高句麗紀
1高句麗紀
高句麗紀
高句麗紀。
2弓をよく射て朱蒙という
麗祖姓高 諡東明, 善射故以朱蒙名.
高句麗の始祖は姓が高、諡は東明であり、 弓をよく射たので朱蒙と名づけた。
夾注 2
王初誕, 而擧國高之, 因以爲姓.
王が初めて生まれると国中が高めたので(高)、それを姓とした。
扶餘人, 名善射爲朱蒙.
扶余の人は弓をよく射る者を朱蒙と名づける。
3天の孫、河伯の甥
父解慕漱母柳花, 皇天之孫河伯甥.
父は解慕漱、母は柳花であり、 天の神の孫であり河伯の甥である。
夾注 1
本紀云, “漢神雀三年壬戌, 天帝遣太子解慕漱, 遊扶餘王古都. 乘五龍車, 從者百餘人, 皆乘白鵠云云. 臺上立君臣之禮, 獵於熊心山. 河伯三女, 出遊優浡之河, 長女柳花爲王所止云云.” 文順公東明詩云, “天孫河伯甥.”
『本紀』に言う。「漢の神雀三年の壬戌に、天帝が太子の解慕漱を遣わして扶余王の旧都に遊ばせた。五頭の龍の車に乗り、従う者百余人がみな白鵠に乗った。台の上で君臣の礼を立て、熊心山で狩りをした。河伯の三人の娘が優渤水に出て遊んでいたが、長女の柳花が王に留められた。」文順公(李奎報)の東明詩に「天の孫、河伯の甥」とある。
4優渤水のほとりの柳花
父還天宮不復返, 母在優浡淸江汀.
父は天宮に帰って再び来ず、 母は優渤水の清い川辺にいた。
5金蛙王が別館に迎える
扶餘國王名金蛙, 爲開別館相邀迎.
扶余の国王、名は金蛙が、 別館を建てて迎え入れた。
6五升の大きな卵
五升大卵左脅誕, 陰雲之日生陽晶.
五升の大きな卵を左の脇から生むと、 雲の濃かった日に日の光のような精気が生まれた。
7生まれてすぐ言葉を話す
兒生數月能言語, 漸至壯大才豪英.
子は生まれて数か月で言葉を話し、 しだいに大きくなって才が豪傑で優れていた。
8魚と鼈が橋を架ける
時王太子生妬忌, 譖令牧馬驅䮐䮐, 王來欲渡蓋斯水, 魚鼈化作橋梁橫.
その時、王の太子が妬む心を起こし、 讒言して馬飼いをさせ、ひどく使った。 王子(朱蒙)が来て蓋斯水を渡ろうとすると、 魚と鼈が変化して橋を架け渡した。
夾注 1
今大寧江也.
今の大寧江である。
9王倹城に国を開く
漢元立昭二甲申, 開國馬韓王儉城, 天遣人來立宮闕, 山昏谷暗聞丁丁, 爲七日已雲霧捲, 金碧㟮屼磨新晴.
漢の元帝の建昭二年の甲申に、 馬韓の地の王倹城に国を開くと、 天が人を遣わして宮闕を建てるのに、 山は薄暗く谷は暗いなか、ただ槌の音だけが聞こえ、 七日たって雲と霧が晴れると、 金と青のそびえる建物が新たに晴れた空に輝いた。
夾注 3
羅之□□一年也.
新羅の二十一年である。
今西京也. 以高句麗縣名立國. 五代史曰, “高句麗扶餘別種也.”(큰 따옴표 삽입)
今の西京(平壌)である。高句麗県の名で国を立てた。『五代史』に「高句麗は扶余の別種である」とある。
羅之□□一年也 — 底本は二字が欠けて「□□一年」である。漢の元帝の建昭二年は新羅が立ってから二十一年になる年なので、「二十一年」と読んだ。― 訳者
10松讓が誠を捧げる
烏伊摩離與陜父, 三臣同德聊贊成, 沸流國王松讓者, 禮以後先開國爭, 尋爲大雨所漂突, 擧國款附輸忠誠.
烏伊と摩離と陜父、 三人の臣が徳を同じくして助け成した。 沸流国の王である松讓という者は、 礼を尽くしながらも国を開いた先後を争ったが、 やがて大雨に流されることになると、 国を挙げて誠をもって帰服した。
11朝天石の麒麟の蹄
往來天上詣天政, 朝天石上驎蹄輕.
天の上を行き来して天の政に参り、 朝天石の上で麒麟の蹄が軽かった。
12天に上って戻らない
在位十九年九月, 升天不復迴雲輧.
在位十九年の九月に、 天に上って雲の車で再び戻らなかった。
13類利が玉の鞭を葬る
聖子類利 來嗣位, 葬遺玉鞭成墳塋.
聖なる子の類利が来て位を継ぎ、 残された玉の鞭を葬って墓を築いた。
夾注 2
在扶餘時, 婦所孕者.
扶余にいた時に妻が身ごもった子である。
今龍山墓也.
今の龍山の墓である。
14枝が伸び葉が茂る
枝繁葉茂承承理, 時與江水爭澄淸.
枝が伸び葉が茂って継ぎ継ぎに治め、 時には川の水と清さを争った。
15蓋蘇文が権勢を握る
蓋蘇文者乘時進, 令色巧言爲寵卿, 姦回掌上弄國柄, 臨事方便誅良貞.
蓋蘇文という者が時に乗じて進み、 飾った顔色と巧みな言葉で寵愛される卿となると、 邪に手のうちで国の権柄を弄び、 事に当たるたびに善良で正しい者を殺した。
16国の基が傾く
擅權中外日肆虐, 民墜塗炭邦基傾.
内外の権勢を独り占めして日ごとに暴虐をふるったので、 民は塗炭に落ち国の基が傾いた。
17高蔵王も法度を失う
後君高藏又失度, 安能復定輿人情.
後の君の高蔵もまた法度を失ったので、 どうして民の心を再び安定させられようか。
18李勣の行軍を誰が止められようか
唐高摠章元伐辰, 羅王奏乞王師征, 李績行軍誰敢拒.
唐の高宗の総章元年の戊辰に、 新羅の王が奏して王の軍で討ってくれるよう請うと、 李勣の行軍を誰が敢えて止められようか。
19七百五年、二十八人の君主
先聲纔及皆奔驚, 共計二十有八主, 七百五年題大平, 爾後二百三十一, 地爲羅人之所幷.
先の噂がようやく及ぶとみな逃げて驚き、 すべて数えて二十八人の君主、 七百五年を太平と記した。 その後二百三十一年で、 地は新羅の人に併せられた。
夾注 1
擒高藏, 還京.
高蔵を捕らえて都に帰った。