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箕子 — 後朝鮮後朝鮮祖是箕子
帝王韻紀(帝王の歴史を韻文で記した書) 下巻 盤古から金まで、檀君から高麗まで — 東西二つの歴史を歌に編んだ叙事詩。「遼東に別に一つの天地がある」と述べて韓国の歴史を中国と並べて立て、檀君を朝鮮半島のすべての国の始祖として歌った最初の歴史書の一つである。著者が自ら付けた夾注197個が併せて収められている。
1後朝鮮の祖である箕子
後朝鮮祖是箕子, 周虎元年己卯春, 逋來至此自立國, 周虎遙封降命綸.
後朝鮮の祖は箕子であり、 周の武王の元年、己卯の年の春に 逃れてこの地に来てみずから国を立てると、 周の武王が遠くから封じて命を下した。
夾注 1
周虎王 — 底本は高麗の恵宗の名である武を避けて虎と書いているので、周の武王をいう。― 訳者
2洪範九疇を問う
禮難不謝乃入覲, 洪範九疇問彛倫 四十一代孫名準, 被人侵奪聊去民.
礼から見て謝さないわけにいかず入って拝謁すると、 洪範九疇によって常なる人倫を問われた。 四十一代の孫の名は準であり、 人に侵し奪われて民を置いて去った。
夾注 1
尙書疏云, ‘虎王, 箕子之囚, 箕子走之朝鮮立國. 虎王聞之因封焉. 箕子受封, 不得無臣禮, 因謝入覲, 虎王問洪範九疇, 在周之十三年也.’ 已下現於傳者, 皆不注.
『尚書』の疏に言う。「武王が箕子の囚われを解くと、箕子は朝鮮に走って国を立てた。武王がそれを聞いてそのまま封じたので、箕子は封を受けて臣の礼がないわけにいかず、謝すために入って拝謁し、武王が洪範九疇を問うた。周の十三年のことである。」これ以下、経伝に見えるものはみな注をつけない。
3九百二十八年の治め
九百二十八年理, 遺風餘烈傳熙淳.
九百二十八年を治め、 残した風俗と功烈が明るく淳(あつ)く伝わった。
4金馬郡に移った準王
準乃移居金馬郡, 立都又復能君人.
準王はそこで金馬郡に移り住み、 都を立ててまた民の君としてよく務めた。