獠
1名のない人々
獠者,蓋南蠻之別種,自漢中達于卭、笮,川洞之間,在所皆有之。俗多不辨姓氏,又無名字,所生男女,唯以長幼次第呼之。其丈夫稱阿謩、阿段,婦人阿夷、阿第之類,皆其語之次第稱謂也。喜則羣聚,怒則相殺,雖父子兄弟,亦手刃之。遞相掠賣,不避親戚。被賣者號叫不服,逃竄避之,乃將買人指撝捕逐,若追亡叛,獲便縛之。但經被縛者,即服為賤隸,不敢更稱良矣。俗畏鬼神,尤尚淫祀巫祝,至有賣其昆季妻孥盡者,乃自賣以祭祀焉。往往推一酋帥為王,亦不能遠相統攝。
獠はおおむね南蛮の別種で、漢中から卭・笮に至るまで、川や谷の間のどこにでもいる。風俗として姓氏を分けない者が多く、また名もなく、生まれた男女をただ年の順で呼ぶだけである。男子を阿謩・阿段といい、婦人を阿夷・阿第などというのは、みなその言葉での順序の呼び名である。喜べば群れ集まり、怒れば互いに殺しあい、父子兄弟であっても自分の手で刃を加える。互いに掠めて売り、親戚も避けない。売られた者が泣き叫んで従わず、逃げ隠れると、買った者に指し示させて追い捕らえさせ、逃げた奴僕を追うようにして、捕まえればすぐ縛る。ひとたび縛られた者は、そのまま賤しい奴隷として従い、二度と良民だと名乗ることができない。風俗として鬼神を恐れ、淫祀と巫祝をとりわけ尊ぶので、兄弟や妻子をみな売り尽くした者が、ついにはみずからを売って祭りに供えるまでになる。ときおり一人の酋長を推して王とするが、遠くまで互いを統べることはできない。
夾注 2
婦人阿夷阿第之類魏書卷一0一、北史卷九五僚傳、通典卷一八七僚條、冊府卷九六0一一二九四頁「第」都作「等」,疑作「第」誤。
「婦人を阿夷・阿第など」の第は、魏書・北史の僚伝・通典の僚の条・冊府元亀ではみな「等」となっているので、「第」とするのは誤りらしい。
乃自賣以祭祀焉宋本「祭祀」作「祭祭」。魏書、北史、通志本傳,通典卷一八七,冊府卷九六0一一二九四頁作「供祭」。按文義作「供祭」較長。疑宋本誤「供」作「祭」,後人以「祭祭」不可通,改下「祭」字作「祀」,不知誤在上「祭」字。
「みずからを売って祭りに供える」——宋本では「祭祀」が「祭祭」となっている。魏書・北史・通志の本伝と通典・冊府元亀では「供祭」となっている。文意としては「供祭」のほうがまさる。宋本が「供」を「祭」と誤って書いたため、のちの人が「祭祭」では通じないので下の「祭」を「祀」に改めたのであって、誤りが上の「祭」の字にあることに気づかなかったのである。
2圧獠
自江左及中州遞有巴、蜀,多恃險不賓。太祖平梁、益之後,令所在撫慰。其與華民雜居者,亦頗從賦役。然天性暴亂,旋至擾動。每歲命隨近州鎮出兵討之,獲其口以充賤隸,謂之為壓獠焉。後有商旅往來者,亦資以為貨,公卿逮于民庶之家,有獠口者多矣。
江南も中原も、かわるがわる巴・蜀を領有したが、獠は多く険しい地を頼んで服従しなかった。太祖が梁州・益州を平定したのち、所々に命じて慰撫させた。中国の民と入り混じって住む者は、租税や労役にもかなり従った。しかし生まれつき荒く乱れやすいので、すぐに騒ぎ立てた。そこで毎年、近くの州や鎮に命じて兵を出して討たせ、その人々を捕らえて賤しい奴隷に充てたので、これを圧獠といった。のちには行き来する商人たちもそれを商品として売り買いしたので、公卿から民や庶人の家にまで、獠の奴僕を持つ者が多くなった。
3陸騰が木籠を破る
魏恭帝三年,陵州木籠獠反,詔開府陸騰討破之,俘斬萬五千人。保定二年,鐵山獠又反,抄斷江路。陸騰復攻拔其三城,虜獲三千人,降其種三萬落。語在騰傳。
魏の恭帝三年、陵州の木籠の獠が背いたので、詔して開府の陸騰に討ち破らせ、捕らえた者と斬った者が一万五千人であった。保定二年、鉄山の獠がまた背いて川の道を断って掠めたので、陸騰はふたたびその三つの城を攻め落とし、三千人を捕らえ、その種族三万落を降らせた。その話は騰の伝にある。
4趙文表の一つの道
