李生窺牆伝李生窺牆傳
松都有李生者,居駱駝橋之側。年十八,風韻淸邁,天資英秀。常詣國學,讀詩路傍。善竹里,有巨室處崔氏,年可十五六,態度艶麗,工於刺繡,而長於詩賦。世稱:「風流李氏子。窈窕崔家娘。才色若可餐,可以療飢腸。」
松都に李生という者がいて、駱駝橋のそばに住んでいた。年は十八で、風韻が清らかにすぐれ、生まれつきの資質が抜きんでていた。いつも国学に通い、道のそばで詩を読んだ。
善竹里に大家の娘の崔氏がいた。年は十五、六ほどで、姿かたちが艶やかに美しく、刺繡に巧みで詩と賦にすぐれていた。世の人はこう称えた、
風流な李氏の子 しとやかな崔家の娘。 才と色が食べられるものなら 飢えた腸を癒せように。
李生嘗挾冊詣學,常過崔氏之家,北牆外,垂楊裊裊,數十株環列,李生憩於其下。一日窺牆內,名花盛開,蜂鳥爭喧,傍有小樓,隱映於花叢之間,株簾半掩,羅幃低垂。有一美人,倦繡停針,支頥而吟曰:
李生はかつて本を抱えて学びに通うとき、いつも崔氏の家の前を通った。北の垣の外に枝垂れ柳がしなやかに数十株めぐり立っていて、李生はその下で休んだ。
ある日、垣のなかをのぞくと、名のある花が咲きそろい、蜂と鳥が争うようにさえずり、そばに小さな楼があって花むらのあいだにほのかに映えていた。玉の簾が半ば下り、薄絹の帳が低く垂れていたが、一人の美しい人がいて、刺繡に疲れて針を止め、頰杖をついて吟じた。
獨倚紗窓刺繡遲,百花叢裏囀黃鸝。無端暗結東風怨,不語停針有所思。
独り紗の窓に寄りかかって刺繡は遅く 百の花むらのなかで黄鸝がさえずる。 わけもなくそっと東風への怨みを結び 物いわず針を止めて思うことがある。
路上誰家白面郞,靑衿大帶映垂楊。何方可化堂中燕,低掠珠簾斜度墻。
道の上はどこの家の色白の若い士か 青い襟と大きな帯が枝垂れ柳に映える。 どうすれば堂のなかの燕になって 玉の簾を低くかすめ、垣を斜めに越えられよう。
生聞之,不勝技癢,然其門戶高峻,庭闈深邃,但怏怏而去。還時以白紙一幅,作詩三首,繫瓦礫投之曰:
李生はそれを聞いて腕のかゆさを抑えきれなかったが、その家の門が高く奥庭が深いので、ただ物足りないまま去った。帰るときに白い紙一枚に詩三首を作り、瓦のかけらに結んで投げ入れた。
巫山六六霧重回,半露尖峰紫翠堆。惱却襄王孤枕夢,肯爲雲雨下陽臺。
巫山の三十六の峰に霧が重なりめぐり 尖った峰が半ば現れて紫と翠が積む。 襄王の独り寝の枕の夢を悩ませるのだから 喜んで雲と雨になって陽台に下りてくれるか。
相如欲挑卓文君,多少情懷已十分。紅粉墻頭桃李艶,隨風何處落繽紛。
司馬相如が卓文君を誘おうとして 多くの情懐がもう十分に満ちた。 紅と粉の垣の上の桃と李が艶やかなのに 風に従ってどこへ乱れ散って落ちるのか。
好因緣邪惡因緣,空把愁腸日抵年。二十八字媒已就,藍橋何日遇神仙。
よい縁なのか悪い縁なのか むなしく憂いの腸を抱えて一日を一年とする。 二十八字で仲立ちはもう成ったのに 藍橋でいつの日に神仙に出会えよう。
崔氏,命侍婢香兒,往取見之,卽李生詩也。披讀再三,心自喜之。以片簡,又書八字,投之曰:「將子無疑,昏以爲期。」生如其言,乘昏而往,忽見桃花一枝,過墻而有搖裊之影。往視之則以鞦韆絨索,繫竹兜下垂。生攀緣而踰,會月上東山,花影在地,淸香可愛。生意謂已入仙境,心雖竊喜,而情密事秘,毛髮盡竪,回眄左右,女已在花叢裏,與香兒,折花相戴,鋪罽僻地,見生微笑,口占二句,先唱曰:
崔氏は侍女の香兒に命じて取りに行かせて見ると、まさに李生の詩であった。二、三度ひろげて読み、心のうちで喜んだ。小さな紙にまた八字を書いて投げた。
「あなたは疑わないでください。日暮れを約束とします。」
李生はそのことばどおり日暮れに乗じて行くと、ふいに桃の花の一枝が垣を越えてきて、揺れる影があった。行って見ると、ぶらんこの綱に竹の籠を結んで垂らしたものであった。李生がつかんで越えると、ちょうど月が東の山に上がり、花の影が地にあって、清らかな香りが愛らしかった。
李生はもう仙境に入ったと思って心にそっと喜んだが、情が密やかで事が秘めごとなので、毛がすべて立った。左右を見回すと、女はもう花むらのなかにいて、香兒といっしょに花を折って互いに髪に挿していた。人目を避けた所に毛氈を敷いていて、李生を見てかすかに笑い、口ずさんで二句を先に歌った。
桃李枝間花富貴,鴛鴦枕上月嬋娟。
桃と李の枝のあいだに花は富み貴く 鴛鴦の枕の上に月は美しい。
生續吟曰:
李生は続けて吟じた。
他時漏洩春消息,風雨無情亦可憐。
いつか春の知らせが漏れ出れば 風と雨は無情で、それもまた哀れだろう。
女變色而言曰:「本欲與君,終奉箕帚,永結歡娛,郞何言之若是遽也?妾雖女類,心意泰然,丈夫意氣,肯作此語乎?他日閨中事洩,親庭譴責,妾以身當之。香兒可於房中,賫酒果以進。」兒如命而往,四座寂寥,闃無人聲,生問曰:「此是何處?"
