いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻14 辰巳錄

楊經理の言によって職名を削り退けることを請う上申状以楊經理言請鐫黜職名狀

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 2 · 漢字 592字 · 朗読 5.5分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻14 辰巳錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

今日早牌臣詣經理衙門通名李德馨先入論說何事通事宋業男在遠處聽得經理言柳某得罪於邢軍門聞軍門之來逃避來此運糧等事專委尹承勳爲之業男卽以此言傳之於臣而臣未敢信聽旣而德馨退臣問於德馨德馨云無有是語臣亦意業男或誤聽卽進行禮而退午後有白都司潢伺候通專白應俊來言持平南以恭言於白都司云此處管糧官多且有議政檢勅俺別無所事何以爲之都司言老爺言柳某得罪軍門逃來必且隨我前去糧運催督不可爲云汝須仍在此催發軍糧不可還去臣始知朝來宋業男所傳者非是誤傳也臣釁孽旣重人鬼交惡千萬意外得此不測之言近日之事怳惚如夢莫測頭緒今番出來已知因此添成一段禍端必且上累。國家下速臣罪曾將此意暫達於。天聽只緣迹嫌避事不敢堅辭跼蹐承。命而來晝夜憂痛如坐針氈今果如此臣行止狼狽不知所出臣之一死有似螻蟻但不死於國事而死於惡名目所不瞑且臣名在大臣之列受此名以死則國事亦將如何經理今日前去慶州臣不敢隨去以益其疑當在中路以竢。朝廷之命而亦難於自由伏乞。朝廷亟賜處置以不職無狀之罪鐫黜臣職使臣明白歸死於。輦下以昭雪誣枉實天地父母生成之思而國家之幸

今日の早い刻、臣が經理の衙門に進んで名を通じますと、李德馨が先に入って何事かを論じていました。通事宋業男が遠い所にいて聞きましたところ、經理が「柳某は邢軍門に罪を得た。軍門が来ると聞いて逃げ避けてここに来たのだから、軍糧を運ぶ事は専ら尹承勳に任せてさせよ」と言ったとのことでした。業男はすぐこの言を臣に伝えましたが、臣は敢えて信じ受けることができませんでした。やがて德馨が退きましたので臣が德馨に問いますと、德馨は「そのような言はありませんでした」と言いました。臣も業男が聞き誤ったのだろうと思い、すぐ進み出て礼を行って退きました。

昼過ぎに、都司白潢に付き従う通事白應俊が来て言うには、持平南以恭が白都司に「ここには軍糧を受け持つ官員が多く、また議政が検め戒めていますので、私には別にする事がありません。どういたしましょうか」と言うと、都司が「老爺は『柳某は軍門に罪を得て逃げて来たのだから、必ずまた私に従って先へ行こうとするだろう。軍糧を催す事は任せられぬ』と言われた。そなたはそのままここにいて軍糧を催し送り、帰ってはならぬ」と言ったとのことでした。臣はそこでようやく、朝に宋業男が伝えたことが聞き誤りではなかったことを知りました。

臣は咎と災いがすでに重く、人も鬼も共に憎むうえに、思いもよらずこの測り知れぬ言を得ましたので、近ごろの事はぼうっとして夢のようで、筋道をつかむことができません。今回出て来る時に、すでにこれによって一つの禍の糸口がさらに成り、必ず上は国に累を及ぼし、下は臣の罪を速めるであろうことを知っていました。かつてこの意をしばらく天聴に達しようとしましたが、ただ身の跡が疑わしく、事を避けると言われようかと、敢えて強く辞することができず、身をすくめて命を承って参りましたので、昼夜憂え痛み、針のむしろに座るようでしたが、今まさにこのとおりです。

臣の進退は行き詰まって、どうすべきか分かりません。臣の一つの死は蟻やけらと変わりませんが、ただ国事に死ねずに悪い名で死ぬことは、目を閉じられないところです。また臣の名が大臣の列にありながら、このような名を受けて死ねば、国事はこれからどうなるでしょうか。經理は今日慶州へ行きますが、臣は敢えて従って行ってその疑いを増すことはできず、まさに道の途中にいて朝廷の命を待とうと思いますが、これもまた自分の心のままにしにくいことです。伏してお願い申し上げます。朝廷は速やかに処置を下され、職分を果たさぬ罪、取るに足らぬ罪をもって臣の職を削り退け、臣を明白に輦下へ帰して死なせ、無実の誣りと曲りを明らかに洗い晴らしてくださいますよう。これは実に天地父母が生み育ててくださる恵みであり、国の幸いです。

夾注 1

丁酉冬

丁酉年の冬

初經理楊鎬始至語。御前通事沈友勝曰汝國事當使如柳某者輔之後請。上同出銅雀江上問柳某安在當使在側急召公近前旣而有人構公於經理曰柳某謂公不可成事短之不已經理信其說丁酉秋公出巡京畿人又言於麻提督曰柳某率家屬避賊出城提督信之傳通於邢軍門至載。奏文中飛語又入。內熒惑萬端至是經理與接件使私語如右而李以爲不聞公進退狼狽遂上狀言狀

はじめ經理楊鎬が到着したばかりの時、御前通事沈友勝に「そなたの国の事は、まさに柳某のような者に輔けさせるべきだ」と言った。後に上に請じて共に銅雀江のほとりに出ると、「柳某はどこにいるか。まさに傍らにいさせよ」と言い、急いで公を呼んで前に進ませた。

やがてある人が經理に公を讒して「柳某は、公は事を成せぬ人だと申しております」と言い、そしることを止めなかったので、經理はその言を信じた。丁酉の年の秋、公が京畿へ巡行して出ると、人がまた麻提督に「柳某は家族を率いて賊を避け城を出た」と言い、提督はそれを信じて邢軍門に伝え通じ、ついに奏文の中に載せられるに至った。浮いた言はまた内にまで入り、さまざまに惑わした。ここに至って經理が接伴使と私かに語ったことが右のとおりであるのに、李德馨は聞かなかったと言うので、公は進退に行き詰まり、ついに状を上げて有り様を申し上げたのである。