いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻14 辰巳錄
慶尚道を防ぎ守る形勢を申し上げる状啓陳慶尙道防守形勢狀
懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻14 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。
今日形勢反復商度雖設百險於他處而若嶺南不能支撑則江原兩湖奠非次第受兵之地而大事去矣蓋賊之所忌憚者。天兵今若令劉摠兵之軍進住於大丘淸道之境左右顧眄遮蔽慶州及中路內侵之勢又使駱參將等軍進屯於固城泗川之境遮遏賊兵西犯之路且連三道舟師水陸合勢以壯聲成而從海道自順天運湖南之糓以爲軍食使風一日而可至以省陸輸之獘因令我軍臨鼎津而設機固守無使賊舟得渡三處連亘且戰且守則賊勢自歛不敢肆意衝突矣
今日の形勢を繰り返し計ってみますに、たとえ他の所に百の険しい備えを設けても、もし嶺南が支えられなければ、江原道と湖西・湖南が順々に兵火を受ける地でない所がなくなって、大きな事は誤られてしまいます。
おおよそ敵が憚るところは明の軍です。いまもし劉総兵の軍を大丘と清道の境へ進んで留まらせて、左右を顧み見ながら慶州と中ほどの路から内へ攻め入る勢いを遮らせ、また駱参将らの軍を固城と泗川の境へ進んで陣を張らせて敵兵が西へ侵す路を塞がせ、また三つの道の水軍を連ねて水と陸が勢いを合わせ、声と威を盛んにしてください。
そして海の路で順天から湖南の穀を運んで軍糧とすれば、風に乗って一日で至れますから、陸で運ぶ弊を省けます。続いて我が軍に鼎津に臨んで仕掛けを設けて固く守らせ、敵の船が渡れないようにし、三か所が連なり伸びて戦いながら守れば、敵の勢いはおのずから縮まって、あえて思うままに衝いて来られないでしょう。
夾注 2
癸巳九月
癸巳の年九月。
底本は「江原兩湖奠非次第受兵之地」であるが、「奠」は「莫」の誤りと見て、ない所がなくと読む。