女は顔色を変えていった。
「もともとあなたと終わりまで箕と箒を奉じて、永く歓びを結ぼうと思っていましたのに、あなたはどうしてそんなに急なことをおっしゃるのですか。私は女の身ですが心は泰然としています。丈夫の意気で、どうしてこのようなことばを出されるのですか。いつか閨のなかの事が漏れて親から咎められれば、私が身に引き受けます。
香兒、部屋から酒と果物を持ってきて差し上げなさい。」
侍女がいいつけどおりに行くと、あたりは静まって人の声もなかった。
李生は問うた。「ここはどこですか。」
女曰:「此是北園中小樓下也。父母以我一女,情鍾甚篤,別構此樓于芙蓉池畔,方春時,名花盛開,欲使從侍兒遨遊耳。親闈之居,閨閤深邃,雖笑語啞咿,亦不能卒爾相聞也。」女酌綠蟻一巵,口占古風一篇曰:
女はいった。
「ここは北の園のなかの小さな楼の下です。父母は私が一人娘なので情をかけることがとても篤く、別にこの楼を芙蓉の池のほとりに建ててくださいました。春になって名のある花が咲きそろうと、侍女を連れて遊ばせようというのです。親のいる所は閨が奥深いので、笑い声を立てても、そうそう聞こえることはありません。」
女は緑に澄んだ酒を一杯注いで、口ずさんで古風一篇を作った。
曲欄下壓芙蓉池,池上花叢人共語。香霧霏霏春融融,製出新詞歌白紵。月轉花陰入氍毹,共挽長條落紅雨。風攪淸香香襲衣,賈女初踏春陽舞。羅衫輕拂海棠枝,驚起花間宿鸚鵡。
曲がった欄が芙蓉の池を押さえ 池の上の花むらで人がともに語る。 香る霧がしきりに立ち、春はうららかに和み 新しい詞を作って「白紵」を歌う。 月は花の陰をめぐって毛氈に入り ともに長い枝を引いて紅い雨を落とす。 風が清らかな香を揺らして香が衣に移り 賈家の娘が初めて春の陽を踏んで舞う。 薄絹の衫が軽く海棠の枝を払い 花のあいだに眠る鸚鵡を驚かせ起こす。
生卽和之曰:
李生はすぐに和していった。
誤入桃源花爛熳,多少情懷不能語。翠鬟雙綰金▩低,楚楚春衫裁綠紵。東風初拆竝帶花,莫使繁枝戰風雨。飄飄仙袂影婆婆,叢桂陰中素娥舞。勝事未了愁必隨,莫製新詞敎鸚鵡。
まちがって桃源に入り花が咲き乱れ 多くの情懐をことばにできない。 翠の髻を二つに結って金の□を低くし すっきりとした春の衫は緑の紵で裁った。 東風が初めて蔕を並べた花をほどいたのだから 茂る枝を風雨と戦わせないでほしい。 ひらひらと仙の袂の影がたゆたい 群がる桂の陰で素娥が舞う。 よい事が終わらないうちに憂いがきっと従うから 新しい詞を作って鸚鵡に教えないでほしい。
〔「金」の次の一字が底本に欠けている。〕
吟罷,女謂生曰:「今日之事,必非小綠,郞須尾我,以遂情款。」言訖,女從北窓入,生隨之,樓梯在房中。綠梯而昇,果其樓也。文房几案,極其濟楚。一壁展煙江疊嶂圖,幽篁古木圖,皆名畵也。題詩其上,詩不知何人所作。其一曰:
吟じ終えると、女は李生にいった。「今日のことは、きっと小さな縁ではありません。あなたはぜひ私に付いてきて、親しい思いを遂げてください。」
いい終えて女が北の窓から入ると、李生も従った。楼の梯子が部屋のなかにあって、梯子を踏んで上がると、たしかにあの楼であった。
書斎の几と机がきわめて清らかに整っていた。一方の壁には「煙江疊嶂図」と「幽篁古木図」をひろげてあって、どちらも名のある絵であった。その上に詩が題されていたが、誰が作ったものかは分からない。その一つにいう、
何人筆端有餘力,寫此江心千疊山。壯哉方壺三萬丈,半出縹緲烟雲間。遠勢微茫幾百里,近見崒嵂靑螺鬟。滄波淼淼浮遠空,日暮遙望愁鄕關。對此令人意蕭索,疑泛湘江風雨灣。
