經理の申し渡しによって大丘の軍糧を運ぶことを催した事由を申し上げる上申状以經理分付催督大丘糧運緣由狀
臣在安東催發糧運今日馳到永川將向安康經理接伴使李德馨馳通內經理當日五更發向蔚山臨發招德馨云軍糧不爲趁給朝鮮無紀綱無法度致誤大事。國王何不以王法治誤事之臣乎尹承勳成泳幷調來此一路使之催運柳永慶則留看老營回時當從梁山密陽大丘之路而來柳成龍則急往大丘等處催備糧餉云安康距慶州四十里自永川向慶州直路所經故當初尹承勳等各官糧餉皆輸入其處吳總兵軍糧則皆支放於安康而提督之軍從間路直向慶州倉卒搬運安康之糓移就慶州事多怱遽所謂未能趁給者以此故也且大丘等處已輸之糧以諸軍皆會於慶州故方盡發老弱男婦狼狽移運而又有此令梁山密陽方爲賊藪人民盡散雖有傍邑之糓何力輸入况傍邑之糓亦何多得極爲悶迫臣初非管糧之官且新到之初凡運糧多少搬移彼此皆不省始末而分付如此莫知端緒而無可奈何將自永川轉向大丘欲爲輸運未知前頭之事如何不勝憂慮
臣は安東にいて軍糧を運ぶことを催し送っていましたが、今日永川に馳せ到り、これから安康へ向かおうとしています。
經理の接伴使李德馨が馳せて通じてきた内に、「經理はその日の五更に蔚山へ発つにあたり、発つ間際に德馨を呼んで言うには、『軍糧を時に間に合わせて供さないとは、朝鮮は紀綱もなく法度もなく、大事を損なわせている。国王はなぜ王法で事を損なった臣を治めないのか。尹承勳と成泳を併せてこの路へ呼び寄せて運ぶことを催させ、柳永慶は残って老營を見させよ。帰る時にはまさに梁山・密陽・大丘の路を通って来よう。柳成龍は急ぎ大丘などの地へ行って軍糧を調えることを催せ』と」とありました。
安康は慶州から四十里隔たっており、永川から慶州へ向かう直路が通る所です。そのため当初、尹承勳らは各邑の軍糧をすべてその地へ運び入れ、吳總兵の軍糧はすべて安康で支給しました。ところが提督の軍が間道を通ってまっすぐ慶州へ向かいましたので、にわかに安康の穀を移して慶州へ運ぶこととなり、事がはなはだ急でした。いわゆる時に間に合わせて供せなかったというのは、この故です。
また大丘などの地からすでに運び出した軍糧は、諸軍がみな慶州に集まりましたので、今まさに老いた者や弱い者、男も女もすべて出して、ようやくの思いで移し運んでいるのに、またこのような令があります。梁山と密陽はまさに賊の巣となって民はみな散りましたので、たとえ隣の邑の穀があっても、何の力で運び入れるでしょうか。まして隣の邑の穀とて、どうして多く得られるでしょうか。きわめて切迫したことです。
臣はもとより軍糧を受け持つ官員ではなく、また新たに到った初めですので、およそ軍糧を運ぶ数の多少や、あちこちへ移す事のその始末をすべて把握しておりませんのに、申し渡しがこのようですので、糸口が分からずどうすることもできません。これから永川から大丘へ回り向かって運ぼうと思いますが、この先の事がどうなるのか分からず、憂いに堪えません。
夾注 1
老營——大軍が発った後の本営