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平安道の監司と兵使に送った文移平安道監兵使文

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 懲毖錄 · 柳成龍(リュ・ソンリョン) · 1633年刊行(壬辰倭乱の後に著す) · 段落 1 · 漢字 1,003字 · 朗読 8.1分

懲毖録(過ちを懲らし後の憂いを慎む記録) 巻15 軍門謄錄 壬辰倭乱が終わった後、領議政の柳成龍が自らの目で見たものを記して残した記録。「過ぎたことを懲らして後の憂いを慎む」という意で名を付けた。戦争がどのように始まり、朝廷が何を見落としたかを言い逃れなく記した。李舜臣を推挙したこと、明の軍とのいざこざ、民が経た惨状がそのまま収められている。

本月。日。備忘記云云。宵旰西顧之憂至於如此當事之臣所當殫竭心力䇿勵守令邊將日夜思惟廣求長䇿以爲經遠之慮使。朝廷永紓邊警之虞方是盡職不可悠悠泛泛應文塞責以度時日。傳旨內諸條冝詳審奉行大抵今日之勢只以關西爲根本處置之事不可少緩自古戰守之計不過糧餉軍兵城池器械而已四者俱備而又必有人和固結其心更有良將然後可以濟事今以糧則處處竭乏不足以支數月之用以兵則守令惰慢不顧十分紊亂不成頭緒城池則齟齬已甚無金湯可固之處器械則散失殆盡銃筒火藥諸具未備至於弓矢亦皆散失四者無一可言而民怨極天人和又無可恃其爲危迫之狀不可一二以言也然不可諉諸勢難而不圖巡察使則當嚴明黜陟以肅綱紀使貪官猾更不得侵剝於下凡弊所當革者利所當興者逐一講究悉罷行之兵使則詳察沿邊鎭堡形勢急時措置城池之可設者設之土兵之凋弊者撫之器械之未精者改之及此無事之時多方經理如一家之事則雖日計不足而歲計有餘早晚必有完實壯固之勢。聖敎之所以眷眷屢下者亶在於此更加體念且平壤一城自惰唐以來素稱險固蓋其地勢帶江據山似若天成所欠者城制頗濶軍少則難守今之炮樓之制實爲萬古守城之妙法此樓若成則軍數雖少不患難守傳聞巡察使今春欲爲加設於城外云其爲關西根本之慮遠矣但制造須曲盡其法然後方爲有益蓋我國城制屈曲若炮樓附城太近則炮道之出於左右者有所障礙勢難及遠若此之處當便離城二三間或四五間隨其各間以安火炮炮穴愈多而引勢愈遠千步之內賊一敢近又於千步之外立一炮樓使之屹然相望則兩處大炮衝擊迭發而賊雖百萬難進城下此乃妙法也今於始造之初更爲精察體勢施行沿江一帶鎭堡可設處幷次次排設肅川土城濶狹適中今雖不能幷擧其役漸次蓄力以爲修葺之計安州城子進築事乘此氷解之時於晴川江上流斫取材木從水上流下先於司倉南隅之路立東門後進築城子方是便宜又以舊東門材木改作北門無妨第不可擾民於農時以僧軍及水軍隨便役使宜當道內凡富人之有粟而有志國專願爲助力者僧人之力於其事者監官之盡心辦事者畢役之後分等馳報則當入。啓論賞鍊兵成册至今未來良可恠歎從事官下去時鍊兵規制已曾分付鎭管之法常川檢勅勿令弛廢成川鎭管在大同江上流與平壞爲輔車之勢且其所屬郡邑甚多於他鎭管。祖宗朝布置本意實非徒然若使成川鎭管盡其職任得精卒數千萬以成節制之兵則旣可以壯固平壤乃可以把截黃海道遂安谷山之路如此然後大同一江方成天塹之固矣此等經遠之計詳審勅勵施行其次安州鎭管以下亦當鱗次整齊守令之奉行勤怠者一切約束於賞罰之中不可任其自爲而已也今年農事各別勸課此外凡事不能盡陳幷便宜施行

今月何日の備忘記に、かくかくと言われた。

上が夜も昼も西を顧みる憂いがここに至った。事を任された臣は、まさに心と力を尽くし尽くして守令と邊將を励まし、夜昼思いめぐらして広く良い策を求めて遠くを見通す配慮とし、朝廷に永く辺境の警報の憂いを解かせてこそ、はじめて職を尽くすのであり、のんびりと上の空で文を飾って責めを塞ぎ、月日を過ごしてはならない。傳旨の中の諸々の条を詳しく調べて奉じ行え。

おおよそ今日の形勢はただ關西を根本とするので、処置すべき事を少しも緩めることはできない。昔から戦い守る計は、軍糧・軍兵・城池・器械に過ぎない。この四つがみな備わり、また必ず人の和があってその心を堅く結び、さらに良い將があった後にこそ、事を成すことができる。