誰の筆の先に余る力があって この川のなかの千重の山を描いたのか。 壮んなことだ、方壺の三万丈が おぼろな煙と雲のあいだに半ば現れている。 遠くの勢いはかすかで幾百里か 近くを見れば険しく青い螺の髻のようだ。 青い波はひろびろと遠い空に浮かび 日が暮れて遥かに望めば故郷が憂わしい。 これに向かうと人の心は寂しくなって 湘江の風雨の入り江に浮かんでいるようだ。
其二曰:
その二つにいう、
幽篁蕭颯如有聲,古木偃蹇如有情。狂根盤屈惹苺苔,老幹夭矯排風雷。胸中自有造化窟,妙處豈與傍人說。韋偃與可已爲鬼,漏洩天機知有幾。晴窓嗒然淡相對,愛看幻墨神三昧。
幽かな竹林は蕭々として声があるようで 老いた木はそりかえって情があるようだ。 狂った根は盤り曲がって苔を引きつけ 老いた幹はうねって風と雷を押しのける。 胸のうちにおのずと造化の窟があって 妙なところをどうしてそばの人に語ろう。 韋偃も文與可ももう鬼となったのだから 天の機を漏らした者が幾人いると知ろう。 晴れた窓辺にぼんやりと淡く向かい合って 幻の墨の神の三昧を愛でて見ている。
一壁貼四時景,各四首,亦不知爲何人所作。其筆,則摹松雪眞字,體極精姸。其一幅曰:
もう一方の壁には四季の景色を貼ってあって、それぞれ四首ずつであったが、これも誰が作ったものかは分からない。その書は松雪の真書を模したもので、体がきわめて精しく美しかった。その第一幅にいう、
芙蓉帳暖香如縷,窓外霏霏紅杏雨。樓頭殘夢五更鐘,百舌啼在辛夷塢。燕子日長閨閤深,懶來無語停金針。花底雙雙飛蝶蛺,爭趰落花庭院陰。嫩寒輕透綠羅裳,空對春風暗斷腸。脉脉此情誰料得,百花叢裏舞鴛鴦。春色深藏黃四家,深紅淺綠映窓紗。一庭芳草春心苦,輕揭珠簾看落花。
芙蓉の帳は暖かく香は糸のよう 窓の外には紅い杏の雨がしとしと。 楼の端の残る夢に五更の鐘 百舌が辛夷の咲く丘で鳴いている。
燕の来る日は長く閨は奥深く ものうく物いわず金の針を止める。 花の下に二つ二つ蝶が飛び 散る花を追って庭の陰を争う。
やわな寒さが軽く緑の羅の裳に透き むなしく春風に向かってそっと腸を断つ。 じっと秘めたこの情を誰が推し量ろう 百の花むらのなかで鴛鴦が舞う。
春の色は黄四の家に深く隠れ 濃い紅と淡い緑が窓の紗に映る。 ひと庭の香る草に春の心は苦しく 玉の簾を軽く掲げて散る花を見る。
其二幅曰:
その第二幅にいう、
小麥初胎乳燕斜,南園開遍石榴花。綠窓工女幷刀饗,擬試紅裙剪紫霞。黃梅時節雨簾纖,鸎囀槐陰燕入簾。又是一年風景老,棟花零落笋生尖。手拈靑杏打鸎兒,風過南軒日影遲。荷葉已香池水滿,碧波深處浴鸕鶿。藤牀筠簟浪波紋,屛畵瀟湘一抹雲。懶慢不堪醒午夢,半窓斜日欲西曛。
小麦が初めて実を孕み乳燕が斜めに飛び 南の園には石榴の花が咲きわたる。 緑の窓の織女が鋏を鳴らし 紅い裙を試そうと紫の霞を裁つ。
黄梅の時節に雨は簾のように細く 鸎が槐の陰でさえずり燕が簾に入る。 これもまた一年の風景が老いてゆくので 棟の花が散り落ちて筍が先を出す。
手に青い杏をつまんで鸎を打ち 風が南の軒を過ぎて日の影は遅い。 蓮の葉はもう香り池の水は満ちて 碧い波の深いところで鸕鶿が浴する。
藤の床、筠の簟に波の紋が立ち 屛風に描いた瀟湘にひと刷きの雲。 ものうくて昼の夢から覚めきれず 半ばの窓に斜めの日が西に暮れようとする。
其三幅曰:
その第三幅にいう、
秋風策策秋露凝,秋月娟娟秋水碧。一聲二聲鴻雁歸,更聽金井梧桐葉。床下百蟲鳴喞喞,床上佳人珠淚滴。良人萬里事征戰,今夜玉門關月白。新衣欲裁剪刀冷,低喚丫兒呼熨斗。熨斗火銷全未省,細撥秦箏又搔首。小池荷盡芭蕉黃,鴛鴦瓦上粘新霜。舊愁新恨不能禁,況聞蟋蟀鳴洞房。
秋風がさらさらと秋の露が凝り 秋の月は美しく秋の水は碧い。 一声二声、鴻雁が帰り また金の井の梧桐の葉の音を聞く。
床の下で百の虫がちちと鳴き 床の上の佳人は玉の涙を落とす。 夫は万里の彼方で戦を事としているから 今夜は玉門関に月が白いだろう。
