軍と明の軍を緩めておき、凶く毒な謀をいっそう振るおうという意がないわけではありません。臣は夜も昼も心を焦がしておりますが、決するのは明の将にかかっておりますので、どうすることもできません。

今回の御旨の次第は、詳しく察して承り行った後、改めて急ぎ申し上げる計りでおります。

夾注 1

同日

同じ日。