天和三年,梁州恆稜獠叛,總管長史趙文表討之。軍次巴州,文表欲率眾徑進。軍吏等曰:「此獠旅拒日久,部眾甚彊。討之者皆四面攻之,以分其勢。今若大軍直進,不遣奇兵,恐併力於我,未可制勝。」文表曰:「往者既不能制之,今須別為進趣。若四面遣兵,則獠降走路絕,理當相率以死拒戰。如從一道,則吾得示威恩,分遣使人以理曉諭。為惡者討之,歸善者撫之。善惡既分,易為經畧。事有變通,奈何欲遵前轍也。」文表遂以此意遍令軍中。時有從軍熟獠,多與恆稜親識,即以實報之。恆稜獠相與聚議,猶豫之間,文表軍已至其界。獠中先有二路,一路稍平,一路極險。俄有生獠酋帥數人來見文表曰:「我恐官軍不悉山川,請為鄉導。」文表謂之曰:「此路寬平,不須導引,卿但先去,好慰諭子弟也。」乃遣之。文表謂其眾曰:「向者,獠帥語吾從寬路而行,必當設伏要我。若從險路,出其不虞,獠眾自離散矣。」於是勒兵從險道進,其有不通之處,隨即治之。乘高而望,果見其伏兵。獠既失計,爭携妻子,退保險要。文表頓軍大蓬山下,示以禍福,遂相率來降。文表皆慰撫之,仍徵其稅租,無敢動者。後除文表為蓬州刺史,又大得獠和。
天和三年、梁州の恒稜の獠が背いたので、総管長史の趙文表が討った。軍が巴州に陣を構えると、文表は兵を率いてまっすぐ進もうとした。軍の吏たちがいった。「この獠は群れて抗ってから久しく、部衆がはなはだ強い。これを討った者はみな四面から攻めて、その勢いを分けました。いま大軍がまっすぐ進んで奇兵を遣わさなければ、力をこちらに合わせてくるでしょうから、勝ちを制することはできません。」文表はいった。「以前のやり方でも抑えられなかったのだから、いまは別の進み方をとらねばならぬ。四面から兵を遣わせば、獠は降っても逃げ道が絶たれるので、理からいって互いに率いて死を覚悟して抗い戦うだろう。一つの道から行けば、こちらは威と恩を示し、使者を分け遣わして理を説いて諭すことができる。悪をなす者は討ち、善に帰する者は慰撫する。善悪が分かれれば経略しやすい。事には変通があるのに、どうして前の轍をそのままたどろうとするのか。」文表はそこでこの意を軍中にあまねく令した。
そのころ従軍していた熟獠のうちに恒稜と親しく見知った者が多く、すぐにありのままを知らせた。恒稜の獠が集まって相談し、ためらっているうちに、文表の軍はもうその境に至っていた。獠の地にはもともと二つの道があって、一つはやや平らで、一つはきわめて険しかった。やがて生獠の酋長が数人、文表に会いに来ていった。「官軍が山や川をご存じないのではと思い、道案内をいたしたい。」文表は彼らにいった。「この道は広く平らで案内はいらぬ。おまえたちはただ先に行って、よく子弟を言い諭しておくがよい。」そして帰した。文表は人々にいった。「いま獠の帥は、わたしに広い道を通れといった。きっと伏兵を置いてわれらを待ち受けるはずだ。険しい道を行って思いもよらぬところに出れば、獠の兵は自然に散りはなれよう。」そこで兵をととのえて険しい道から進み、通れない所はそのつど直した。高い所に登って望むと、やはりその伏兵が見えた。獠は計を失うと、争って妻子を連れ、退いて要害を守った。文表は大蓬山の下に軍を留め、災いと幸いとを示したので、ついに互いに率いて降って来た。文表はみな慰撫し、そのまま租税を取り立てたが、あえて動く者はなかった。のちに文表は蓬州刺史に任ぜられ、さらに大いに獠の和を得た。
5道義で招くのが最も難しい者たち
建德初,李暉為梁州總管,諸獠亦竝從附。然其種類滋蔓,保據巖壑,依林走險,若履平地,雖屢加兵,弗可窮討。性又無知,殆同禽獸,諸夷之中,最難以道義招懷者也。
建徳の初め、李暉が梁州総管となると、もろもろの獠もみな従い付いた。しかしその種族は増え広がり、岩や谷に拠り、林に沿って険しい所を走ることが平地を踏むようなので、たびたび兵を加えても討ち尽くすことはできなかった。生まれつきまた知ることがなく、ほとんど鳥や獣と同じで、もろもろの夷のうち、道義によって招き懐かせることが最も難しい者たちである。