新しい衣を裁とうとするのに鋏が冷たく 低く侍女を呼んで熨斗を求める。 熨斗の火が消えたのにもまるで気づかず そっと秦箏をかき鳴らしては、また頭をかく。
小さな池に蓮は尽きて芭蕉が黄ばみ 鴛鴦の瓦の上に新しい霜がつく。 古い憂いと新しい恨みを抑えきれないのに まして蟋蟀が奥の部屋で鳴くのを聞くとは。
其四幅曰:
その第四幅にいう、
一枝梅影向窓橫,風緊西廊月色明。爐火未銷金筋撥,旋呼丫髻換茶鐺。林葉頻驚半夜霜,回風飄雪入長廊。無端一夜相思夢,都在氷河古戰場。滿窓紅日似春溫,愁鎖眉峰著睡痕。膽甁小梅腮半吐,含羞不語繡雙鴛。剪剪霜風掠北林,寒鳥啼月正關心。燈前爲有思人淚,滴在穿絲小挫針。
一枝の梅の影が窓に向かって斜めに差し 風が強い西の廊に月の色が明るい。 炉の火がまだ消えないので金の箸でかき すぐに侍女を呼んで茶の鐺を取り替えさせる。
林の葉が夜半の霜にしきりに驚き つむじ風が雪を飛ばして長い廊に入る。 わけもない一夜の人を思う夢が すべて氷の河の古い戦場にある。
窓に満ちる赤い日が春のように暖かいのに 憂いが眉の峰を閉ざして眠りの跡が残る。 膽瓶の小さな梅が頰を半ば開くのに 恥じらいを含んで物いわず鴛鴦の一対を繡う。
きりきりと霜の風が北の林をかすめ 寒い鳥が月に向かって鳴くのが心にかかる。 灯の前に人を思う涙があって 糸を通した小さな針に滴り落ちる。
一傍,別有小室一區,帳褥衾枕,亦甚整麗。帳外爇麝臍,燃蘭膏,熒煌映徹,恍如白晝。生與女,極其情歡,遂留數日,生謂女曰:「先聖有言,父母在。遊必有方,而今我定省。已過三日,親必倚閭而望,非人子之道也。」女惻然而頷之,踰垣而遣之。生自是以後,無已不往。
かたわらに別に小さな部屋が一間あって、帳と褥、衾と枕がこれもたいそう整って美しかった。帳の外では麝香を焚き、蘭の油を燃やして、きらめく光が明るく照らし、まるで真昼のようであった。
李生は女と情と歓びを尽くし、そのまま数日とどまった。李生は女にいった。
「昔の聖人のことばに『父母がおられるなら、出かけるには必ず行く先を告げる』とあります。いま私は朝夕の挨拶を欠いてもう三日が過ぎました。親はきっと里の門に寄りかかって待っておられるでしょう。子の道ではありません。」
女は悲しげにうなずいて、垣を越えて送り出した。李生はこれより後、行かない夜はなかった。
一夕,李生之父,問曰:「汝朝出而暮還者,將以學先聖仁義之格言,昏出而曉還,當爲何事?必作輕薄子,踰垣牆,折樹壇耳。事如彰露,人皆譴我敎子之不嚴,而如其女,定是高門右族,則必以爾之狂狡,穢彼門戶,獲戾人家,其事不小,速去嶺南,率奴隷監農,勿得復還。」卽於翌日,謫送蔚州。
ある夕べ、李生の父が問うた。
「おまえが朝に出て夕に帰るのは、これから昔の聖人の仁と義のことばを学ぶためだ。それが日暮れに出て明け方に帰るとは、何をしているのだ。きっと軽薄な者になって垣を越え、人の家の木を折っているのだろう。
事がもし表に出れば、人はみな私が子を厳しく教えなかったととがめるだろう。そのうえその女がまことに高い門の名だたる一族なら、きっとおまえの狂った振る舞いであの家の門を汚し、人の家に罪を得ることになる。その事は小さくない。
すぐに嶺南へ行って、下人を連れて農を見よ。再び帰ってくるな。」
そうして翌日、蔚州へ追い送った。
