いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻14 辰巳錄

御旨を承った後、ついで職を解いて帰り、老いた母に会うことを請う状啓有。旨祗受後仍請解職歸見老母狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 593字 · 朗読 5.5分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻14 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

臣於楊州道中祗受承政院有。旨書狀以臣呈辭歸覲雖出於人子之至情目今南賊尙未渡海西邊又有警報國事艱危甚於前日此豈大臣顧念私家之時乎輕易去國物情悶欝停行還來事有。旨臣俯伏路次惶懼隕越不知所出臣添在大臣之列不念國事艱危徒以區區私情陳瀆。聖聽動招物議有此狼狽失措之事臣罪固難容於萬死矣顚沛道路進退維谷俯仰慙靦罔知所達臣之一家情事他人豈能盡知今日在朝之臣豈有九十之母遠在千里之外三年不得相見如臣者哉宜人情之不見諒也臣若母病不深事勢稍可遲留當此寒月臣以經年病喘何必忍死扶曳跋涉脩程乎誠有所不得已也臣母亂離以後多喪女息憂傷成病今又以念臣之故病勢增添臣之不孝極矣如是而臣忍心不歸諉之曰待國事寧帖國事寧帖旣非朝暮可期其時臣母之存與否又可必耶臣言之至此不能爲心夫母子之情自臣一家而言則固是私事若以。朝廷使人之道而言之則亦天下公理自古世雖危難而此路不可蕪廢今以臣之無狀而公議之不容如此臣所自致尙何言哉臣伏念。聖恩如天無物不遂前此固哀臣之至情難抑已許他大臣出仕後歸省臣祇奉。明旨計日以待今則左相金應南已出供職廟堂不爲無人邊事雖急軍國重務自當句管臣則於此𨻶歸見垂死之母公義私情可謂兩行不悖而出城半日。嚴命又下促臣還。朝臣欲進不得欲去亦難神精瞀亂惶惑失措心火熾發病又添加僵仆於荒墟草野之間呻吟待。命伏乞。聖慈哀之悶之令臣仍奉前。旨寸寸下去以見老母而還如大臣之任不可久曠則亟遞臣職命使臣安心時月之間少免癏曠之罪公私兼濟尤出陶鎔不勝涕泣祈祝之至

臣は楊州の路の途中で承政院の御旨の書状を謹んで受けました。その書に、臣が職を辞して親に会いに行くことを請ったのは、子たる者の至った情から出たものではあるが、いま南の敵がまだ海を渡っておらず、西の辺にはまた警報があって、国の事の難しく危ういことが先日より甚しいのに、これがどうして大臣が私の家を顧みる時であろうか、軽々しく国を離れるので人々の心がやりきれないから、行く路をやめて帰れ、とございました。臣は路傍に伏して恐れ畏み、魂が落ちて措るべきところを知りませんでした。

臣は大臣の列に加わっていながら、国の事の難しく危ういことを思わず、ひたすらつまらぬ私の情で聖上のお耳を乱して物議を起こしましたので、このように狼狽して為す術を失いました。臣の罪は万度死んでも容れられがたいのです。路で倒れ、進むも退くもみな塞がって、俯き仰いで恥ずかしく、申し上げるべきことを知りません。

臣の一家の事情は、他人がどうしてすべて知りましょうか。今日、朝廷にある臣のうちで、九十になる母が千里の外に遠くあって三年も互いに会えない者が、臣のような者のほかにどこにありましょうか。人の情が思いやってくれないのも当然です。臣がもし母の病が深くなく、事の勢いが少しでも留まれるものであったなら、この寒い月に、年を越した病んだ息でどうして死を忍んで身を引きずり、遠い路を越え渡りましょうか。まことにやむを得ないところがあるのです。

臣の母は乱離の後、娘たちを幾人も失って憂いと傷みが病となりましたのに、いままた臣を思うゆえに病の勢いが加わりました。臣の不孝は極まっております。それでも臣が心を忍んで帰らず、国の事が安らかになるのを待つと言い寄せるなら、国の事が安らかになることはすでに朝夕に期せるものではありませんから、その時に臣の母が生きているかどうかも、どうして必ずと言えましょうか。臣の言葉がここに至って、心を抑えられません。

およそ母と子の情は、臣の一家について申せばまことに私の事ですが、朝廷が人を用いる道で申せば、やはり天下の公の理です。古より世が危うく乱れていても、この道は荒れさせて廃すことはできませんでした。いま臣が取るに足らず、公の論に容れられないことがこのようでありますから、臣がみずから招いたことで、改めて何を申しましょうか。

臣が伏して思いますに、聖恩は天のようで、成らないものがありません。先にまことに臣の至った情を哀れんで抑えがたいとされ、すでに他の大臣が出て官に就いた後に帰って見舞うことをお許しになりました。臣は明らかな御旨を謹んで承り、日を数えて待っておりました。いまは左相金応南がすでに出て職務を執り、廟堂に人がないわけではなく、辺の事は急ではありますが、軍国の重い事はおのずから掌り治める者があります。臣はこの隙に帰って死にかけた母に会えば、公の義と私の情が二つともに行われて背かないと申せましょう。

ところが城を出て半日で、厳しい命がまた下って、臣を催して朝廷へ帰れと申されます。臣は進もうとしても得られず、去ろうとしてもまた難しいのです。精神が茫と乱れ、惑って為す術を失い、心の火が燃え立って病がまた重くなり、荒れた跡の草地の間に倒れて呻きながら命を待っております。

伏して乞いますに、聖上が哀れみ、やりきれなく思われて、臣に先に下された御旨をそのまま承り、一歩ずつ下って行って老いた母に会って帰らせてください。もし大臣の任を長く空けられないのであれば、速やかに臣の官を代えられ、臣に心を置かせて、一、二か月のうちに職務を空けた罪だけでもいくぶん免れさせてください。公と私がともに成ることが、いっそう陶み鍛えてくださるお恵みから出るでありましょうから、泣いて祈る思いに堪えません。

夾注 1

甲午冬

甲午の年冬。