今、軍糧で言えば所々が尽き乏しく、数か月用いる分さえ支えられず、軍兵で言えば守令が怠って顧みず、はなはだ乱れて糸口を掴めない。城池は食い違いがすでに甚だしく、金と湯のように堅い所がなく、器械は散り失せてほとんど尽き、銃筒と火薬の諸具を備えられず、弓と矢までもみな散り失せた。四つのうち一つも言うに足るものがないのに、民の怨みは天に極まって人の和もまた頼むに足るものがないので、その危うく迫った様は、一つ二つでは言い尽くせない。

しかし勢いが難しいことに託けて図らないわけにはいかない。巡察使はまさに退け昇らせることを厳しく明らかにして綱紀を正し、貪る官と狡い吏が下で侵し剥ぐことができないようにせよ。およそ弊で改めるべきもの、利で起こすべきものを一つ一つ究めて、すべて廃し、また行え。兵使は沿辺の鎭堡の形勢を詳しく調べて急な時に間に合うよう処置し、城池は設けるに足る所に設け、土兵は衰え疲れた者を撫で、器械は精しくないものを改めよ。このように事のない時に及んで多方に経理すること、一家の事のようにすれば、たとえ日で数えれば足りなくとも年で数えれば余りがあって、早晩必ず全く堅固な勢いを成すであろう。聖なる教えが切々と幾度も下される理由は、まことにここにあるので、さらに心に刻め。

また平壤の一つの城は、隋・唐以来もとより険しく堅固だと称えられてきた。おおむねその地勢が江を帯び山に拠って、天が成したかのようである。欠けているのは、城の制がかなり広くて軍が少なければ守りがたい点である。今の炮樓の制は、まことに万古に城を守る妙なる法であり、この樓が成れば軍の数が少なくとも守りがたいことを憂えない。伝え聞くに、巡察使がこの春、城の外に加えて設けようとしているとのことなので、その關西を根本とする配慮は遠い。

ただ造るには必ずその法を曲尽くした後にこそ、はじめて益がある。おおむね我が国の城の制は曲がっているので、炮樓を城にあまり近く付ければ、左右へ出る砲の道に妨げられる所があって、遠くに及びがたい。このような所は、まさに城から二、三間あるいは四、五間離し、その間ごとに従って火砲を据えよ。砲の穴が多いほどその勢いが遠く伸び、千歩の内には賊が敢えて近づけない。また千歩の外に炮樓を一つ立てて、そびえて相対して望むようにすれば、二か所の大砲が突き撃って交互に放たれ、賊がたとえ百万でも城の下へ進みがたい。これこそ妙なる法である。今、造り始める初めに、あらためて形勢を精しく調べて施行せよ。江に沿う一帯で鎭堡を設けるに足る所も、併せて次々に並べ設けよ。

肅川の土城は広狭が程よい。今はたとえその役を併せて起こせなくとも、次々に力を蓄えて修め繕う計とせよ。安州の城を進めて築く事は、この氷の解ける時に乗じて晴川江の上流で材木を伐り、水路で流し下せ。まず司倉の南の隅の路に東門を立て、後に城を進めて築いてこそ、はじめて便宜である。また古い東門の材木で北門を造り替えても差し支えない。ただ農の季節に民を騒がせてはならないので、僧軍と水軍を便宜に従って使うのが当然である。

道内のおよそ富んだ人で穀があり国事に志があって力を添えることを願う者、僧でその事に力を尽くした者、監官で心を尽くして事を処理した者は、役を終えた後に等級を分けて馳せ報せよ。まさに申し上げて賞を論じよう。

兵を習わせた成册が今まで来ないので、まことに怪しく嘆くに足る。從事官が下って行く時に兵を習わせる規制をすでに申し渡した。鎭管の法は常に検め戒めて、緩み廃れないようにせよ。

成川の鎭管は大同江の上流にあって、平壤と車と添え木のような勢いである。またそれに属する郡邑がほかの鎭管よりはなはだ多いので、祖宗の朝が並べ置かれた本意はまことに徒らでない。もし成川の鎭管にその職任を尽くさせ、精しい兵数千を得て節制のある兵を成させれば、すでに平壤を堅固にすることができ、また黃海道の遂安・谷山の路を遮り断つこともできる。このようにした後にこそ、大同江の一筋がはじめて天が成した塹の堅さを成すであろう。このような遠くを見通す計を詳しく調べ、励まして施行せよ。その次に安州の鎭管以下もまた、順に整え揃えよ。守令が奉じ行うのに勤めるか怠るかは、すべて賞罰のうちに束ねておき、その自ら為すままに任せておいてはならない。今年の農事は格別に勧めて励ませ。このほかのおよその事はすべて申し述べられないので、併せて便宜に施行せよ。

夾注 5

底本は「自惰唐以來」であるが、「隋唐」の誤りと見る。

底本は「賊一敢近」であるが、「賊不敢近」の誤りと見る。

底本は「與平壞爲輔車之勢」であるが、「平壤」の誤りと見る。

底本は「有志國專願爲助力」であるが、「有志國事」の誤りと見る。

底本は「得精卒數千萬」であるが、「數千」と読む。