女每夕,於花園待之,數月不還。女意其得病,命香兒,密問於李生之鄰,鄰人曰:「李郞,得罪於家君,去嶺南,已數月矣。」女聞之,臥疾在床,轉轉不起,水醬不入於口,言語支離,肌膚憔悴,父母怪之,問其病狀,喑喑不言。搜其箱篋,得李生前日唱和詩,擊節驚訝曰:「幾乎失我女子矣。」問曰:「李生誰耶?」至是,女不能復隱,細語在咽中,告父母曰:「父親母親,鞠育恩深,不能相匿。竊念男女相感,人情至重。是以,摽梅迨吉,咏於周南,咸腓之凶,刑於羲易。自將蒲柳之質,不念桑落之詩,行露沾衣,竊被傍人之嗤。絲蘿托木,已作渭兒之行。罪已貫盈,累及門戶。然而彼狡童兮,一偸賈香,千生喬怨,以眇眇之弱軀,忍悄悄之獨處,情念日深,沈痾日篤,濱於死地,將化窮鬼。父母如從我願,終保餘生,倘違情款,斃而有已。當與李生,重遊黃壞之下,誓不登他門也。」
女は夕べごとに花園で待ったが、何か月たっても帰ってこなかった。女は彼が病を得たのかと思い、香兒に命じて李生の隣の人にそっと尋ねさせた。隣の人はいった。「李さまはお父上に罪を得て嶺南へ行かれて、もう数か月になります。」
女はこれを聞いて病んで床に臥し、転々として起き上がれなかった。水も粥も口に入らず、ことばが乱れ、肌が衰えた。
父母は怪しんでその病のさまを問うたが、黙って答えなかった。箱を探して李生と以前にやりとりした詩を見つけ、膝を打って驚いていった。「もう少しで娘を失うところだった。」
そして問うた。「李生とは誰か。」
ここに至って女はもう隠せず、細い声で喉のうちから父母に申し上げた。
「お父さまお母さま、育ててくださった恩が深いので、隠しきれません。ひそかに思いますに、男女が互いに心を動かすのは人の情でもっとも重いことです。だから梅の実が落ちるころによい時を逃すなということが「周南」に詠まれ、ふくらはぎが動く凶が「易」に示されています。
蒲柳のような身で桑の葉の落ちる詩を思わず、道の露に衣を濡らして、そっとそばの人の嘲りを受けました。菟絲と蘿が木に寄るように、もう渭水のほとりの女のふるまいをしたのですから、罪はもう満ちて、過ちが家の門にまで及びました。
けれどもあの狡い若者がひとたび香を盗んでから、千の生にわたる恨みが生じました。かぼそい弱い身で、ひそやかに独りいることに耐えていると、思いは日ごとに深く、重い病は日ごとに篤くなって、死の地に近づき、窮した鬼になろうとしています。
父母が私の願いに従ってくださるなら、残る生を保ちましょう。もし親しい思いに背かれるなら、死ぬだけです。李生とともに黄なる土の下で再び遊ぶとしても、誓って他の家の門に上がりはいたしません。」
於是,父母已知其志,不復問病,且警且誘,以寬其心,復修媒妁之禮,問于李家。李氏問崔家門戶優劣曰:「吾家豚犬,雖年少風狂,學問精通,身彩似人,所冀捷龍頭於異日,占鳳鳴於他年,不願速求婚媾也。」媒者,以言返告,崔氏復遣曰:「一時朋伴,皆稱令嗣才華邁人,今雖蟠屈,豈是池中之物。宜速定嘉會之晨,以合二姓之好。」媒者,又以其言,返告李生之父,父曰:「吾亦自少,把冊窮經,年老無成。奴僕逋逃,親戚寡助,生涯疎闊,家計伶俜,而況巨家大族,豈以一人寒儒,留意爲贅郞乎。是必好事者,過譽吾家,以誣高門也。」媒,又告崔家,崔家曰:「納采之禮,漿束之事,吾盡辨矣。宜差穀旦,以定花燭之期。」媒者,又返告之。李家至是,稍回其意,卽遣人,召生問之。生喜不自勝,乃作詩曰:
そこで父母はもうその志を知って、重ねて病を問わなかった。一方では戒め一方では導いてその心をなだめ、改めて媒の礼を整えて李家に申し入れた。
李氏は崔家の門の高下を尋ねてからいった。
「うちの倅は年が若くて浮ついてはいますが、学問は通じ、身なりも人並みです。望みは、いつか科挙の首席に上がり、のちの年に名を響かせることです。急いで婚を求めたくはありません。」
媒がそのことばを持ち帰って伝えると、崔氏はまた人を遣わしていった。
「このごろの友人たちはみな、お子さまの才が人にすぐれていると称えています。いまはとぐろを巻いて屈んでいても、どうして池のなかの物でありましょう。早く佳い日の朝を定めて、二つの姓のよしみを合わせてください。」
媒がまたそのことばを李生の父に持ち帰って伝えると、父はいった。
