五代一朝直把龍圖寄
1龍図を渡す
一朝直把龍圖寄.
一朝にして、そのまま龍図を渡してしまった。
2五つの王朝
○朱全忠梁 ○存勗唐, ○石晉 劉漢 ○郭周莅.
朱全忠の梁、李存勗の唐、 石氏の晋、劉氏の漢、郭氏の周が治めた。
夾注 8
天祐四年, 受禪卽皇帝位, 改名見. 元年丁卯, 都洛遷汴. 至末帝, 凡三主, 合十七年. 傳之後唐.
天祐四年に禅譲を受けて皇帝の位に就き、名を晃に改めた。元年は丁卯の年、洛陽に都し、のち汴京に移った。末の末帝まで、全部で三人の君、合わせて十七年である。後唐に伝えた。
克用之子, 本姓朱耶. 祖赤心討龍勛有功, 賜姓李. 梁龍德年, 卽皇帝位於幽州, 梁主進刃而死, 以梁末年癸未爲元, 我太祖六年也. 土德, 都洛. 至末帝, 凡四帝, 合十四年. 傳之石晉.
李克用の子で、本姓は朱耶である。祖父の赤心が龐勛を討った功があって李の姓を賜った。梁の龍徳年間に幽州で皇帝の位に就くと、梁の君は刃を受けて死んだ。梁の末年の癸未を元年としたが、わが太祖の六年である。土徳で洛陽に都した。末の末帝まで、全部で四人の皇帝、合わせて十四年である。石氏の晋に伝えた。
名敬塘, 後唐淸泰二年, 管雁門之北, 結契丹, 攻唐. 唐主自焚而死, 卽皇帝位, 國號晉. 以唐末年丙申爲元, 我太祖十九年也. 土德, 都汴. 二主, 合十二年. 傳之劉漢.
名は敬瑭である。後唐の清泰二年に雁門の北を管し、契丹と結んで唐を攻めた。唐の君が自ら焼け死ぬと、皇帝の位に就いて国号を晋とした。唐の末年の丙申を元年としたが、わが太祖の十九年である。土徳で汴京に都した。二人の君、合わせて十二年である。劉氏の漢に伝えた。
名高, 舊名知遠. 晉開運四年, 契丹虜小帝北遷, 知遠卽皇帝位, 國號漢. 以晉末年丁未爲元, 我定宗三年也. 都汴. 二主, 合四年. 傳之郭周.
名は暠で、旧名は知遠である。晋の開運四年に契丹が少帝を捕らえて北に移すと、知遠が皇帝の位に就いて国号を漢とした。晋の末年の丁未を元年としたが、わが定宗の三年である。汴京に都した。二人の君、合わせて四年である。郭氏の周に伝えた。
名威, 後漢乾祐四年契丹入境, 委威北伐, 而軍變請威卽皇帝位. 元年辛亥, 我光宗三年也. 木德, 都汴. 至末恭帝, 凡二主, 合九年. 傳之趙宋.
名は威である。後漢の乾祐四年に契丹が国境に入ると、威に委ねて北伐させたが、軍が変を起こして威に皇帝の位に就くよう請うた。元年は辛亥の年で、わが光宗の三年である。木徳で汴京に都した。末の恭帝まで、全部で二人の君、合わせて九年である。趙氏の宋に伝えた。
改名見 — 底本は「見」だが「晃」の誤りと見る。朱全忠が改めた名は朱晃である。― 訳者
討龍勛 — 底本は「龍勛」だが「龐勛」の誤りと見る。― 訳者
名敬塘 — 底本は「敬塘」だが「敬瑭」の誤りと見る。― 訳者
3鱗のように連なる五代
此五稱唐後五代, 承危繼起相鱗次.
この五つを唐の後の五代と称し、 危うさを受け継いで次々に起こり、鱗のように連なった。