いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻12 辰巳錄
松山の靖陵の仮に安置した所を察して申し上げる状啓奉審松山。靖陵靈幄狀
懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻12 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。
臣二十日昏時自東坡入城二十一日護渡。天兵追賊事急終日在漢江二十二日始爲奉審於楊州松山里。靖陵靈幄奉安處號痛罔極呼天叩地欲死不得朝。陵使順寧君陪侍。幄殿僉正朴惟仁前萬戶金克忠率軍數十餘名仍爲侍衛矣京畿各邑蕩敗已甚又奔走於唐兵支待頓無餘力故臣移文于江原監司使之進排凡物而。靈殿野次宿衛孤單凡事待。朝廷指揮急速不分晝夜處置臣又奉審。宗廟灰燼之餘僅辨基址。三宮亦皆殘毁不可忍言幷以大槪馳。啓
臣は二十日の暮れがたに東坡から城へ入り、二十一日は明の軍が敵を追って川を渡る事を助けるのに急で、終日漢江におりました。二十二日にようやく楊州の松山里に靖陵を仮に安置した所を察しました。叫んで痛むことが限りなく、天を呼び地を打って、死にたくても死ねませんでした。
朝陵使の順寧君が仮に安置した所を守っており、僉正朴惟仁と前万戸金克忠が兵数十余名を率いてそのまま守っております。京畿の諸邑は崩れ果てたことがすでに甚しいうえ、また明の軍の賄いに走り回って残る力がまったくありませんので、臣が江原監司へ公文を送ってあらゆる物を供え差し出させました。しかし仮に安置した所を守る者が孤り少なく、あらゆる事が朝廷の指揮を待っております。昼夜を分けず急ぎ処置してください。
臣はまた宗廟を察しましたが、焼けて残った灰の中にやっと跡地を見分けられるほどで、三つの宮闕もみな壊れ砕けて、とても申せません。あわせてその大略を馳せて申し上げます。
夾注 2
四月二十三日在京城
四月二十三日、京城で。
底本は靈幄・幄殿・靈殿と別々に記しているが、陵から奉じ出したものを仮に安置した一つの場所を指す。