「私も若いころから本を手に経を究めたが、年老いても成すところがない。下人は逃げ、親族の助けは少なく、暮らしは疎く、家計は寄るべない。まして大きな家の大きな一族が、どうして一人の貧しい儒者に目をかけて婿に取ろうか。これはきっと事好きな者が、うちを褒めすぎて高い門を欺いたのだ。」
媒がまた崔家に伝えると、崔家はいった。「納采の礼も、絹を束ねて送る事も、こちらですべて整えます。よい日を選んで華燭の期を定めてください。」
媒がまた持ち帰って伝えた。李家はここに至ってやや心を戻し、すぐに人を遣わして李生を呼んで問うた。李生は喜びを抑えきれず、そこで詩を作った。
破鏡重圓會有時,天津烏鵲助佳期。從今月老纏繩去,莫向東風怨子規。
破れた鏡がまた円くなるのに時があって 天の津の烏と鵲がよい期を助ける。 これからは月の老人が縄をからげていくのだから 東風に向かって子規を怨むな。
女聞之,病亦稍愈,又作詩曰:
女はそれを聞いて病もやや癒え、また詩を作った。
惡因緣是好因緣,盟語終須到底圓。共輓鹿車何日是,倩人扶起理花鈿。
悪い縁がそのままよい縁で 誓ったことばがついにとどのつまり円くなった。 ともに鹿の車を引くのはいつの日か 人に頼んで助け起こされ、花の鈿を直す。
於是,擇吉日,遂定婚禮,而續其絃焉。自同牢之後,夫婦愛而敬之,相待如賓,雖鴻光鮑桓,不足言其節義也。生翌年,捷高科,登顯仕,聲價聞于朝著。
そこでよい日を選んでついに婚礼を定め、切れた弦をつなぎ直した。同じ膳で食を分けてから、夫婦は互いに愛し敬って客のように扱い、梁鴻と孟光、鮑宣と桓少君でさえ、その節義を語るには足りなかった。
翌年、李生は高い科挙に及第して顕わな官に上がり、名声が朝廷に聞こえた。
辛丑年,紅賊據京城,王移福州。賊焚蕩室廬,臠炙人畜。夫婦親戚,不能相保,東奔西竄,各自逃生。生挈家,隱匿窮崖。有一賊,拔劍而逐。生奔走得脫,女爲賊所虜,欲逼之,女大罵曰:「虎鬼殺啗我,寧死葬於豺狼之腹中,安能作狗彘之匹乎?」賊怒,殺而剮之。
辛丑の年、紅賊が都を占めて、王は福州に移った。賊は家を焼き払い、人や家畜を切って焼いた。夫婦も親族も互いに守りきれず、東へ走り西へ隠れて、それぞれ生きる道を求めた。
李生は家の者を連れて険しい崖に隠れたが、一人の賊が剣を抜いて追ってきた。李生は走って逃れたが、女は賊に捕らえられた。賊が犯そうとすると、女は大声で罵った。
「虎のような鬼め、私を殺して食らえ。むしろ死んで豺や狼の腹に葬られようとも、どうして狗や豕の連れ合いになろうか。」
賊は怒って殺し、その肉を切り裂いた。
生竄于荒野,僅保餘軀。聞賊已滅,遂尋父母舊居,其家已爲兵火所焚。又至女家,廊廡荒凉,鼠喞鳥喧。悲不自勝,登于小樓,收淚長噓。奄至日暮,塊然獨坐,佇思前遊,宛如一夢。
李生は荒れた野に隠れて、やっと残る身を保った。賊がもう滅びたと聞いて、そこで父母の旧居を尋ねたが、その家はすでに兵火に焼けていた。また女の家に行くと、廊はうらぶれて荒れ、鼠が鳴き鳥が騒ぐばかりであった。
悲しみを抑えきれず、小さな楼に上がって涙を収め、長く息をついた。いつのまにか日が暮れた。ぽつねんと独り座って、過ぎた日の遊びをぼんやり思うと、まるで一つの夢のようであった。
