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水原府に送った文移水原府文

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 402字 · 朗読 3.6分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻15 軍門謄錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

右營所屬軍士尙未束伍延拖時日已經累月外方不行。朝廷號令類多如此極爲駭愕前日防禦使具思稷束伍成册相考則不惟亂雜無統成册內不書軍人姓名但云實軍幾名有故幾名未知某軍爲實某軍有故有同畫水而求痕以此而名爲鍊兵無異於兒戱大抵一營統五司一司統五哨一哨統三旗一旗統三隊一隊幷火兵十一人乃是束伍大綱故哨官自擇旗總旗總自擇隊長隊長自抄其軍他日軍士不整壯弱不分則哨官當自受其罪不可歸之於他人故軍不得不精敎不得不勤可用放戰陣所謂多多益辦只是分數明者誠非虛言也令之爲將者全不知此意且傲然自大自以爲無所不能於此等精微曲折皆不致意尤可歎息水原常時軍兵之數至於一萬七千餘名今雖兵火之後不應但有千餘名此必哨官不自抄軍而使都訓導色吏操縱用手於其間致令如此往者已矣自今更爲詳察聽今去都監聽用官全尙文所言親自束伍自一哨二哨次次傳令各率其軍來集府中點閱軍卒逐一成册火迫上送一營五司軍人畢束伍後卽時牒報則當發送鍊兵牌且遣副使合五司之軍習陣秃城急速施行

右營に属する軍士がいまだに伍を編めず、日を引き延ばしてすでに幾月も過ぎた。外の邑が朝廷の号令を行わないことがおおむねこのようであるので、きわめて驚くべきことである。先日、防禦使具思稷が伍を編んで作った帳簿を照らし合わせたところ、乱れ雑じって統べるものがないばかりでなく、帳簿の中に軍人の姓名を書かず、ただ実の軍が何名、故障のある者が何名とだけ記していたので、どの軍が実の軍でどの軍が故障のある者か分からず、水に絵を描いておいて跡を探すのと同じである。これを持って兵を習わせると名づけるのは、子どもの戯れと変わりがない。

おおよそ一つの營が五つの司を率い、一つの司が五つの哨を率い、一つの哨が三つの旗を率い、一つの旗が三つの隊を率い、一つの隊は飯を炊く兵まで合わせて十一人であり、これこそ伍を編む大きな綱である。そのため哨官が自ら旗總を選び、旗總が自ら隊總を選び、隊總が自らその軍を抜く。後日、軍が揃わず、壮んな者と弱い者が選び分けられていなければ、哨官がまさに自らその罪を受けるのであり、他人に帰することはできない。そのため軍は精しくならざるを得ず、教えることは勤めざるを得ず、戦場に出して用いるに足るようになるのである。いわゆる多ければ多いほどよく扱うというのも、ただ分けが明らかなことであって、まことに空言ではない。

今、將となった者がまったくこの趣旨を知らず、また傲然と自ら大きいとして、できないことはないと思い、このような精しく細かな曲折にすべて意を向けないので、いよいよ嘆くに足る。水原は平時に軍兵の数が一万七千余名に及んだのだから、今たとえ兵火を経た後であっても、ただ千余名だけであるはずがない。これは必ず哨官が自ら軍を抜かず、都訓導と色吏にその間で手管を弄させて、ここに至ったのである。

過ぎた事はそれまでだが、今より後はあらためて詳しく調べよ。今回下る都監の聽用官全尙文が言うところを聞いて、自ら身をもって伍を編み、一つの哨、二つの哨から順々に令を伝えて、それぞれその軍を率いて府中に来て集まらせ、軍卒を点検して一つ一つ帳簿を作り、火のついたように急ぎ上げ送れ。一つの營、五つの司の軍人が伍を編み終えた後にすぐ報せれば、まさに兵を習わせる牌を送るであろうし、また副使を遣わして五つの司の軍を合わせて秃城で陣を習わせるであろうから、急ぎ施行せよ。

夾注 3

二月一日

二月一日

聽用官——訓鍊都監で用いていた職と見られる。

營の下に司・哨・旗・隊の順で軍を編んだ。司には把總、哨には哨官、旗には旗總、隊には隊總がある。