慶尙道の軍兵の事と、柳永慶の職名を分戶曹に改める事を急ぎ申し上げる上申状馳。啓慶尙道軍兵事及柳永慶改稱分戶曹狀
卽據慶尙左兵使成允文牒呈各官束伍軍太半作米所定三千名整齊無路已曾徵米之人又令從軍則民怨極多潰散相續罔知所處云大槪賊勢縱橫出沒無常我國之兵雖云脆弱而難用亦不可盡皆罷遣使諸將空手而坐無人之地已爲失䇿至於哨探瞭望傳通邊報等事皆爲廢弛臣入慶尙道地界後已過七八日而左右邊報漠然傳聞右道等處安陰居昌陜川賊勢熾發至於搶奪。天兵積糧之處而亦無傅報其他調兵防守之事蕩無模樣事事極爲寒心大事當前而我國凡百䇿應協同之事疎濶如此臣分道行文十分申勅如有失誤未及期會則將官以下一切以軍律從事事知委而已散之軍未及數日間整齊以爲進取之計憂慮萬端。天兵糧餉竭收公私之儲僅備七八萬石但道內使命極多如總管使尹承勳備邊司堂上柳永慶分戶曹堂上成泳皆以敵體衙門各行號令不無互相抵捂之患一邑之糓或令移轉於尙州或令移轉於慶州或令移轉於大丘以此守令莫適奉行而殘民日就困竭彼此無及尤爲可慮凡事號令雜出則事無由濟當初經理旣以尹承勳總督儲道糧草其後雖分營各治而總督之名猶在似當參酌三分之勢通融相議措置而柳永慶勿稱備邊司堂上與成泳同稱分戶曹使事權歸一而論議相通似爲便當。朝廷急速處置
ただ今、慶尙左兵使成允文の牒呈によりますと、「各邑の束伍軍は大半を米に替えて納めましたので、定められた三千名を整える道がありません。すでに米を納めた者にまた従軍させますので、民の怨みがきわめて多く、崩れ散る者が相次いで、どうすべきか分かりません」とのことです。
おおむね賊の勢いは縦横に出没して定まりがありません。わが国の兵はもろく弱くて用い難いとはいえ、やはりすべてを解き放ち、諸將に素手で人のいない地に座らせておくのは、すでに誤った策です。斥候や見張り、辺境の報せを伝える事までもが崩れ緩んでいます。臣が慶尙道の境に入ってからすでに七日八日が過ぎましたが、左右の辺報は漠然としています。伝え聞くところでは、右道の安陰・居昌・陜川などの地で賊の勢いが盛んに起こり、明軍が軍糧を積んである所を奪い取るまでに至ったとのことですが、これもまた伝え報せてくるものがありません。そのほか兵を調発して防ぎ守る事も何の形もなく、事ごとにきわめて心寒いことです。大事が目の前に迫っているのに、わが国のあらゆる策応・協同の事がこのように粗く手薄です。
臣は道を分けて文を送り、十分に重ねて戒め、もし誤って期限に間に合わなければ將官以下を一切軍律によって処断する事として知らせました。しかし、すでに散った軍を数日の間に整えて進み攻める計とすることは難しく、憂いは万端です。
明軍の軍糧は公私の蓄えをことごとく収めて、わずかに七万八万石を備えました。ただ道内に命を受けて下った官員がきわめて多くあります。總管使尹承勳、備邊司堂上柳永慶、分戶曹堂上成泳が皆、対等な衙門としてそれぞれ号令を出しますので、互いに食い違う心配がないとはいえません。一つの邑の穀を、あるいは尙州へ移せと言い、あるいは慶州へ移せと言い、あるいは大丘へ移せと言いますので、これによって守令はどれに従って奉じるべきか定まらず、衰え残った民は日ごとに困り尽きて、あれにもこれにも及びません。いよいよ憂慮すべきことです。
およそ事は号令が入り混じって出るならば、成し遂げられる道がありません。当初、經理はすでに尹承勳に軍糧と馬草を供する道を総督させました。その後、営を分けてそれぞれ治めるとはいえ、総督という名はなお残っています。三つに分かれた形勢を参酌して、互いに通じ合って議り処置するのが当然かと存じます。柳永慶は備邊司堂上と称させず、成泳とともに分戶曹と称させて、事の権限が一つに帰し、論議が互いに通じるようにするのが穏当かと存じます。朝廷は急ぎ処置してくださいますよう。
夾注 1
十二月
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