將及二更,月色微吐,光照屋梁。漸聞廊下,有跫然之音,自遠而近,至則崔氏也。生雖知已死,愛之甚篤,不復疑訝。遽問曰:「避於何處,全其軀命?」女執生手,慟哭一聲。乃敍情曰:「妾本良族,幼承庭訓,工刺繡裁縫之事,學詩書仁義之方,但識閨門之治,豈解境外之修。然而一窺紅杏之墻,自獻碧海之珠。花前一笑,恩結平生,帳裏重遘,情愈百年。言至於此,悲慙曷勝。將謂偕老而歸居,豈意橫折而顚溝,終不委身於豺虎,自取磔肉於泥沙,固天性之自然,匪人情之可忍。却恨一別於窮崖,竟作分飛之匹鳥。家亡親沒,傷殢魄之無依,義重命輕,幸殘軀之免辱。誰憐寸寸之灰心,徒結斷斷之腐腸,骨骸暴野,肝膽塗地。細料昔時之歡娛,適爲當日之愁寃。今則鄒律已吹於幽谷,倩女再返於陽閒。蓬萊一紀之約綢繆,聚窟三生之香芬郁,重契闊於此時,期不負乎前盟,如或不忘,終以爲好,李郞其許之乎?」生喜且感曰:「固所願也。」相與款曲抒情。言及家産被寇掠有無,女曰:「一分不失,埋於某山某谷也。」又問:「兩家父母骸骨安在?」女曰:「暴棄某處。」敍情罷,同寢極歡如昔。
二更になろうとするころ、月の色がほのかに差して光が梁を照らした。だんだん廊の下に足音が聞こえ、遠くから近づいてきた。来てみるとそれは崔氏であった。
李生は彼女がもう死んだと知っていたが、愛しく思うことがたいそう篤かったので、重ねて疑わず、急いで問うた。「どこに逃れて身と命を全うしたのですか。」
女は李生の手を取って、ひと声激しく泣いた。そうして思いを述べた。
「私はもともと良い家の者で、幼くして家の教えを受け、刺繡や裁縫の事に巧みになり、詩と書、仁と義の道を学びました。ただ閨のなかの治めを知るだけで、どうして外の修めを知りましょう。
けれども一度紅い杏の垣をのぞいてから、自ら碧い海の珠を捧げました。花の前のひと笑いに恩が一生に結ばれ、帳のうちで重ねて会って情は百年にもまさりました。ことばがここに至ると、悲しさと恥ずかしさをどうして抑えられましょう。
ともに老いて帰り住もうと思っていたのに、どうして横から折られて溝に倒れると思ったでしょう。ついに豺や虎に身を委ねず、自ら泥と砂に肉を裂かれることを取ったのは、まことに天性のおのずからであって、人の情で耐えられることではありませんでした。
かえって恨めしいのは、険しい崖で一度別れて、ついに散り飛ぶ片鳥となったことです。家が亡び親が世を去って、とどまる魂に寄るべがないのが悲しく、義が重く命が軽くて、さいわい残る身が辱めを免れました。
誰が寸ごとに灰となった心を憐れんでくれましょう。むなしく断ち切れた腐る腸ばかりが結ばれ、骨は野にさらされ、肝と胆は地に塗られました。昔の日の歓びを細かに思えば、それがそのまま今日の憂いと恨みになりました。
いまは鄒衍の笛がもう幽かな谷に吹かれ、倩女がまた陽の世に戻りました。蓬萊の十二年の約束がからみ合い、聚窟の三生の香が香っています。この時に離れて再び会うことを重んじて、前の誓いに背かないことを期します。もしお忘れでなく、終わりまでよしとしてくださるなら、李さまはお許しくださいますか。」
李生は喜び、また心を動かされていった。「まことに願うところです。」
互いに心を尽くして思いを述べた。ことばが家の財産が賊に奪われたかどうかに及ぶと、女はいった。「一つも失わず、某の山の某の谷に埋めてあります。」
また問うた。「両家の父母の骨はどこにありますか。」
女はいった。「某の所にさらされ捨てられています。」
思いを述べ終えて、ともに寝て歓びを尽くすのは昔のとおりであった。
明日,與生俱往尋瘞處,果得金銀數錠及財物若干。又得收拾兩家父母骸骨。貿金賣財,各合葬於五冠山麓,封樹祭獻,皆盡其禮。其後,生亦不求仕官,與崔氏居焉。幹僕之逃生者,亦自來赴。生自是以後,懶於人事,雖親戚賓客賀弔,杜門不出,常與崔氏,或酬或和,琴瑟偕和,荏苒數年。
翌日、李生とともに行って埋めた所を尋ねると、たしかに金と銀が数錠、財物が幾ばくか見つかった。また両家の父母の骨を拾い集めることができた。金を売り財を売って、それぞれ五冠山の麓に合葬し、塚を築き木を植え、祭りを供えて礼をすべて尽くした。
