いにしえの文 › 懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) › 巻15 軍門謄錄
京畿の巡察使に送った文移京畿巡察使文
懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻15 軍門謄錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。
京畿鍊兵欲使邑求其面面求其里里求其村村求其人所謂綱擧而目隨卽古比閭出兵之遺意無徵發往來之擾無聚合餉飼之費一番整飭之後百事惟意時平則如鄕徒習射之爲而備土賊防患難有事則各令哨官旗隊總領其軍聽用則甚爲便益况平時有賞罰連坐之法臨事有手足相救之形彼爲哨官隊長者若深知此意則自不得不用力矣今防禦使有病而鎭管守命又不見盡心奉行號令者哨官之來受票旗者亦稀少始事之初弛廢如此移何有濟本道別加警勅將各官四面哨官旗隊總姓名斯速申報以憑號令
京畿で兵を習わせる事は、邑はその面に求め、面はその里に求め、里はその村に求め、村はその人に求めさせようとするものであり、いわゆる綱を挙げれば目が従うというものであって、すなわち昔、里から兵を出した遺された趣旨である。徴し発して行き来する騒がしさがなく、集め合わせて食わせる費えがないので、ひとたび整え正した後は、あらゆる事が意のままになるであろう。
時が平らかであれば郷の仲間が射を習うようにして土賊を防ぎ患難を備え、事があればそれぞれ哨官と旗總・隊總にその軍を率いさせて呼び用いれば、はなはだ便宜で利がある。まして平時には賞と罰と連坐の法があり、事に臨んでは手足が互いに救う形勢があるので、あの哨官や隊長となった者がもしこの趣旨を深く知れば、自ら力を用いないわけにはいかなくなる。
今、防禦使は病があり、鎭管の守令はまた心を尽くして号令を奉じ行う者を見かけず、哨官で票旗を受けに来る者もまた稀である。事を始める初めに緩み廃れることがこのようでは、どうして成ることがあろうか。本道は格別に警め戒め、各邑の四面の哨官と旗總・隊總の姓名を速やかに報せて、号令する拠りどころとせよ。
夾注 1
同月二十一日
同じ月の二十一日