その後、李生もまた官を求めず、崔氏とともに暮らした。逃げていた下人たちも自ら戻ってきた。李生はこれより後、人の事にものうくなって、親族や客の祝いや弔いがあっても門を閉じて出なかった。いつも崔氏と詩をやりとりし、琴と瑟のように和して、数年が流れた。
一夕,女謂生曰:「三遇佳期,世事蹉跎,歡娛不厭,哀別遽至。」遂嗚咽,生驚問曰:「何故至此?」女曰:「冥數不可躱也,天帝以妾與生,緣分未斷,又無罪障,假以幻體,與生暫割愁腸,非久留人世,以惑陽人。」命婢兒進酒,歌玉樓春一闋,以侑生,歌曰:
ある夕べ、女が李生にいった。「三度よい時に出会いましたが、世の事が食い違って、歓びは飽きないのに悲しい別れがふいに来ました。」そうしてむせび泣いた。
李生は驚いて問うた。「どういうわけでそんなことになったのか。」
女はいった。「冥途の数は避けられません。天帝が、私とあなたの縁がまだ切れておらず、また罪の障りもないとされて、仮の体を借りてあなたとしばし憂いの腸を分かたせてくださったのです。長く人の世にとどまって生きた人を惑わすためではありません。」
侍女に命じて酒を進めさせ、「玉楼春」一曲を歌って李生に勧め、こう歌った。
干戈滿目交揮處,玉碎花飛鴛失侶。殘骸狼籍竟誰埋,血汚遊魂無與語。高唐一下巫山女,破鏡重分心慘楚。從玆一別兩茫茫,天上人間音信阻。
楯と矛が目に満ちて互いに振るわれた所 玉は砕け花は飛んで鴛は連れを失った。 散り乱れた骸をついに誰が埋めてくれよう 血に汚れた遊ぶ魂には語り合う相手もない。 高唐にひとたび下りた巫山の女よ 破れた鏡が重ねて分かれて心は痛ましい。 これから一度別れれば二つともはるかで 天の上と人の世とで音信は隔たるだろう。
每歌一聲,飮泣數下,殆不成腔。生亦悽惋不已曰:「寧與娘子,同入九泉,豈可無聊獨保殘生。向者,傷亂之後,親戚僮僕,各相亂離,亡親骸狼籍原野,儻非娘子,誰能奠埋。古人云:生事之以禮,死葬之以禮。盡在娘子,天性之純孝,人情之篤厚也。感激無已,自愧可勝。願娘子,淹留人世,百年之後,同作塵土。」女曰:「李郞之壽,剩有餘紀,妾已載鬼籙,不能久視。若固眷戀人間,違犯條令,非唯罪我,兼亦累及於君。但妾之遺骸,散於某處,倘若垂恩,勿暴風日。」相視泣下數行云:「李郞珍重。」言訖漸滅,了無踪迹。
ひと声歌うたびに涙を飲んで幾度も落とし、ほとんど節にならなかった。
李生もまた悲しんでやまず、こういった。
「むしろ娘子とともに九泉に入ろうとも、どうしてあてどなく独りで残る命を保てましょう。先の乱れのあと、親族も下人もそれぞれ散り別れ、亡くなった親の骨が野に散らばっていたのに、もし娘子でなかったら、誰が供えて埋められたでしょう。
昔の人は『生きているうちは礼をもって仕え、死んだら礼をもって葬る』といいましたが、それがすべて娘子にありました。天性の純な孝であり、人の情の篤さです。心を打たれてやまず、自ら恥じる思いに堪えません。願います、娘子は人の世に長くとどまって、百年の後にともに塵と土になりましょう。」
女はいった。
「あなたの寿命はまだ残る年が十分にありますが、私はもう鬼の名簿に載って長く目に見えることができません。もし無理に人の世に心を残して離れずにいれば、冥途の条令を犯すことになり、私の罪になるだけでなく、あわせてあなたにも咎が及びます。
ただ私の残った骨が某の所に散らばっていますので、もし恵みを垂れてくださるなら、風と日にさらされないようにしてください。」
互いに見つめ合って涙を幾筋か落とし、こういった。「李さま、どうかおだいじに。」
いい終えるとしだいに消えて、跡形もなくなった。
生拾骨,附葬于親墓傍。旣葬,生亦以追念之故,得病數月而卒。聞者莫不傷歎,而慕其義焉。
李生は骨を拾って、親の墓のそばに添えて葬った。葬り終えると、李生もまた思い慕うゆえに病を得て、数か月で死んだ。聞く者は悲しみ嘆かない者がなく、その義を慕った。